もういちど帆船の森へ 【第23話】 ふたつの世界 / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦舞台照明家が、海について語る。ただの連絡ミスだったのですが、偶然生まれたこのシチュエーションは、自分の中の思い込みを取り払ってくれました。そして、これから何を語っていくのか、その道もぼんやりと照らしてくれた、そんな気がするのです。ぼくのタイトルは「海から眺める武蔵小杉」。武蔵小杉はそこそこ内陸
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第23話   ふたつの世界 

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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あなたの肩書は?

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先日、あるところで船や海の話をする機会がありました。

その告知文での肩書が「舞台照明家」となっていました。当初、舞台照明をテーマにするのか海について話すのかをあいまいなまま進めていたので、そういうことが起こったみたいです。

はじめは、肩書を「帆船乗り」に直してもらおうと思ったのですが、告知文を読み返しているうちに、「舞台照明家」が「海や船について語る」のも面白い気がしてきたので、そのままにすることにしました。

話をしたのは「こすぎの大学」という企画で、武蔵小杉の地元の方が運営。月に一度、講師を呼んで武蔵小杉と関連のある話を聞くというイベントです。

ぼくのタイトルは「海から眺める武蔵小杉」。ご存知の方も多いと思いますが、武蔵小杉はそこそこ内陸にある街です。多摩川がすぐ近くを流れているので川とは縁のある街ですが、海とはあまり関係ありません。(東京湾からだとタワマンの先っぽくらいは見えるよと知り合いの船乗りさんは言ってましたが)

そんなわけで、どういう話をしようか結構悩んでいました。多摩川経由で海とつなげようかと思い、武蔵小杉から多摩川沿いに河口まで歩いてみようとしたりもしました。しかしこれは結局、一時間ぐらい歩いてギブアップ。しばらく歩いたもののなんだか全然ピンとこなかったので。

その後もずっとモヤモヤしていたのですが「舞台照明家」が「海や船について語る」という枠組みになったときになんとなく見えてきたものがありました。「視点が変わる」話と、「職業船員ではない自分がどこまで遠くまで行ったのか」という話でした。

帆船乗りの肩書で考えていると、海と武蔵小杉をつなげる物語は描きにくいと感じていました。そこにもう一つ舞台照明家という肩書が入ることで、ぼく自身の視点が変わり、違うストーリーを思い浮かべることができるようになったのです。

当日、もちろん帆船の話にもそれなりに時間をかけましたが、かなり長く話したのはウツボ料理についてでした。いままでだったら、しないアプローチ。でも、いままでとは違う面白さはあったんじゃないかと感じています。

当日のグラフィックレコーディング

当日のグラフィックレコーディング

普段から「海に出ることで視点が変わる」という話はよくしていました。体験が視点を変える、その面白さについて語ったりしていました。けれど肩書が変わることで視点が変わるのは、日頃フリーランスとして肩書と関係なく仕事をしているぼくには、とても新鮮な体験でした。

「帆船乗り」という肩書を使っているのはアイキャッチとしてのインパクトがあるからです。日常的に「帆船乗り」と名乗っている人はほとんどいません。ぼく個人や活動内容に興味を持ってもらうために、「帆船乗り」という肩書はとても便利。しかし「帆船乗り」と名乗ることで、自分で自分を縛っていることもあると感じたのです。

 

プロフェッショナルじゃないけど

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もうひとつ、肩書を変えて言えるようになったのは「職業船員ではない」ということです。ぼくは帆船での航海経験はそれなりにありますが、決して職業として船に乗ってきたわけではありません。

隠しているわけではないですが、あまり積極的に話すこともありませんでした。あまり意識してはいませんでしたが「帆船乗り」→「帆船についてはプロフェッショナル」というようなイメージを押し出したかったのだと思います。

しかし資格を持っているわけでもなく、職業船員としての勤務経験があるわけではないのも事実。そしてこの点についても、自分の肩書を変えてみると、別にネガティブな要素でも何でもないと思うようになりました。

むしろたくさんの人に海に出る体験をしてもらうのならば、職業船員として経験を積んだことや、人生の大半を海で費やしてきたことをアピールするよりも、「舞台照明家でありながら航海を重ねてきた生き方」を語ったほうが共感してもらえるのではないかと思うようになったのです。

そしてなんだかそんな感じのほうが、ぼくにはしっくりする気がしました。「帆船乗りとしてすごい経験をしてきました」と訴えるのは、ぼくの元々のキャラクターとなじまない。むしろ舞台と帆船、ふたつの世界を行き来しながら暮らしてきた、そういう人として見てもらったほうがあり方として近い、そう思うのです。

 

 

ふたつの世界で

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帆船に出会ったのは20代後半。その頃、「もっと早く帆船と出会っていたら、プロの船員になったのに」と思ったこともありました。また何度かは真剣に海員学校に行って海技士の免許を取ろうかとも考えました。

でも、多分違うんです。ふたつの世界で暮らし、育ってきたのがいまのぼくなんです。

以前、ORDINARYにも書きましたが、もともとは大好きな舞台の仕事をキライにならないために帆船に乗り始めたのです。

舞台の世界で働いてきたから帆船と出会い、ハマったのだし、帆船の世界で過ごす時間があったから、舞台の世界で生き続けられたのです。

ぼくを取り囲むふたつの世界は決して切り分けることなんてできないし、だからこそぼくは少しだけ特別な存在なのだと思います。帆船乗りは、この世の中には大勢います。ぼく程度のキャリアの人は、世界を見渡せばそれほどめずらしくもありません。職業船員ならなおさら。舞台照明家だって、たくさんいます。

でも「舞台照明家で帆船乗り」は、世界中でもそれほど多くはいないでしょう。そしてぼく自身も、両方の世界を愛しています。両方の世界で見てきたもの、学んできたことはそれぞれが影響しあって、ぼくにしか見えない風景を見せてくれています。

「舞台照明家が、海について語る」

ただの連絡ミスだったのですが、偶然生まれたこのシチュエーションは、自分の中の思い込みを取り払ってくれました。そして、これから何を語っていくのか、その道もぼんやりと照らしてくれた、そんな気がするのです。

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。