一身上の都合 第1話 「できることを増やすため」 むらかみみさとの場合

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わたしたちが会社を辞める理由、辞めてからのこと

新連載は、みんなの退職ストーリー
レールから降りて自分の道を選んだ人たちについて

 

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辞表には、一身上の都合で退職します、と書きます。
どんな理由であれ、すべては“一身上の都合”というフレーズに集約されます。私はこの“一身上の都合”という慣用句に、退職に至るまでの苦しみ、悲しみ、憤り、新しい道への希望、胸の高鳴り、不安、そして会社や同僚への感謝、感傷、もっと別の手段があったのではないかという後悔など、あらゆる感情が込められていると感じるのです。そして一切の言い訳を胸に押し込んで、全てが内包された言葉として、これほど完成されたものは他にないのではないか、と思っています。会社を辞める理由、辞めてからのことは人それぞれでしょうが、すべての人の“一身上の都合”には、その人なりの哲学があるのではないでしょうか。

一身上の都合

「まずは私自身の場合から。5年間で2社辞めました」

 

 

第1話:むらかみみさとの場合 「できることを増やすため」

む:むらかみみさと  ふ:深井次郎(オーディナリー発行人)

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:深井さん、私、退職体験の事例集を作りたいと思っているんです。

:それはどうして?

:今働き方が多様化していると言われていますが、そうは言ってもどうやって働き方を選べばいいのか、わからない人が多いのではないかと。だから実際にレールから降りて、自分の道を選ぶ決意した人の体験談というのが役に立つのではないかと思ったんです。望む生き方もスキルも違うから、How Toはあまり役に立たないのではないかと。いろいろなパターンを見ることで気づくことや考えることがあると思うんですよね。私自身退職を経験して、学ぶことが多かったので、他の人は何を考え、どんな変化があったか知りたいなと思ったのも理由です。

:なるほど。むらかみさんも転職経験者なんだよね。今の会社は3社目?

:そうです。2009年に大学を卒業して社会人生活丸5年になります。

:5年で3社は多いね。もともと転職志向が強かったの?

:いいえ、まったく。むしろ一生安泰な会社に就職して、定年まで勤めあげたいと思っていました。就職活動を意識し始めた頃、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という本が話題になっていたんです。中身は読んでいませんが、タイトルを聞いた時「3年って早いよな、私は絶対辞めない」って思っていました。

:就社的な考え方だったんだね。

む:そうですね。私の両親は自営業で、その両親も自営業、親戚を見回してもサラリーマンはほとんどいなかったんです。だから会社で働くというイメージはほとんどありませんでした。けど、夜や休日はもちろん、家族旅行の最中ですらお客さんから電話があれば対応しなくてはいけないんですよね。そんな姿を見ていたせいか、私は「自分に自営業は無理」だと考えていました。自営業はとても泥臭い印象があったんです。仕事の多くはコントロールの効かない他人に依存し、左右され、人情が効率や合理性を圧倒していて。それを息苦しく感じて、私は会社員になる道を選びました。そもそも、事業を起こすほどのパッションもバイタリティもなかったので、独立自営という選択肢はなかったです。

:そうなんだ。最初に入った会社はどんなことをしてたの?

:日経新聞の子会社で、マーケティングリサーチをしている会社に入社しました。親会社の発行している新聞に掲載される企業データの調査を行う事業部と、他の一般企業相手に市場調査をする事業部の2つに大きく分かれていました。正直に言えば第一志望ではありませんでしたが、入社してみると仕事自体はとても楽しく、達成感と満足を得られるものでした。ジョブローテーションで3部署経験したのですが、いろいろなタイプの仕事を経験出来ました。職場環境も、意地悪な先輩もいませんでしたし無茶な残業や休日出勤を強いられることもありませんでした。

:いい会社だったんだね。辞める理由がないように思えるけど。

:そうですね。確かに大きな問題はありませんでした。けどそれぞれは些細な出来事でも積み重なるうちに、会社に居続けることで辿り着く未来が色褪せて感じられるようになったんです。そしてある日ふと、自分の人生というものを考えたときに、もっと自分らしく生きていくにはどうしたらいいかという疑問にぶつかってしまって。考えるほど、今歩いている道は望む未来に繋がらないように感じてしまいました。“やることに意味がある”ことが多く、その“やること”が、私がやらなくてはいけないことだと思えなくなってしまったんです。

:それで転職を決意したんだ。

:そうです。もっと自分で何かを動かす仕事をしたいと思って。どうしてもクライアントからの受託仕事というか、調査データを納品したら終わり、それがどう使われるかがわからなくて、物足りなさを感じることが多くなりました。転職したのが東日本大震災の直後で、転職の意思はその前からあって動いていたんですけど、震災があって余計に後悔なく生きなくてはと強く思いましたね。石の上にも三年とよく言いますけど、三年経って状況が良くなるとは限らないので、チャンスがあれば動いたほうが後悔しないと思っています。2社目は携帯サイトを作っている会社のハウスエージェンシーに入社しました。事業会社に入って、自分のやったことがダイレクトにユーザーに届くような仕事をしたいなと思って。

:そこでは何をやっていたの?

:最初の1年は親会社が作っている携帯サイトのプロモーションを担当していました。占いとかデコメとか、何十とあるんですけど、バナー広告やアドネットワークとか、TVCMとか、一通り広告宣伝に携わって。後半の1年はユーザーよりの、ソーシャルメディアを使った顧客開拓や満足度向上をメインに行っていました。

:その仕事は楽しかった?

:はい。やりがいもあって、転職理由である“もっとユーザーに近くて、当事者意識の持てる仕事”が実現しました。厳しいことも多かったですけど、その分たくさんの勉強をさせてもらいました。

:それでもその会社も辞めたんだよね。

:そうなんですよね。またふっと、気づいちゃったんですよね。この会社で生き残るスキルを身につけても、汎用性がないのではないかって。千人近い規模の会社だったので、社内稟議とか、いろいろあって。会社なので、必要なステップなんですけど、上司に承認されることが目的になって仕事をしていることに気づいたんです。主体的に取り組めなかった自分の甘さもあったんですが、本当のところ自社の作っているコンテンツに魅力を感じなくなってしまっていたんですよね。自分が使いたいものでなければ、ユーザーに心から勧めることができないと。組織人としては失格かもしれませんが、無理をしてやってもだれも幸せじゃないから辞めたほうがいいなと思うようになりました。好きなことじゃなければ、頑張れないんですよね。

:もっと自分がやりたいと思える仕事をしたかったということだね。

:仕事に身が入ってないのを自分でも感じましたし、そういう自分が嫌でした。でも、やっぱりやる気が起きなくて、という繰り返しだったんです。それにある日上司がふっと、「私はこの会社を出たらレジ打ちくらいしかできることがない」と漏らしたことがあって。ああ、こんな寂しいことはないと思ったんです。頑張って踏ん張って、狭い世界でしか順応できない生き物になってしまうことがわかっていながら、それをしょうがないと受け入れるなんて。会社に身を捧げるって、まさに自分の能力やからだをその会社に最適化することだと思うんです。私はそこまで会社やあの時の仕事を愛せないと悟りました。結果的に、私が思い描いていた“会社員”というものは、私自身になじまないのだと確信しました。だからといって、やっぱりまだ起業するとか、独立するというバイタリティはないので、とりあえず足元が崩れてしまった時も自分の足で歩けるように準備をしようと決めました。できることを増やす、下手でもやったことがあると言えるものを増やすことが、今生き抜く力になるのではないかと考えたんです。そしてそれを実現する環境は、当時の会社にはないと判断しました。
モチベーションも無くなってしまっていて、惰性で働く社員はパフォーマンスを出せません。会社にとっても邪魔なだけだろうし。私は二度目の転職を意識し始めました。

:次の転職は最初とはまた違ったモチベーションだったんだね。

:はい。はっきりと、どうやって組織を出て生きていく力を付けるか、ということを目的にしました。安定的な会社に入って、成果を残して……と思っていたんです。今の自分はひとりでは稼げないって。でも、自由大学とか、会社から一歩外に出て世界を眺めてみたらすぐにわかりました。働く場所も働き方も、無限に選択肢は存在していて、既に実践している人もたくさんいるんだと。ただ私自身がずっと、自分の手の届く範囲でもがくしかないと思い込んでいただけだったんです。じゃあ、自分の足で立てるような仕事をしていきたいと思って。

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「最後に残るのは経験と記憶だけ」

:なるほど。今はどんなことをしているの?

:起業家を支援する仕事をしています。起業家のひよこたちに投資して育成・支援する会社です。正直言って自分でも想定外の進路でした。2度目の転職活動をすると決めた時、自分の中の軸は1つだけで、“自由に、人生に責任を持ちながら思うままに生きる人と働きたい”、ということでした。そういう人を支えて働いていきたいなと。まだはじめたばかりで、私が持っているものは何もありません。学び、考え、できることをひとつひとつ増やしている最中です。自分で食べていけるようになるかも、その道順もまだ不確かですけど、日々人と会って、様々な考え方や価値観に触れ、私自身が成長していっている実感があります。

:考えながら歩いているんですね。

:そうですね。私はずっとさまよっていると思います。本能で動いているというか。3社で働いて、転職活動もして感じるのは、こういう成果を出したとか、人脈があるとかは一時的な価値でしかなくて、結局最後に残って効いてくるのは経験と記憶だけだなと。そしてそれが自分の生きたい社会で生きるための道具だと思っています。もしかしたら何も残らないかもしれないけど、持っているものがすり減る心配をしながら生きるのは嫌だなと思って。辞めて、辞めて、自分のために根を張る場所にやっと立てた気がします。

:なるほどね。で、これから退職経験のある人に話を聞きたいと。

:はい。自分自身の2回の実体験と、同僚たちが退職する姿を見て、私は日本の“退職”はある意味様式美であると感じているんです。また会社によってある種の“ローカルルール”が存在することも面白いです。たとえば1社目の会社を辞めるときは、白い封筒に『退職届』と表書きしたドラマで出てくるような退職届を用意しました。けれど2社目では、退職の意志を伝えると所定のファイルが人事から送られてきて、それをプリントアウトし、記入捺印して提出しました。またある会社では、経費申請書などと一緒に書類入れに印刷された退職届が仕舞われていて、辞めたい場合各自それを取って記入するそうです。退職届という、突き詰めたら一枚の紙にもこんなバリエーションがあるなんて、さては退職までの道のりは会社の数だけ、辞める人の数だけあるのではないか。感心と好奇心が湧いてきました。どんなきっかけがあって会社を辞めるのか。そしてその過程で何を考え、何が起こったのかを聞いてみたいと思っています。

「連載はじまります」

「連載はじまりました。次回の登場は小林圭子さん。私がインタビューします」

 

(次回もお楽しみに)


むらかみ みさと

むらかみ みさと

1986年阿蘇生まれ。生きた時間の半分を読み書きに費やしてきました。 ORDINARYでは広報・PR、ユーザーコミュニケーションなどを担当。 公私ともにコミュニケーションにまつわる仕事をしています。 円の中心ではなく、接点となる役割を追求したいと思っています。