舛廣純子が聞く「しなキャリ図鑑」 【第30話】 オペラ歌手のチカラ / 鵜木絵里さんの場合

masuhirojunko_long_bannerそれまで歌で生計を立てていくことに実感を持てていなかったのですが「あぁ私これを仕事にしていいんだ」と強く思えた瞬間でした。20代は周囲からも「で、本業は?」「いつ辞めるの?」なんて言われていたので、余計に許された気持ちになった
連載「しなキャリ図鑑」とは  【毎月1回更新 / 第4月曜】
「しなやかに生きる人のためのキャリア図鑑」の略称。キャリアカウンセラー舛廣純子が、イキイキと働く仕事人にインタビューし、その仕事に大切なチカラを中心にキャリア・仕事そのものも掘り下げます。10年後の未来に自分がどんな風に仕事をしているのかも見えづらくなった今の時代。インタビューを読むことで、自分の持っている力にも気づいたり、したことのない仕事に興味を持ったり、これから伸ばしたい自分の力を見つけられたなら、あなたの仕事人生も変化に対してさらに強くてしなやかなものになっていくかもしれません。

 

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第30話   オペラ歌手のチカラ 
探求と想像を積み重ねることで、伝統を再現し、後世に残す

TEXT : 舛廣 純子

鵜木さん写真①

教えてくれた人 
鵜木 絵里(うのき えり) オペラ歌手 

東京藝術大学卒業。同大学大学院オペラ科修了。二期会オペラスタジオ42期修了。修了時に優秀賞受賞。イタリア政府給費生としてミラノ市立音楽学校に留学し研鑽を積む。現在まで、佐渡裕指揮、宮本亜門演出のミュージカル「キャンディード」クネゴンデ、「ホフマン物語」の機械人形オランピア、新国立劇場「魔笛」のババゲーナ、二期会本公演「コジ・ファン・トゥッテ」(2006年度文化庁舞台芸術大賞を受賞)のデスピーナなど出演多数。2007年より「日生劇場夏休み国際ファミリーフェスティバル、アリスのコンサートシリーズ」に11年連続でアリス役で出演。TV 「題名のない音楽会21」に多数出演。オペラシティ主催「B→Cリサイタル」、NHKFM名曲リサイタルへの出演など活躍の幅を広げている。桐朋学園芸術短期大学、桐朋学園大学非常勤講師。洗足学園大学非常勤講師。二期会オペラ研修所講師。二期会会員。


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<オペラ歌手にとって大切な能力はなんですか?>  
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1. 探求心     

「もっと知りたい」という知識欲があるかないかで、その時代や芸術家自身など、その音楽のバックグラウンドへの理解が変わり、出る音も違ってくると感じています。楽譜を見ながら、「この時代ならこんな風に歌うんじゃないかなぁ」「モーツァルトはどう感じていたのだろう」ととことん追求することで、深い表現が生まれてくるのではないかと思います。再現芸術であるオペラやクラシックには探求するチカラは必要なのだと思います。

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2. 常に疑問に思うチカラ    向上心

常に「これでいいのかな、でも他にも違うやり方もあるのではないかな」と自問自答して、自分に問いかけるチカラも必要です。「今日はこれでよかったけれど、本当はこういうのもできたんじゃないかな」とか、「昔はこうしていたけれど、こんな風にもできるんじゃないかな」とか、いつも自分自身を振り返り、自問自答しています。

「これでいいんだ」と思ってしまったら、そこでその人の音楽家としての成長は止まってしまいますが、自問自答を繰り返しながら、現状に満足せずに、「本当はもっとこうすれば」「こんな表現ができるんじゃないかな」と考えることは、オペラ歌手として成長していくには必要不可欠です。生身である自分自身が楽器だからこそ、という部分もあると思いますし、再現芸術だからこそ、という部分もあると思います。

 

3. 想像力

イメージする力はとても大事です。レッスンしていても、イメージできるかどうかで全然声は変わってきます。人にリクエストされたからやるだけでなく、自分自身が楽譜を読みこんだ時に、イメージすることができるかどうかも、表現するうえではとても大切です。仮に作曲家が喜びを表現したとして、それをすごく静かな喜びとイメージするのか、飛び跳ねるような喜びとイメージするのかによって、出てくる声は全く変わってきてしまいます。想像と探求を繰り返していると、もう永遠に終わらない作業になるのが、オペラの難しさでもあり、楽しみでもあります。


 

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<なぜオペラ歌手になったのですか?>  
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中学までバレエを習っていて、人前に出て何かを表現することはもともと好きでした。中学では演劇部で宝塚のファンになり、高校の時にミュージカルに魅了されました。中学時代の音楽の先生に私の歌を聞いてもらったら、「まぁ声は出る方なんじゃない」と言われたのですが、私はそれをポジティブに「出なくもないんだ!」と解釈しちゃったのです(笑)。それで、歌い出したら、もう楽しくなってきて。「大好きな舞台に近づける」音大受験を目指すことにしました。

一年浪人して、芸大に進学するのですが、この浪人の時間は受験のことだけを考え、音楽と初めて真剣に向き合い、「もっとやりたい、もっとやりたい」という欲が初めて持てた時間でした。「楽譜を見て、考えて、歌う作業が好きかもしれない」「あの曲もこの曲もやってみたい」と強く思ったのです。その頃初めて、オペラを観たのですが、それまでは、自分が歌っていることと、オペラが結びつくなど思ったこともありませんでした。「私の歌も積み重ねればオペラにつながるんだ」と初めて気づいたのもこの頃でした。

大学入学後、声楽を専攻し、徐々にオペラを勉強することにのめりこんでいきました。オペラは音域がとても広いので、しっかり勉強しないととても歌えません。また、クラシックは何百年も続いているだけあって、技術の幅もすごく広く、「次この曲を歌いたいな」という曲の音域が広かったりすると、音を出すだけで1年かかり、細かな音符を歌うだけで3年かかったりするのです。そういう奥深さに惹かれ、その奥深さを極めたいというまさに探求心のような思いがとても強くなっていきました。仕事になるかどうかはわからないけれど、「あの役をやりたい、この役をやりたい」という思いは日に日に強くなっていきました。

芸大在学中はすごく上手な人、努力ではなんともならないもともとの声の良さを持っている人も周囲にはたくさんいましたが、私は性格的に自分を否定するよりも、「何が違うのかな」「どうすればいいかな」と考えるタイプなので、めげることも少なく、探求する方向、努力する方向に向かっていきました

歌はほかの楽器に比べると遅咲きです。ピアノやヴァイオリンなどの楽器専攻の人たちは小さいころからみんなやっていますが、声楽は体がある程度でき上ってからでないと、声変わりもするので、安定して上達していきません。まさにオペラ、声楽は体が楽器なのです。その体を相手に、まさに探求、探求の日々。知識を習得し、技術を身に着けることに没頭し、そのまま大学院に進学し、大学院でもオペラを専攻しました。

大学院卒業後、二期会というオペラの研修所に1年間いました。二期会を卒業する時に優秀賞を受賞することができました。その後イタリア政府給費という奨学金をとり、イタリア留学しました。イタリアには1年間いましたが、行く前に受けていたオーディションが受かっていて、帰国後すぐにお仕事させていただけるラッキーな状況でした。

イタリアでは、「私が歌う場所は日本なのだな」ということも実感しました。私が伝えられることは日本人としてのものであり、イタリアで学んだものを日本に還元する方が自分にはあっていると思いました。また、イタリアに行ったことで、日本が好きだなということも実感しました。だったら、日本語の字幕が出る日本で、オペラをやろうと思いました。

日本のオペラの作品というのは、外国から来たものをうまく取り入れて行っていて、「日本の文化」みたいなものを感じます。「みんなにどうやったら伝わるか」と、かみ砕いて伝えようと考えられるのも日本のオペラの特徴なのかもしれません。本家本元のパワーあふれるオペラとはまた異なる、それは日本のオペラの一つの魅力ではないかなと思っています。

日本に戻り、初めて立ったステージが「ヘンゼルとグレーテル」でした。今まで幾度となく出演してきた思い入れのあるプログラムです。小柄な見た目もあり、今年も舞台に立たせていただきました。私にとって大切なプログラムです。

「今もう少しできること、もう少しできること」と学び続けた20代でしたが、今もそれは変わりません。今目の前のことをともかく頑張ってきた20年でした。

 

 

 

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<オペラ歌手とはどんな仕事?>

大きな舞台に向けてはオーディションを受けて立ったり、それ以外にもいろいろとステージのお仕事のご依頼があって歌わせていただいたりしています。あとは、アウトリーチ事業と言って、教育機関で子供に本物を体験させるという位置付けで歌いに行ったりもします。今は3つの教育機関で音楽の講師もしています。あとは二期会という研修団体でも教えるお仕事もしています。

大きなオペラの舞台だとステージ前完全拘束という期間があり、収入は保証されるものの、2週間から1か月間、お稽古のために拘束され、他の仕事は基本的に一切入れられません。小さなステージだったりするとそこまで拘束はありませんが、お稽古はあります。お稽古も当然お仕事の一部です。

オーディションには、一つの役に大勢の人が受けに来ます。特にソプラノは競争が激しいです。ソプラノだけで5段階ぐらい声のレパートリーがあり、自分の声がどのレパートリーなのかによって、声にあった役のオーディションを受けます。なんでも歌おうなんてすると、声を壊してしまいます。自分の声は本当に楽器みたいです。

楽器と同じで、持って生まれた体によって、出る声は違います。オペラができたのは1600年。楽器も今よりももっと小さくて、木でできていて、華奢だったため、その頃作られた楽曲というのはサロンで聞くためのものでした。そういう曲が合う声の人もいれば、近代になると楽器も金管楽器のような大きな音の出るものが誕生して、それらとともに大きなホールで歌うのが合う声の人もいます。体が大きくて声のボリュームがある人はそういった近代にできた楽曲が合います。ヴェルディやモーツァルトも声によって合う人合わない人がいますので、体格骨格により、お仕事できる楽曲も変わってきます。

 

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<一日の仕事スケジュールは?>


7:30  起床
9:00  出発
10:20~12:10 教育機関での授業
学校でお昼を食べる時もあれば、移動を急ぐため、車中でおにぎりを食べてランチを済ませることもあります。
14:00~17:00 次の日のステージの本番のリハーサル
17:00~18:00 移動
18:00~21:00 週末のオペラのリハーサル 

1日に3つの現場に行くことが多いです。

 
 

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<仕事のやりがいや面白みはどんなことですか?> 

人前で演奏する仕事なので、聞いてくださっている方の反応が目の前で返ってくる仕事で、それはやりがいであり面白みです。教育機関関係のお仕事で小学生の前で歌ったりすると、特にわかりやすい反応が返ってきたりする時は嬉しいなと思います。

やりがいというところで一番心に残っているのは、東日本大震災の時の経験です。自分にとっての音楽という仕事を見直した時間でもありました。自分たちの仕事は傷が癒えるわけでも、お腹が膨らむ仕事でもなく、何もできないと思っていた時、5月に仙台フィルハーモニーの方と一緒に被災した小学校を回ってほしいとお仕事の依頼をいただきました。昨日まで遺体安置所だった体育館で歌ったのですが、怖がって体育館に近寄ることができなかった子供たちも関係者の方たちも、ステージをとても喜んでくださいました。音楽で心がちょっと治ることをお手伝いできたことが嬉しくなりました。

「不安な思い出のある体育館で、また遊んでくれるかもしれない」「自分が音楽をすることは、聞いてくださっている人の中で、何か小さな変化を生み出すことができるかもしれない」と思えた瞬間でした

 

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鵜木さん写真③

<もっとも嬉しかった経験はどんなことですか?>

仕事が続くきっかけになったのは、30歳の時にやらせていただいた宮本亜門さん演出の「キャンディード」という作品で、大きなプロダクションがオーディションをした作品でした。

大学卒業演奏会の時に歌ったとても好きな作品で、イタリアにいる時にそのオーディションがあり、一度は配役も決まっていたのであきらめていたのですが、再オーディションでお声をかけていただき、役をいただけた作品でした。自分の中で「これはチャンスだ」と思った瞬間で、自分にフィットする作品でしたし、「これはきっと縁がある」とどこかで自分を信じて、オーディションを受けに行った作品でした。

大好きだった作品を大きいプロダクションでやらせていただくことができた初めての経験で、今はなくなったパルコ劇場での公演だったため、自分の顔写真が大きくJR渋谷駅の構内に貼られていたのです。それまで歌で仕事をしていく、生計を立てていくということに正直実感を持てていなかったのですが、「あぁ私これを仕事にしていいんだ」「歌を仕事にしたい」と強く思えた瞬間でした。「もっとやっていいんだよ」と許してもらえたようなそんな気がしたのです。20代は周囲からも「で、本業は?」「いつ辞めるの?」なんて言われていたので、余計に許された気持ちになったのかもしれません。

「もう後戻りはできない、歌を仕事にしよう」と覚悟になった作品でした。

ミュージカルの人と半々のキャスティングで、憧れていた世界の人たちと一緒にお仕事ができ、自分が勉強してきたオペラで、自分のままで一緒にお仕事をさせていただけた、夢がかなった瞬間でもありました。

 

 

<逆に今まででもっとも大変だった経験は?>

体が変わる時期は大変でしたよね。厄年ってやっぱり女性の体の変調期で、30代は体調や声に波があり、体調によって敵面に声が出なかったり、つらかった時期でした。

ステージにはどうにか立てているのですが、すごくつらいときはやはりそれがパフォーマンスにつながってしまい、気持ちとしてもつらかったです。40代になり、体調も少し落ち着き、安定しました。体が楽器なので、体に向き合う作業がつらかったです。

今も体調は崩さないように健康管理には気を付けています。私は食生活はそれほど気にしないですが、夜寝る時はマスクをして、首に日本手ぬぐいを巻いて、足はレッグウォーマーを巻いて寝ています。冷えると朝起きた時に喉が痛かったりすることがありますが、マスクをしていると、乾燥しないで済むので、のどが痛いということにはなりません。あとはお水をよく飲むようにしています。

 

 

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<オペラ歌手の仕事の未来はどうなっていくと思いますか?>

なかなか若い方にオペラのすそ野が広がらないのが、今の課題ですね。年配のファンの方はたくさんいるのですが、もっと若い方にも気軽にオペラを聞いていただけるといいなぁと思っています。

一方、最近の若いオペラ歌手の方は、すごく資質がそろっている方が多いです。きれいで、背も高く、声も出て、ヨーロッパでも十分やっていける方が増えてきていると思います。そういう方たちの登場で、スター的な存在の方も生まれるなどして、もっとオペラもすそ野が広がっていけばいいなと思っています。

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<今の仕事と同じように向いていそうな仕事はありますか?>

ひとつのことを黙々とやるのが好きなので、伝統工芸とかを黙々と作る職人のような仕事は向いているのではないかなと思います。探求して、「こうしたいな」「あぁしたいな」と想像力を膨らませ、実力をつけるのに何年もかかるような仕事が好きです。絵画を修復する仕事とかも見ていると、楽しそうだなと思ってしまいます。今もクラシックに向き合い、いろいろな想像力を働かせ、音楽として作っているのはすごく好きなのです。

伝統を受け継いで後世につなぐ、その中に自分が入る、ということに魅力を感じています。伝統、つまりいいものは残り、みんなが大切にし、みんなに愛されます。万人に愛されるその伝統を今の世代のスタイルで愛していく、歴史の流れの一人になるようなそんな実感を持てる仕事が好きだし、向いているのではと思います。

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キャリアカウンセラー舛廣純子の  シゴトのチカラ考察  .

 

音楽というとアートでクリエイティブなものというイメージを持ちやすいですが、再現芸術であるオペラを探求し続ける鵜木さんは、どちらかというと「職人」気質、「研究者」気質の強い方なのだなと強く感じました。同じ音楽でもジャンルによってこうまで違うのかというのは正直驚きでもありました。

何年その道を極めても、私たちは何百年も昔のモーツァルトと同じ時代を生きることも、その光景を目の前に見ることもできません。「正解」を見ることはできないのです。だからこそ探求し、疑問に思い、想像し続けることが必要なのでしょう。もしかすると「伝統」に関わる仕事をしている人は、皆そういった側面はあるのかもしれません。

芸大時代のお話を伺った時、周囲にはたくさん歌の上手な方もいたそうですが、「私は性格的に自分を否定するよりも、「何が違うのかな」「どうすればいいかな」と考えるタイプなので、めげることも少なく、探求する方向、努力する方向に向かっていきました。」とおっしゃっていた鵜木さん。この20年間「今もう少しできること、もう少しできること」を求めてここまで来たともおしゃっていました。

鵜木さんの探求心向上心のベースにあるのは、もしかするとポジティブに前進するチカラなのかもしれないな-インタビューを終えた後、私の心までもがポジティブパワーに包まれていることに気づき、ふとそんなことを感じました。

 

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(次回もお楽しみに。毎月1回、第4月曜に更新します) =ーー

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舛廣さんってどんな人?

PEOPLE 04 舛廣純子(キャリアカウンセラー)
就職は子育ての最終章。就活生の親に読んで欲しい本を出版

 


舛廣純子

舛廣純子

ますひろ じゅんこ フリーランスキャリアカウンセラー。1972年、東京都出身。日本女子大学人間社会学部文化学科卒業後、化粧品商社に営業職として入社。会社の民事再生、自身の出産・育児を機に2 回の転職を経験。自らの転職経験からキャリア支援に関心を持つようになり、社会保険労務士、キャリアカウンセラーの資格を取得。2007 年、キャリアカウンセラー・講師として独立。大学生の就職支援・キャリア教育、社会人の転職支援・キャリア形成支援を中心に活動。支援学生の高い就職率とわかりやすいセミナーには定評がある。特技は長所探し。2013年12月に学研教育出版から『就活生に親が言ってはいけない言葉 言ってあげたい言葉』を出版。ブログ:http://ameblo.jp/shuukatsumamanoblog/