もういちど帆船の森へ 【第18話】 人生なんて賭けなくても / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦確かに冒険ではないかもしれないし、自分で選び取ったわけではないかもしれない。でも逆に考えると「すでにあるものを組み合わせるだけでもここまで行けたというのは、ちょっと面白いかもしれない」と思うようになったのです。これまで帆船に乗るために、時間はそれなりに使っていますし、お金も
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第18話   人生なんて賭けなくても

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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冒険とは切り開くもの 

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連載の16話で「冒険家」と呼ばれて違和感を感じたことを書きました。
居住環境や生活環境が変わらない船での航海には、冒険という言葉のもつ非日常感を感じないというのが理由だと書いています。

他にもいくつか理由はあるのですが、その一つにぼくの航海はほとんどが既存のサービスやシステムを組み合わせただけだったからです。何もないところから何かをやりたいと思い、やりとげたわけではないからです。

帆船に関わるようになったのも、運用をしていた帆船にお客として乗ったのが最初です。そういうプログラムがあることもたまたま知っただけで、海というフィールドや帆船で何かにチャレンジしたかったわけではありません。

ヨーロッパや北米では毎年のように帆船レースは企画されています。ぼくはただそこに参加する船を選んだだけです。レース以外でも欧米では体験航海プログラムをやっている帆船はたくさんりあります。海外の帆船でも何隻か乗船しましたが、知り合いに紹介してもらったり、普通にwebから申し込んで乗せてもらっただけです。

一昔前だと海外で帆船に乗るのはそれなりにハードルが高かったようです。事業を行っている帆船はそれなりにありましたが、情報を手にいれる手段は電話か手紙しかありませんでした。時間もコストも精神的な抵抗感もとても大きいものでした。今ではwebで情報は簡単に集められますし、メールでのやりとりだとコストも言葉の壁もかなり低くなりました。

ぼくは、冒険という言葉に「何かを成し遂げたいと強く願い、そのためのルートを新しく切り開く」というイメージを持っています。例えばレースに参加するのでも、自分で資金を集めたり船を準備したりしたのなら、それは冒険家かもしれません。けれど誰かが企画し、一般向けに提供しているプログラムをただ選んだだけでは、いくらめずらしい体験をしたとしても、冒険ではないと感じていたのです。

 

.田中稔彦 帆船

 

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勇敢に道を切り開かなくても 

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しかし最近、少し捉え方が変わってきました。

確かに、冒険ではないかもしれないし、自分で選び取ったわけではないかもしれない。

でも逆に考えると

「すでにあるものを組み合わせるだけでもここまで行けたというのは、ちょっと面白いかもしれない」

と、思うようになったのです。

これまで帆船に乗るために、時間はそれなりに使っていますし、お金もそこそこはかかっています。
でもどちらも、例えば「人生を賭けて」というレベルではありません。

初めて帆船に乗っていた頃は、普通に参加費を払っていました。安いものではありませんが、トンデモなく高いものでもありません。その後はスタッフとしてお手伝いしているので、乗船費用は基本的にはかかりません。遠隔地までの交通費とかはそれなりにはかかります。船か動いていない時の食費なども自前になります。とはいえ、船で暮らせば宿泊費はいりません。航海をしている間はお金を使いたくても使う場所はありません。海外の船に乗るとなると多少費用はかかりますが、海外旅行に行くのと比べるとむしろ安く上がるかもしれません。帆船に使ったお金は普通に働いていてそれほど無理なく出せる金額。普通に働いている個人の方で、趣味にもっとたくさんのお金を使っている人はいくらでもいるだろうレベルです。

時間については、ぼくがフリーランスなので普通の人と比べて長い休みが取りやすいというメリットはありました。とはいえ、帆船に使った時間は少ない年だと30日くらい。多い年でも90日くらいです。週休2日の会社に勤めていれば、有給などを上手く組み合わせれば十分にいけるレベルなのではないでしょうか?

ぼくのプロフィールの字面だけを追いかけると、なんだかちょっとすごく見えるかもしれません。でもその気になってちょっと頑張れば、誰でもこの程度のことまでは手が届く、そう思うようになったのです。

 

田中稔彦 海図
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思ったよりも近くに転がっている

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ここ20年ほどの間に、情報と通信のコストがテクノロジーによって大きく下がりました。
それによって何が変わったのでしょうか?
便利になったことはたくさんあります。
でもその便利さは、もっと大元の部分で何を変えたのでしょうか?

ずっと遠くまで、ずっと狭いところまで手が届くようになった。
ぼくにとって大事なのはそのことです。
働くことも遊ぶことも、もっと流動的にもっと多様に。
その方が生きやすい世の中になる。
ぼくはそう思っています。

ただの夢物語で終わっていたことができるようになりました。
出会うことのなかったステキな人やモノを知ることができるようになりました。
常識そのものが変わったのです。
あなたの欲しいものは思ったよりもずっと近くに無造作に転がっているのです。
人生を賭けたりしなくても、価値あるものに気づくだけの視点をもっていさえすれば。

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。