もういちど帆船の森へ 【第20話】 ひとりではたどり着けない / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦世の中には、書くことが好きでいくらでも書けるという人もいます。ぼくはそういう人ではありません。いまでも、書く作業は辛く、考えは堂々巡りをして、文章は行きつ戻りつなかなか前に進みません。それでも書き続けているのは「しんどさを上回る思いがある」それだけです。強い思いさえあれば書ける
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第20話   ひとりではたどり着けない

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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この連載も20回目になる 

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連載の前に、月に1本ずつエッセイを書かせていた時期も合わせると丸3年。書かせてもらったエッセイのリストを見てみると、「こんなに書いたんだ」と感慨深いものがあります。

どこにたどり着くのかも分からないままスタートして、帆船のことを書き続けてきました。今でも前に進めている感覚は正直あまりありません。

ただひとつだけ、ハッキリ変わったなあと分かるのは、文章を書いていくスタミナ、基礎体力が強くなったこと。普通に暮らしていると、定期的に誰かに伝えるための文章を書く場はそれほどありません。この場を与えていただけたことは、とてもありがたいと思っています。

では、この連載が始まるきっかけはなんだったかいうと、ちょうど3年前、2015年の年明けに話はさかのぼります。

2015年。1月。自由大学の講義「自分の本をつくる方法」を聴講しました。教授の深井次郎さんがfacebookで呼びかけていたのがふと目に留まったのです。

オーディナリー読者の方はご存知だと思いますが、「自分の本をつくる方法」は、本を出版してみたい人が、自分の中に潜んでいる強みや本当に伝えたいメッセージは何かを探り、一枚の企画書へと落とし込む講義です。

2011年の年末に、ぼくはこの講義を受けました。それはやはり深いぬかるみにはまっているような迷いの時期でした。自分のこれからにちょっとしたヒントを手に入れられないだろうか、そう思って受講したのです。

はっきりとした答えを手に入れられたわけではありません。けれど、自分について考える時間が、自分が歩いて行く道をぼんやりとですが照らしてだしてくれた。講義を受けてみて、そんな感覚をつかむことはできました。

ぼくが聴講したのは、全部で5回ある講義の最終回。講義を通して、見つめ直し、ブラッシュアップした「書きたいこと」を受講生それぞれが自分の中から拾い上げた「自分の本」を企画書に落とし込み、ほかの受講生の前で披露します。

 

こんな雰囲気で最終プレゼンが行われます

こんな雰囲気で最終プレゼンが行われます

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興味と情熱と

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「海図」をフックにして海や船への興味を持ってもらおうというアイデアが浮かび、実際にいくつかの成果も上がった2014年の前半。

けれど、時間が経つにつれて、手ごたえとと同時に「そのまま続けていってどうなるのか」と疑問を感じたり、いまのやりかたで伝えられることの限界に悩むようにもなっていました。

「組織もコネクションも何もにない自分が、ひとりでこんなことを続けていてどうなるのか」

ということも、時々考えたりしました。

「聴講生募集」のお知らせを見たのは、偶然でした。けれどどこか、引き合うものがあったのかもしれません。いつもならそのまま見過ごしてしまうものが目に留まったのは。

9人の受講生がそれぞれの企画を発表しました。「よくこれだけ、いろいろなことに興味と情熱を持った人たちが集まった」と驚くほど、内容はバラエティーに富んでいました。

ひとりの女性は、プレゼンの中でこう話しました。

「わたしはこの本を出せないままだと、死にきれないと思っています」

彼女の「自分の本」。それは、「若い頃にニューヨークで出会った一冊の本を翻訳したい」ということでした。

25年くらい前にアメリカで出版された一冊の本。内容については正直あまり興味のある分野ではありませんでした。ただ、25年前の彼女が一冊の本からどれだけ衝撃を受けたのかか、そしてその感動を伝えたいという情熱がどれほど深く心に住みついたのか、それは垣間見ることができた気がしました。

 

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書き続けられた理由

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もう17年も前のことになりますが、カナダからオランダまで、大西洋横断航海の航海記で「海洋文学大賞」をいただきました。

枚数の規定は50枚。いま考えるとそれほど多いとも思いませんが、ほとんど長い文章など書いたことがないそのころのぼくにとっては、かなりキツい量でした。

書き上げたところで、賞をもらえると決まったわけではありません。
賞がもらえなければ、どこかで発表するあてもありません。
書いている間にツラくて「止めてしまおう」と思ったことは何度もありました。

「賞を取りたいから」という理由で書いていたのなら、おそらく途中で投げ出していたと思います。それでも最後まで書き上げることができたのは、自分のために書いていたわけではないからです。

「一緒に航海した仲間のために」

そう思って書いていたからです。

田中稔彦 帆船

大西洋を越える航海は、ひと月近い長さでした。15名ほどのプロの船乗りの他に、航海なんて初めての若者たちが25人乗っていました。

1ヶ月もの間、外の世界とは隔絶した船で暮らす。それがどういうことなのかを想像してもらうのはちょっと難しいのですが。例えば部活動の合宿所みたいな、田舎の大きな家で暮らす大家族みたいな。

つらいことだってたくさんあったし、時にはケンカをすることもありました。でも、なにもかもひっくるめて、航海はかけがえのない時間でした。ぼくにとってすごく大切な時間でしたし、一緒に航海したみんなにとっても、たぶん同じくらい大切な経験だったと思います。

ぼくはただ、その大切な時間を定着させたかっただけなのです。
記憶が、時間の流れのなかで色褪せてしまわないように。
日々の暮らしの中で、忘れ去られてしまわないように。

そのために書き続けていたのです。

自分のためではなくみんなのために、ひと夏の思い出を書き記そうとしていたのです。

田中稔彦 帆船

 

思いを形にするための

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世の中には、書くことが好きで、いくらでも書けるという人もいます。

その昔、お仕事でご一緒したことがある小説家の栗本薫さんがそういう人でした。

昼からの打ち合わせに現れると

「午前中に、50枚の短編、1本書き上げてきたよ」

とこともなげに言っていました。

「よくそんなにあっさりと書けますね」

そうたずねると

「慣れればすぐできるのよ」

と答えていました。

ぼくはそういう人ではありません。いまでも、書く作業は辛く、考えは堂々巡りをして、文章は行きつ戻りつなかなか前に進みません。

それでも書き続けている、それは「しんどさを上回る思いがある」それだけです。逆に言えば、「強い思いさえあれば書ける」そうも思うのです。

2015年の1月、迷いの中でふとのぞいてみた「自分の本をつくる方法」の講義で、ぼくはそのことを思い出しました。自分がやりたいことを実現するために、すぐにでも出来るのに手をつけていないことがあることに気がつきました。

講義が終わってすぐに、ぼくは深井さんにお願いしました。

「ORDINARYで、エッセイを書かせてください」

その年は結局、8本のエッセイを書かせていただきました。そして次の年にはこの連載を始めました。

まだ何も始まっていないかもしれません。少しも前には進んでいないのかもしれません。

でも確実に、ぼくは手に入れて、磨きをかけています。
思いを形にするための、言葉という武器を。

 

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。