もういちど帆船の森へ 【第37話】 伝統と未来と / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦伝統的なやり方を大切にするのは、悪いことではありません。ただ、社会が変わっていく中で、教育のあり方も変わる必要がある。そんななかで自分たちの価値を維持するためには、伝統の精神は残しながらも、未来を模索する姿勢が必要なのではと思うのです。これからの時代に必要なのは、伝統と変革の間でバランスを取る感性
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第37話   伝統と未来と 

                   TEXT :  田中 稔彦                      


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 全寮制の意味 

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連載の32話で、帆船日本丸で起きたマストからの転落事故にまつわる話を書きましたが、 最近その件について、実際に商船大学の実習生として日本丸などに乗船していた方々のお話を聞く機会がありました。

帆船実習から始まり、話は船員教育のあり方全般についてに及びました。商船大OBの方々なのでこれまでの船員教育のあり方に肯定的な意見が多かったのは当然。帆船でのマスト登りの際の安全管理の方法についてはいろいろな意見が出ましたが、基本的には現状のやり方を大事にしたいという意見が多かったように思います。

帆船以外の船員教育について、全寮制の意義について語られた人が多くいました。

一昔前までの商船大学は全寮制。しかも大学の1年生から4年生がひとりづつ、4人でひとつの部屋で暮らしていたそうです。いまでは寮は希望者のみで、ほとんどは個室だそうです。ぼくの感覚だと今の時代ではそんなもんかなと感じるのですが、言葉では説明できないものの「全寮制こそが船員教育の礎」とおっしゃる方も多くいらっしゃって。

ぼくは正式な船員教育を受けたわけではないので、そうした意見が正当かどうかを判断することはできません。船員教育は技術や知識を学ぶだけではなく、船員という特殊な職場環境でやっていくためのコミュニケーション能力や全人的な能力を育てる必要があることには同意します。それこそがセイルトレーニングの元になる考え方ですから。

ただ、そうした言葉にしにくい、数値で評価しにくい部分を育てるのに、旧来のやり方がベストなのかどうかは難しいところだなあと思わなくもないのです。

 

 

 

 ドイツの帆船での事故 

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そんなことを考えていて、ドイツの帆船での事故のことを思い出しました。

海外では多くの国で、海軍や沿岸警備隊の訓練船として帆船が使われています。ドイツでも「ゴルヒ・フォック」大型帆船が海軍の練習船として使われています。ドイツというとあまり海軍や帆船のイメージがないかもしれませんが、ヨーロッパ北部の海洋貿易の中心的役割を果たしていた時代もあり、古くからの港町もたくさんあります。

そんなドイツ海軍でも、昨年マストからの転落事故があったそうです。それをきっかけに、士官候補生と上官の間で対立が起きたり、船の運用についての疑問が巻き起こったりもしているそうです。

船は、外部から遮断された空間です。そして基本的には、船長を頂点としたビラミッド型の組織構造となっています。閉鎖的で濃密な関係性は、うまく運用できれば素晴らしい成果をだすことができます。ただ、ひとつ間違えれば、末端の人間に大きな負担を与えることにもなってしまう。だからこそ「教育」という目的を持った船は、教える側のあり方について常に自覚的あるべきだと思うのです。

 

 

 

 バランスをとる感性 

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伝統的なやり方を大切にするのは、悪いことではありません。ただ、時としてそれは自分を見返したり、新しいことにチャレンジすることなく、現状を維持することへの言い訳になってしまうこともあるのではと思います。

話を船員教育にもどすと、船会社が求める人材も時代とともに移り変わっています。大手の海運会社の中には、商船系の大学ではなく一般大学の卒業生を自社の船に乗せて船員として養成しているところもあると聞きます。

社会が変わっていく中で、教育のあり方も変わる必要がある、ぼくはそう思います。そんななかで自分たちの価値を維持するためには、伝統の精神は残しながらも、未来を模索する姿勢が必要なのではと思うのです。

これからの時代に必要なのは、伝統と変革の2つの間でバランスを取る感性。
そんなふうに思うのです。

 

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
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第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
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第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
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第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
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第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
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第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
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第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
第32話 語学留学とセイルトレーニングは似ている?(2019.2.10) 
第33話 問われる想い(2019.3.10)
第34話 教えない、暮らすように(2019.4.10)
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 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
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田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。