面倒な映画帖46話 謎の行動はフロンティアに通ず 『フランス軍中尉の女』/モトカワマリコ

面倒な映画帖コンビニのビニール袋が、どこへ行くつもりだったのか、誰にもわからないのは、袋に意図がないからなのだが、人間の行動が謎なのは未知なる独特な価値観があるから。フロンティアにいるなら本人の中で顕在化していないので、説明も難しい。しかし、それはフラグでもある。

< 連載 > モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。

. .

. .
面倒な映画帖46「フランス軍中尉の女」

謎の行動はフロンティアに通ず

51KPQBQJVkL

 

風が強い、2枚のコンビニのビニール袋が、イキモノのような形にふくらんで縦列したまま道をすべる。どこへ行く気なのか?混雑する国道のバイパスになっている道は、強風のせいか車はなく、二つの小さな白いお化けの専用レーンのようだ。すすーっと視界の外れまで滑っていき、最後は離陸、そうか飛べるんじゃない。ふわりとグレーの空に2つの小さな白い影が浮かび、たちまちどこかに消えていった。

 

コンビニの袋が飛んで行った件については、どう読み取ってもいいわけだが、「なんのために?」こそが解釈の胆だ。デキル人はそれを常に携えて生きている。それこそがステップアップの基本。常に社会的ものさしで測る視点、科学に着目、日本人の感性に題材を求めるなど、意義深い取り上げ方というのは、無数にある、例えば・・・

① コンビニの袋は簡単にもらえるけれど、EUではプラスチックバックが禁止されつつある 安易にゴミになるようでは、日本でも規制をすべきなのでは

② ビニール袋が舞い上がるような強風が吹いているのは、温暖化の影響かもしれない。日本ではあまりなかったトルネードが、最近各地で起こっているのが問題だ。

③ 動くものすべてに感情移入し、主体性を見るのは、日本人の特徴だ。アニミズム的な感性は欧米にはあまりなく、今後のロボティクス産業に活かされれるべきだ。

・・・この件の真実は、もちろん強い風でビニールの袋が舞い上がったという事実だけだ。

 

「なんのためにそんなことすんの?」

という謎の行動だけで、2時間以上物語を引っ張る映画がある。 観客動員ではパンダみたいになっているメリル・ストリープの80年代作品で、これもアカデミー賞主演女優賞を取っている、彼女の絶頂期で「ソフィーの選択」しかり。 美人じゃないのに惹きこまれる女、中学生の私はすっかりいかれてしまった。生き方のバランス感覚も秀逸。出る作品受賞する本格的な俳優にして、家庭をもち、子どもも育てる。女優の仕事はパートタイムで母親業には向いているそうだ。世間を知らないとか、お嬢ちゃん女優などと批判される中、揶揄では覆せないドンと充実した人間性を感じる。それあっての、フラジールな演技もできる。役柄を自分の外側に創造している。褒めすぎ。人生の師匠だから。

 

脚本はハロルド・ピンター、ノーベル賞を受賞したイギリスの劇作家であり、パラレルに進行する2つの世界を緊張感マックスのまま螺旋に組み上げる手腕が圧巻。主人公は4人いて、現代で映画を撮影している主演俳優のカップルと、その二人が演じている19世紀の劇中カップルの4人、ストリープも共演のジェレミー・アイアンズも二役続演じているが、双方の次元で二人は恋愛関係にある。 現代のシークエンスは物語の楽屋落ちで、ピリピリした19世紀のドラマ進行の幕間狂言のような役割をもつ。映画スターあるあるみたいな感じ、売れっ子俳優同士の不倫劇、恋愛関係を演じているうちに、つい恋愛モードになってしまって、みたいな。それも演技だから、19世紀の物語の外側には、演じている不倫と、本物の映画スターの日常があり、3重構造になっていることも、観客の意識のうちになる。

 

謎は、アンナという「フランス軍中尉の愛人」であるヒロインだ。彼女は婚約者のいる考古学者を篭絡する、虜にしたところで、男から逃げるのだが、後ろをチラチラみながら走るような感じで、「逃げるわよ逃げるわよ~」と背中で叫びつつ逃げまくる。こういうタイプはもてる、心おきなく追いかけさせる手腕って、なかなかストイックで高度。男はついつい女を夢中で追いかける中で、社会的地位を失い、堕落してしまう。だからって意図的に彼を苦しめようとしているのでも、それを餌にさらに大きな魚を釣り上げようとしているわけでもない、彼女も彼を愛しているし、できるなら恋人同士でまとまりたいと思っているのでは?とも思われる。でも「幸福」な形に収まりそうになると、彼女は男から逃げ、理由がわからなくて攪乱された男は、いつまでも追いかけ続けてしまう。まさに地獄の果てまでも。男には、なぜ誘惑するくせに、いざとなると拒むのかわからない。男と女の間にある溝だ、というわけでもない、だって見ている女性観客にだってわからない。道ならぬ恋の甘い展開を期待していると、誘惑と裏切りの繰り返しばかりで、心が痛む。恋愛映画だと思って入った人は木戸銭返せである。アンナの仕打ちがひどくなるにつれ、現代の不倫カップルの雲行きも怪しくなり、そこ影響するんだねえ?と人間の性を想ったりもする。

 

アンナはどうして、彼と幸福な人生を歩めそうになる都度、幸福の芽を摘むのか?観客は、わからない中で、彼女が最終的に落ち着いた家で答えに行き当たる。彼女は自分の不幸を凄まじい迫力の自画像に描く画家だった。愛する相手から自分で逃げておきながら、叶わぬ恋に苦しむ自分を描く。それで画家として評価されて、今はアトリエで作品を描きながら独立を果たした、というオチだ。

 

なんだ、芸術家だったのね!

自分を知るために、渇望を招き、自分ならではの表現を研ぎ澄ますために、彼女は恋愛を使って、自分を生き地獄に落としたわけだ。ついでに相手も。19世紀だ、若い女は才能があっても、芸術家として独り立ちすることが難しい。有力者の愛人にならずに、力のある男の後押しなしに、独立して生きていくことを求めていたから、安易に助けてくれそうなパトロンも、自分のために地位も財産も投げ出すような男も、邪魔だったということ、なのだろうか。 アンナにはモデルがある、イギリスの古生物学者メアリー・アニング。化石収集が学術的意味を持ち始めた頃に、観光客相手に化石を売っていた女性で、のちに学術的な発見をして、評価された女性学者だ。19世紀では、身寄りのない女性は、結婚するか、誰かの愛人になるか、せいぜいメイドか家庭教師かという中で、自分の技術を使って独立して生きていこうとしたのだ。でも世間ではそういう女性の生き方は理解されず、彼女が向かっているゴールがなんだか、紳士たちには特に謎だった。

 

初めから「19世紀の女性が男性優位社会で苦しみながら、経済的に独立する方法をさぐり、生き方を求める映画」とでも説明してしまえば、フェミニズム映画ね?と割り切れるが、恋愛映画としては、道ならぬ恋に落ちた不幸な生まれの哀れな女が、なぜか恋人の愛や保護をこばみ、不幸へ不幸へわざと舵を切る、自虐的な行動は矛盾だらけで、ちっとも幸せな気分になれないし、女性ホルモンも上がらず、観客を欲求不満に陥れる。

コンビニのビニール袋が、どこへ行くつもりだったのか、誰にもわからないのは、袋に意図がないからなのだが、人間の行動が謎なのは未知なる独特な価値観があるから。本人の中で顕在化していないので、説明も難しい。しかし、それはフラグでもある。なんかこの人意味不明、ひょっとしてバカ?と思う人がいたら、すぐに連絡先を知りたい、お友達になりたい、それはクエストの現れであって、私が変態だから、ではない。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。