もういちど帆船の森へ 【第24話】 理解も共感もされなくても / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦コロンブスが西インド諸島に到達する500年も前に、北欧バイキングは大西洋を越えて北アメリカに到達していた、という話をした。その時、一緒に飲んでいた人に「ここにいる20人で、その頃の船に乗り込んでヨーロッパからアメリカまでたどり着けますか?」と聞かれた。その時は「それって無理でしょ」という話の流れ
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第24話   理解も共感もされなくても

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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ある冒険家の死

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少し前の話になりますが、登山家の栗城史多(くりきのぶかず)さんがエベレスト登攀中に亡くなられました。八度目のチャレンジ。死因は滑落という話です。

ご存じない方もいると思うので、簡単に説明します。栗城さんは「冒険の共有」をキーワードに活動していた方です。計画段階から多くの情報を公開し、登山途中も多くの動画や静止画を発信し、GPS情報などでどこらかでも行程をトレースできるようにして世界最高峰のエベレストにチャレンジしていました。

講演会なども精力的にこなし、登山界隈以外にも多くのファンがいました。一方で、山岳関係者からは批判的な声も多く聞こえあったことも事実です。栗城さんは単独無酸素登頂にこだわり、また難易度が高い登攀ルートを選び続けていました。その態度は彼の登山技術からは可能性の低い「無謀」なチャレンジと評価されることがほとんど。ボクシングでいうと、四回戦の選手が世界チャンピオンにチャレンジするようなもの、と例える人もるくらい。

また難易度が高いチャレンジにもかかわらず、事前の準備が不十分だったり、直前の予定変更をくり返してタイミングを逸したりと、登山計画の実施能力自体を批判する声もたくさんありました。セオリーを無視した計画で、毎年のようにエベレストにチャレンジし失敗を繰り返すことから、ネットでは「プロ下山家」と揶揄されたりもしていました。

栗城さんに興味を持ったのは、比較的最近のことです。なぜ成功の確率がほとんどないチャレンジを繰り返すのか、気になったから。

彼が目指していたのは「七大陸最高峰の単独無酸素登頂」。エベレスト(アジア)以外の、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、南極の六つには成功し、最後に残ったのがエベレストだった。

実は、エベレスト以外の六峰はノーマルルートで登っている。技術的にもそれほど難しくはないとも聞く。(もちろん簡単に登れるわけではないけど)

なのにどうして、一番難しいエベレストだけは、敢えて難易度を上げて臨んだんだろうか。そして、失敗を繰り返してもなお、チャレンジし続けたのだろうか。

 

 

もしも1000年前の船で航海したとしたら

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栗城さんのことをいろいろと考えていて、ふとあるできごとを思い出した。

一年くらい前の話。酒の席で、

「コロンブスが西インド諸島に到達する500年も前に、北欧バイキングは大西洋を越えて北アメリカに到達していた」

という話をした。

その時、一緒に飲んでいた人に

「ここにいる20人で、その頃の船に乗り込んでヨーロッパからアメリカまでたどり着けますか?」

と聞かれた。

かなり飲んでいた時なので、どうしてそういう話になったのかはわからないけど、「それって無理でしょ」という話の流れだったような気がする。

その時は軽く流れた話だったのだけど、なんとなく気になって、どうしたら成功するのかを時々考えたりしていた。

「当時の船」とか「当時の航海技術」という条件も、細かく考えていくと、いろいろとややこしい。例えば、航海術とか天候や潮流のデータは、当時だと国家機密レベル。知識の体系としては存在していても、国や部族の外へ伝へることは厳禁だったと思われる。

北大西洋のバイキングは、北欧からアイスランドを経てグリーンランドまで、その頃すでに定住していた。だから歴史上は存在していない北大西洋の航路が、実は存在していた可能性はかになり高い。そうした季節風や潮流、天候のデータを利用できるかできないかで、成功の確率はかなり変わってくる。

そして、そもそも「成功」と「失敗」の基準はなんなんだろう。

・20人が一隻の船に乗り込んで出発して、全員が目的地に上陸できれはもちろん成功。
・では船は大破して、たったひとりが生き残り、目的地に半死半生で打ち上げられたら、これは成功なのか?
・あるいは20人が3隻の船に分かれて、2隻は途中で沈んでたった一隻だけたどり着いたら、それは成功?

「現代人が10世紀の船で大西洋を横断できるか?」という元々はとてもシンプルな話だったけど、チャレンジの条件や成功の基準を突き詰めていくなかで、ぼくの中では「そもそも、何が成功なのか?」ということのほうが気になっていったのだ。

19人が死んでも、ひとりが生き残れば成功。
2隻が遭難しても、1隻がたどり着けば成功。

たぶん、いまの時代ではそういう考え方はあまり支持されない。でも、少し時代を遡れば、当たり前の考え方だったのだけど。

外から見る成功の基準は、社会によって左右される。そしてチャレンジする本人が隠し持っている成功の基準は、本当は誰にも分からない。

 

 

成功とはなんなのか?

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あらためて、栗城さんにとって「成功」とはなんだったのだろう。亡くなる前から、機会があれば一度伺ってみたいと思っていた。彼が無謀なチャレンジを続ける理由と、彼が考えるゴールのことを。

エベレストへのチャレンジを始めた頃は、マスコミなどからも注目も大きかった。失敗を重ね、凍傷で指を失った。外部へ向けてアピールしていたことと、実際の活動との乖離もあったと聞く。離れたいったスポンサーや支援者もいたそうだ。「冒険の共有」をうたっていたはずなのに、発信もだんだんと少なくなっていった。

それでもなぜ、登り続けるのか。いまはもう聞くこともできない。そして答えは、彼にもはっきりとわからなかったんじゃないか。そう思ったりもする。

亡くなった後で、様々な人がそれぞれの立場で、彼について語っている。期待を寄せる人たちからのプレッシャーが、彼を無謀なチャレンジに駆り立てたのではないかと言う人もいる。登頂が成功してしまうと自分の存在価値が失われるのではないかという恐れから、あえて確率の低いチャレンジを繰り返していたのではないか、と言う人もいる。いろいろと読み比べていると説得力のある記事も多い。

でもね。

彼の中では「成功」の基準は確かにあったのだろう。
それは本当に、エベレストの頂点に立つことだったのか?
その過程を、映像を通じて多くの人と共有することだったのか?

「冒険の共有」という言葉は、とてもキャッチーだ。聞く人は誰もが納得する。でも、その分かりやすいフレーズの中に、彼のやりたかったことのすべては込められているのだろうか? 現実の彼の行動を見ていると、それだけでは足りないように思えるんだけど。

チャレンジの真の動機は何だったのか、それは彼にしか分からない。

でも、ぼくは考える。

他人にわかりやすい形で表現することなんてできない、彼自身にも掴みきれていない、もっと奥深い形にならない思いがあったんじゃないのかって。伝えられない、伝えても共感が得られない、他人の想像する「成功」とは全然違うもの。そんな「何か」につき動かされていたんじゃないのかと、ぼくはつい想像してしまう。

人はなぜ、挑戦をするのか。

ここ一年くらい、そのことがとても気になっている。冒険家と呼ばれる人から話を聞いたりもした。だけど分からない。なぜ、合理的に考えるとうまく説明できないことに、情熱を燃やすのか。ときには命を賭けてまで。

そのことが気になっているのは自分のなかで「冒険」への傾斜が強くなってきたと感じているから。自分自身が、いつ足を踏み外すのか分からない危うさを感じている。うまく伝えることができない感情が、世間的な価値観に照らすと全く意味のない情熱が、心の奥深くで動き出したことに気づいてしまったから。

栗城さんが亡くなったことは、ぼくにとっては他人事ではなくて。無謀な挑戦を繰り返して命を落とした彼とぼくは、確実につながっている。そしてあなたも、もしかしたらつながっているんじゃないかな?

理解も共感もされないような衝動を、あなたは持っていませんか?

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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(2015.6.15)
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自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。