もういちど帆船の森へ 【第36話】 「大西洋の風」を伝えるには / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦でも、おそらくその試みは失敗しました。同じように「月明かりの夜航海」とか「夜が明ける中で舵を握る」とか、どうしても伝えたいことは伝えられなかったと思います。そしてどうすれば「風の肌触り」を感じてもらえるのか、その答えはどうしても分かりませんでした。そしていまも。書けば書くほど、わかりやすい言葉に
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第36話   「大西洋の風」を伝えるには

                   TEXT :  田中 稔彦                      


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 申請書類を作るのが苦手だった

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一時期、「創業スクール」に通っていました。

カリキュラムのひとつに、「助成金や補助金について」というのがありました。申請書類の書き方やその勘所。お金を出す側の事情や思惑なども含めて、「お金をもらうにはどうすればいいのか」を学びました。

授業の一環で「自分がやりたい事業を想定して、実際の創業補助金の申請書を書いてみる」というのがありました。申請書類には「なぜその事業をやろうと思ったのですか」とか「この事業の社会的意義はなんですか」みたいな質問が当然ですがあって、ぼくはこれがものすごく苦手。

その後、実際に補助金や助成金の申請を何度かしたのですが、やはりここがうまくできなくて。大切なことを短い言葉にまとめてしまうと、どうしても自分の思いからどんどん遠ざかっていくように思えてならなくて。相手に合わせて、やりたいことをアレンジして書くことで失われてしまうものがたくさんあるような気がしてしまって。

ヒアリングの段階まで進んで、先方の担当者とお話することもありました。この場でもどうしても違和感が拭えないことがよくあって。相手に言葉が正しく伝わってないなと感じることもありました。

向こうとしてはこんなふうに修正して欲しいんだろうなあということを感じながらも、そこを変えてしまうとやりたいことと違ってしまうなあとジレンマを感じることも。先方も決して申請を落としたいわけではなく、むしろ申請を通したいがためにいろいろと考えてくれているのはよく分かるのです。

ただ、そもそものスタート地点で、相手の見ているものとこちらが提示しているものに「ズレがあるなあ」と感じることがよくあって、ぼくはそういうのは苦手で。

 

 

 

 言葉で見えないものを形にする

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この連載を始めてからちょうど3年。書き始めた頃とは、ずいぶんと環境も変わりました。頭の中で考えていたことのいくつかは、実現することもできました。そのことでまた、いろいろと考えが変わってきてもいます。

書くことで見えてきたことや、次につながったこともたくさんあって。書くことは、帆船にまつわる漠然と考えてきたこと整理することであり、新しい言葉や思いが生まれてくるキッカケにもなりました。

書くことはとても大切。その一方で、書くことでは届かない場所もおぼろげに浮かび上がってもくるのです。例えば「大西洋の風の肌触り」や「外洋の波」を知らないひとに伝えるにはどうすればいいのでしょう?

もう18年も前ですが、大西洋横断航海の航海記で「海洋文学大賞」という賞をいただきました

書く前に考えたことのひとつに、「自分が見たこと、感じたことをありのままに書く」というものがありました。

50人ほどの仲間と帆船に乗って、大西洋を風の力だけで渡る一ヶ月の物語。ドラマチックにしようと思えば、いくらでもドラチックに書けます。楽しく見えるようにしたければ、いくらでも楽しげに書けます。でも、そうしたくはなかった。

航海が楽しくなかったわけでも、ドラマが生まれなかったわけでもありません。ただそれは、あの日、あの夏、あの船に乗り合わせたぼくたちの物語。時間と空間を共有した仲間にしか、その芯にあるものは伝えられないもの。

以前、別の文章にも書きましたが、大賞を受賞した「帆船の森にたどりつくまで」という航海記は航海をともにした仲間と自分自身のために、記憶を定着させようと思い書いたものです。
誰かに読んでもらおうと思ったものではなくて。だったら応募しなくてもいいじゃないかと思われるかもしれませんし、その通りだとも思います。

ただ「海洋文学大賞」という文学賞が、体験を言葉にしようと思ったキッカケだったのは確かです。そして「大西洋横断」という他の人にはできない体験をどうせ書くのなら、賞を取ることを狙ってみようという色気があったのも本当。

みんなのために書くことと、自分のために書くこと。
ふたつの間で、ぼく自身が揺れ動いていたのです。

だからこそ「自分が見たこと、感じたことをありのままに書く」というルールを決めたのです。

体験を共有していないひとに、自分が見たものを正しく伝えるために。
そこに自分自身の中途半端な想像力が入り込まないように。

そう考えた理由のひとつには、ものを書く人間として絶望しかかっていたからというのがあります。元々は、英雄たちの活躍を描いたヒロイックファンタジーから物語を読む面白さに惹かれて、「いつしか自分でも書いてみたい」と思うようになり。その一方で、自由な想像力と緻密な世界設定が必要なファンタジーというジャンルは書き手としてのぼくとはすこぶる相性が悪くて。30歳を過ぎて物語を書くことから久しく遠ざかっていました。

最後のトライだと思っていました。

「海洋文学大賞」はタイトルどおりに「海洋」をテーマにした小説やノンフィクションが対象。それに対して「帆船で大西洋横断」という最高クラスの素材を手にして。これからもぼくが言葉で何かを伝えていこうと思うならば、その最高の素材で大賞を取ることは当たり前だと考えていたのです。

一方で、これは「書きたいこと」ではなくて「書かなくてはいけないこと」でもありました。ぼくだけの物語ではなく「ぼくたちの」物語でなくては、書く意味がなかったのです。「ぼくたち」が出会ったあの夏を、誰にでもわかりやすく書くことは簡単でした。

冒険とワクワク。恋愛と涙。友情と未来。
わかりやすい言葉で綴るのは簡単。でもそれはしたくなかった。

もしもぼくが素晴らしい物語を書ける小説家だったら、違うアプローチをしたかもしれません。そして最高のエンターテイメント小説が生まれたかもしれません。

だけど、そのときのぼくには書けなかったのです。それだけの力がなかったから。だから真逆のアプローチを考えたのです。

「自分が見たこと、感じたことをありのままに書く」というルールをうまくやれたかどうか。
それはよく分かりません。書いたものが本当に「ぼくたちの物語」だったのかどうかも、ぼくにはよくわからないのです。そして、どうしても言葉では表現できないことがあることも、思い知らされました。

 

 

 

 形にならない大切なもの

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結果として「帆船の森にたどりつくまで」は、第五回海洋文学大賞を受賞しました。

書きたいことが全て書けたとは思っていません。体験を言葉にすることはとても難しい。ぼくは「大西洋の風の肌触り」を読み手に感じて欲しいと思っていました。それが伝わらなければ、この航海の本質も感じてもらえないと思っていたからです。

でも、おそらくその試みは失敗しました。同じように「月明かりの夜航海」とか「夜が明ける中で舵を握る」とか、どうしても伝えたいことは伝えられなかったと思います。そしてどうすれば「風の肌触り」を感じてもらえるのか、その答えはどうしても分かりませんでした。

そしていまも。書けば書くほど、わかりやすい言葉に落とし込めば落とし込むほど。本当に伝えたい大切なことから遠ざかっている、そんな感覚が常にあります。

「帆船」の現代社会における意味とは。

そんな問いかけには、いくらでもそれっぽい答えを並べることはできるでしょう。

教育、冒険、旅、仲間、レクリエーション……

答えは帆船に興味を持った人数だけあって。そのどれもが正しいと思う一方で、そのどれもがぼくが見てきたもの、ぼくが感じているものとは違っている、そういう感覚が拭えないのです。

たぶん、その違和感を掘り起こして、ぼくだけの「帆船」を探すこと。
それがいまのぼくに必要なことなのでしょう。
言葉を武器にして。
見えないものを形にして。
でも頼りすぎないで。
形なきものを、ないがしろにせずに。

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 
第25話 ロストテクノロジー(2018.7.10) 
第26話 あなたの帆船 (2018.8.10) 
第27話 15時間の航海(2018.9.10) 
第28話 その先を探す航海(2018.10.10) 
第29話 過程を旅する(2018.11.10) 
第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
第32話 語学留学とセイルトレーニングは似ている?(2019.2.10) 
第33話 問われる想い(2019.3.10)
第34話 教えない、暮らすように(2019.4.10)
第35話 心の火が消えることさえなければ(2019.5.10)

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。