一身上の都合 第4話 「夢を叶えた後の人生を歩き続けるため」 坂本 那香子さんの場合

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あんなに願った海外赴任のオファー。でも、なんで、よりによって子どもが1歳の今なの?いない

第4話 坂本 那香子さんの場合
夢を叶えた後の人生を歩き続けるため

 

「将来何になりたい?」

そう聞かれなくなったのはいつ頃だろうか。

坂本那香子さんの話を聞きながら、ふと考えてしまった。病院の経営企画室で働いている坂本さんは、ライフステージの変化に合わせ3度の転職を経験した。それぞれに理由や目的は異なるが、共通しているのは“なりたい自分”という「設計図の完成」である。現実が夢に追いたとき坂本さんは何を思ったのか。その答えは少し意外なものだった。

 

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むらかみみさと(筆者)と 坂本那香子さん(ゲスト)

 

 

海外への夢

坂本さんの人生を表す重要なワードは “海外” である。 その始まりは18歳。日本海に飛び出た半島の付け根にある公立高校からアメリカの大学へ進んだ。

留学が珍しいことではなくなった現在でも、海外の大学に直接入学することは多くないだろう。反対する親を説得してミネソタで大学の四年間を過ごす。映画やドラマでイメージする“アメリカの大都市”とはかけ離れた、温和な田舎町だった。

卒業後は日本へ帰国し、大学院で学んだ後、ビジネスの道へ進むためコンサルティング会社アーサー・D・リトルへ入社する。

子供の頃から海外志向が強かった。念願叶ったアメリカでの日々は、現実の生活となると辛いことも多かった。しかし外資系企業の日本支社で働く中で、海外への思いが再燃する。人生で最も多忙を極めた三年間を過ごし、外資系製薬会社のロシュへ転職。コンサルから事業会社への転職は、評論家からプレイヤーへの転向を望んだだけでなく、結婚や海外赴任など今後の人生設計も視野に入れたものだった。

そして九年間務めたその会社で、結婚、出産、子連れでの海外赴任を実現する事になる。

 

あんなに願った海外赴任のオファー。でも、なんで、よりによって子どもが1歳の今なの? 神様は意地悪なことをするなぁ、と思いました

 

 

遠距離家族

育児休暇から復帰後、シンガポール赴任のオファーが届いた。転職時から海外で働く実現性を計算していたが、1歳の子供を持つ状況では即答できなかった。

しかし千載一遇のチャンスであることは間違いない。入念な情報収集と現地調査の結果、シンガポールで仕事と子育てを実現できるという確信を持った。住み込みのメイドやシッターによる育児が一般的であるシンガポールは働く母親に優しい。治安への不安も低く、また日本で暮らす夫は大学教員のため、企業勤めのサラリーマンよりも融通が効き、家族の時間を確保できるという都合も幸いした。

家族会議を重ね、実現したシンガポールでの日々は刺激的で楽しいものだった。仕事も子育ても順調だったが帰国の日が訪れる。日本を出る時に3年間と約束した期限が迫っていた。

シンガポール駐在時から転職活動を行って、ロシュを退職後は製薬会社に入社した。しかしそこでの仕事は長く続かなかった。みずからの目標を設定し、その実現のために全力を尽くす。その信念の元に働いてきた坂本さんにとって、目標を見いだせないまま続く穏やかな仕事は働く手応えを感じられなかったのだ。入社から一週間ほどで、次の仕事を考えるようになった。

運命のメールの題は「Are you Back? 」 シンガポールの拠点からでした

外資系企業を渡り歩き、子連れ海外赴任まで果たした坂本さんだが、決して仕事中毒ではないと言う。深夜残業も休日出勤もほとんどしない。けれど働くことは好きだ。通勤も入れれば、人は一日の大半を仕事に充てなくてはならない。ならばその時間を最大限に満喫したいのだ。

仕事だけでなく何でも意欲的に取り組んできた。育児休暇中は料理、お菓子作り、語学など様々なことを体験し、仕事以外のエネルギー発散場所を探したが、結局働くことを上回る喜びやワクワクを与えてくれるものは見つからなかった。現在は四つ目の職場となる病院の経営企画で働いている。医療現場には経営の面から改善できる点が無数に存在するのだ。

現在の仕事にやりがいを感じている坂本さんだが、シンガポールから帰国してからずっと感じている混迷が日に日に強くなっているという。

 

夢はかなっても “あがり” ではない


子供の頃から思い描いていた “なりたい自分” に追いついた今、坂本さんは経験したことがない深い谷間でもがいている。やりがいのある仕事と幸せな家庭を両立している現在に物足りなさを感じていると言えば、「何を贅沢な」と返す人が多いだろう。しかし、“幸せポイント” の獲得点だけでは人間の幸せを測ることはできない。

そのメールを見た瞬間、私は「やっべえ」と思いました。行きたかったからです

坂本さんは幼い頃に自分で設定した TO DO リストにチェックを付けるように生きてきたと言う。海外の大学へ行く。就職する。結婚する。子供を生む。海外で働く。それをひとつずつ実現していって、すべてにチェックが付いた。映画ならばエンドロールが流れるところだが、これからも坂本さんの人生は続いていく。 就職、結婚、出産など、社会的な節目は他人と比較しやすいという欠点がある。人より良い悪い、早い遅いを意識してしまうと、自分自身のペースや価値観が崩れてしまう。それによって現状に甘んじてしまったり、無駄に焦って妥協した道を選ぶことも少なくない。

平均ぐらい、あるいは人並み以上に幸せであると言われる状態を手に入れると、それが理想形でなくても、それを維持することで充分だと自分も周囲も思いがちだ。これ以上何を望むのかと呆れられたり、強欲だと言う人もいるかもしれない。だが人から幸せだと言われる状況にあることが私達の幸せではない。人生が続く限り、私たちは進み続けるしかないのだ。

坂本さんがこれからどんな道を選び、一度既に完成した未来図を更新していくのか楽しみである。幸せの先にも、未来は無限にあるのだということを教えてくれるだろう。

 

 

チャンスは最悪なタイミングを選んでやってくることもあります。だけど、神様は乗り越えられない試練は与えない…多分。そう思ってます

 

 

 

編集後記 : あるべき論との対峙

 

この連載『一身上の都合』は、働くことと生きることを結びつけて考える私、むらかみの好奇心からはじまった。今回は初めて家族を持つ人に話を聞いたのだが、家族の軸が加わると、少々複雑になる。それは私が「あるべき論」と呼んでいるもやもやした敵の勢力が一層強いからである。

安定した大企業を目指すべき。三年は辞めずに頑張るべき。新人は言われたことはやるべき。そんな「こうあるべき」像を私は嫌悪している。このあるべき論の厄介なところは、そこから外れた者を脊髄反射的に “ダメな人間” と断じてしまうところがあるからだ。

結婚後も夫婦が別々に暮らすことは珍しくないが、乳児を連れて母がひとりで海を渡るケースはほとんどないだろう。一人で子育てができるのか。しかも海外で。誰が面倒を見るのか。夫はどうするのか、子供にとって父親の不在がどんな影響を与えるのか。抵抗感に近い疑問が浮かんでしまうのは、家族というものにある種の理想型が私達の中にあるからだろう。

あるべき論は私生活の方が根深い。特に女性は妻として、母としての役割を求められてしまう。実際女性は就職の時点で、いつ起こるかわからない結婚・出産イベント後を考えることは多く、指導も受ける。資格を取る、産休取得率の高い会社を選ぶ、ワーキングマザーを支援する制度が充実しているなど、リスクが少ない道は教えてもらえる。

だが、安定的な環境を獲得するために選択肢を絞ることは幸せなのだろか。坂本さんのように柔軟に会社や仕事、働き方を変える生き方は、私達の選択肢を大きく広げる示唆を与えてくれるのではないか。自分の選択に覚悟と自負を持つことが、意志を持って生きることに繋がるのだ。(了)

 

 

坂本 那香子(さかもと なかこ)
石川県七尾市出身。1998年米国ミネソタ州マカレスター大学卒。2001年一橋大学経済学研究科修士課程修了。同年、アーサー・D・リトル(株)入社。3年間経営コンサルティング業務に携わったのち、2004年ロシュ・ダイアグノスティックス(株)に転職。経営企画グループに入社、2年後同社で最年少の管理職となる。2008年男児を出産。2010年シンガポールに赴任。2013年に帰国し、現在は病院の経営企画に勤務。WEBサイトにて自身の子連れ海外赴任の体験を綴っている。 WEB『母になる。海外で働く。』 note 『シンガポール子連れ赴任

 

 

(次回をお楽しみに。月一更新予定です)

 

 

 

連載バックナンバー

第1話 「できることを増やすため」 むらかみみさとの場合 (2014.4.20)
第2話 「旅に出るワクワクを抑えられないから」 小林圭子さんの場合(2014.4.30)
第3話 「今の自分に耐えられなかったから」 伊藤 悠さんの場合(2014.6.16)


 


むらかみ みさと

むらかみ みさと

1986年阿蘇生まれ。生きた時間の半分を読み書きに費やしてきました。 ORDINARYでは広報・PR、ユーザーコミュニケーションなどを担当。 公私ともにコミュニケーションにまつわる仕事をしています。 円の中心ではなく、接点となる役割を追求したいと思っています。