もういちど帆船の森へ 【第21話】 逃げ続けた / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦7年前の東京でも劇場は閉ざされ、空っぽのままで誰からも省みられなくなりました。舞台照明デザイナーのぼくは、震災があってその先一ヶ月の仕事がすべてキャンセルになりました。演劇の人は、みんな問いかけられたのです。この世界に演劇なんてものは本当に必要なのか、と。ではぼくはどうしたかというと
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第21話   逃げ続けた

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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このエッセイが掲載されるのは、3月10日の予定です。
翌日は3.11。7年前に東日本大震災が起こった日です。

身近な人や自分自身も、大きな被害を受けたわけではありません。

だから、何かを語ることはしませんでした。
ぼくには語る資格も意味もないと思っていたので。

 

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いまになってその話をしようと思ったのは、ある女優さんと会ったからです。

彼女が演劇を学ぶためにフランスに渡った数日後に、東日本大震災が起こりました。
そしてパリで、プロの俳優としての一歩を踏み出そうとした日に起こったのが、パリ同時多発テロでした。

世界の見え方が一変するほどの、不条理な災い。
直接の被害こそ受けなくても、人生が変わった人は大勢います。

7年前の東京でも、3年前のパリでも、劇場は閉ざされ、空っぽのままで、誰からも省みられなくなりました。

7年前のぼくは、東京で舞台照明デザイナーという仕事をしていました。
震災があって、その先一ヶ月の仕事がすべてキャンセルになりました。

演劇の人は、みんな問いかけられたのです。
この世界に演劇なんてものは本当に必要なのか、と。

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7年が経って、いまの日本では、あの頃と同じようにたくさんの芝居が上演されていて。
何事もなかったように見えるものの、芝居のない不安な時期を耐えてやり過ごした人はたくさん。

でも、人生が変わった演劇の人も何人もいる。

演劇から離れることを選んだ人。
進むはずだった道を閉ざされた人。

一方で、より深く、演劇の人であることを選んだひとも。

ではぼくはどうしたかというと、逃げた。

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本当のところ、震災があろうがなかろうが、演劇の人はシャイで繊細で壊れやすい。

そしていつも問いかけられている。
この世界に演劇なんてものは本当に必要なの?、と。

ある日、気がつくと、演劇の世界からいなくなっていた人は数え切れない。
演劇の人でありつづける理由を見失って、消えていく。
才能も情熱も努力も関係なく、いつ、誰が、だまって去っていくのか、誰もわからない。

一ヶ月間のスケジュールはキャンセルになったけれど、その先の仕事は少しずつ戻ってきていた。

居心地が悪かった。
理由なく演劇の世界にいつづけることが。

ただ責任感だけから、ぼくは残った仕事をこなし続けた。
新しいオファーはすべて断っていた。

半年が経って、ようやく予定表が真っ白になった。
エスケープ完了。

逃げ出したのは、初めてではなかった。
何度も何度も。

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「逃げ」という言葉への違和感を書いたツイートが、ちょっぴり注目されている。

https://twitter.com/YUZURNRN/status/821664198660935681

 

まあ、たしかにそう。
でも、逃げでもいいと思う。

「休養」とか「解放」とか「ステップアップ」とか、そんなエクスキューズは必要ないんじゃないかな?

ただ闇雲に逃げてみてもいい。

ぼくは逃げるたびに、逃げたもののことを、かえって好きになったりもしたから。

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阪神淡路大震災で、実家が被災した。
フリーランスになって二週間目のことだった。

そのころは実家に帰りたくなくて、地元の友人たちとも疎遠になっていて。

両親からは「無理して帰ってこなくていい」と言われた。
インフラは復旧していないし、水や食料も不足気味だし。

それを言い訳にして、逃げた。
震災直後に帰らなかったために、ぼくは地元に帰るきっかけを失くしてしまった。

それまでだってほとんど帰らなかったのに、どういうわけか地元から距離を置いていることが苦しくなった。

2年後、大阪と横浜に二隻の帆船があることを知った。
最初にベースにしたのが大阪の帆船だったのは、船に乗ることを理由に実家に帰ることができたからだ。

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帆船に乗ったキッカケは、演劇から逃げるため。

あまりにも仕事が忙しすぎて、なぜ自分は演劇の世界で働いているのかを、見失おうとしていた。

好きなことを、キライになりそうだった。

だから逃げた。
周りの人の期待とか全部ほっぽって。

海や、船が好きだったわけじゃない。
ただ、その時の居場所から、少しでも遠くへ行きたかっただけ。

けれど不思議なことに、演劇と帆船、二つの世界を行き来するうちに、両方のことが好きになった。
それまでの自分の人生そのものだった演劇のことが。
自分となにひとつ関わりのなかった帆船のことも。

実は、帆船のことと舞台のことには、似ていることもたくさんある。技術のこととか、心のあり方とか。舞台の世界で培ってきたものがあったから、帆船で暮らすことを楽しめた。帆船で暮らす時間があったから、舞台のことをまた好きになれた。

ぼくにとって、帆船乗りであることと舞台照明家であることは、だから不可分なのだ。
そしてそのことをこれからはもう少し、ちゃんと語っていこうと思う。

人生のすべての時間を帆船乗りとして過ごしてはいない。
なのに、自分でも驚くほど遠くへ行くことができた。
そしてもっとずっと遠くまで行けると思う。

そして「ゆるふわ系 舞台照明家」を公言しているのに、いまでも一緒に仕事をしたいと言ってくれる人たちがいる。

決して片手間ではなく。
二つの世界を往き来すること。

そして周りの人の力も借りながらどこまで行くことができるのか、
そんなことを試しながら生きて行く。

逃げ続けたおかげで出会えた、ぼくの大切な人生を。

 

田中稔彦 帆船

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
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第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
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第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
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第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
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第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

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(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。