面倒な映画帖 17「ベイブ」 ブタでママスイッチが入ってしまった話。

面倒な映画帖


3時間離れているのが無理なのは長男じゃなくて、自分なのだと気が付いた。頭ではどうでも、体は「お母さん」になってしまっていて、仕事の都合がどうであろうと、息子を求めている。ちょっとしたこと、ブタの赤ん坊がクビをかしげてさえ、母性スイッチがONになり、母乳システムが作動する。もう逃れることはできない。

< 連載 >
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。



面倒な映画 17

「ベイブ」 

ブタ版オリバーツイスト 

いわばブタ版オリバー・ツイスト 20年前にしたら最新のCGも話題になり、アカデミー賞にもノミネートされている不動のウェルメイドコンテンツ。

ブタでママスイッチが入ってしまった話

我が家の長男は今年成人式。背広を着て成人式に向かう朝、馬子にも衣装とはよく言うけれど、なかなかいい青年に育ったなと母はほくそ笑む。長男はマイペースで柔軟なタイプ。出だしは地味でも、後から着々と追い上げる大器晩成と思っている。彼には実はよく似た乳兄弟がいる。本人も知らないことだけれど、同じ年に世の中に出たステキな男の子が別にもう一匹。それがベイブ、有名な牧羊ブタである。

 

この世で一番楽しいのは仕事だと思っていたけど、子育てはもっと面白い

長男が生まれてから最初の3年、私は仕事を減らし、子育て中心の生活にシフトした。もともとは営巣本能が強く、漠然と「きちんとした」家庭に憧れがあったのだ。独り身のころから家庭生活についてはイメージがあり、時間があると家庭料理を勉強しに行ったり、子育て本を買ったり、ベビー服や高価なベビー食器を集めたりもしていた。とにかく「きちんと」というところに情熱が向いていて、本当に赤ん坊が生まれてしばらくしたら、それはある種の完全主義に向かっていった気がする。待ってました!である。

わが子が快適にすごせるように、こまめに気を配り、身の回りのものや食材なども可能な限り最良の素材を使うこと。余裕のある丁寧な気持ちで向き合うこと。哺乳、おむつの世話、お風呂、日光浴、お散歩、ただただ見ているだけの時間。すごく面白くて、気をつけないと毎日100枚も写真を撮ってしまう、何時間でも穴が開くほど見つめてしまう。毎日毎日飽きもせずに同じプロセスのお世話をエンドレスで繰り返しながら、油断せずに僅かに変化する子どもの状況に細かく対応していくこと。始まったばかりの子どもの人生の一時間一時間がどういうムードだったかが、その子の人生観を左右するかもしれないと恐れるあまり、他のことではずぼらな私でさえも、観察眼100%全開で目を凝らして暮らしていた。物事に打ち込みがちな性質なのだ、赤ん坊の世話はそういう性質が向いているらしく、うまくはまり、仕事では味わえないロングタームで充実した時間をすごした。

母親になった、けれども…

むしろ最初はそうではなかった。ブレブレで熱意のない悪い母親そのもの。20年前、ライターとしてファッション誌などで映画評やインタビューを担当していたが、現実の仕事は私の妊娠にお構いなく進行する、それまで通り徹夜も出張もこなす。「おいおい、ここで産むなよ」映画業界でも臨月で仕事をする人はまだ少なくて、からかわれることも多かった。ありえないサイズのお腹で試写室の椅子に座りこむのは迷惑なことだが、気にせずに出産数時間前まで映画会社の試写室にいたし、出産した夕方にナースセンターのファクシミリから原稿を送るくらい「子どもができても仕事を続けるのが当たり前」と疑いもしない。それまで通りなんでも自分のスケジュールで思い通りになると信じていたのだ。しかし、それはあまりにも浅はかだった。

月刊誌のタスクはどんどん流れる。入院も5日足らずで現場に復帰しないと間に合わない。長男は生まれた日から8時間連続で眠り、お乳もよくのむ、元気な手のかからない子だったので、退院してすぐ母に頼んで仕事に出るつもりでいた。20年前は6か月までは保育園も受けつけてくれなかったし、母も当時は50代と若く、孫の誕生を喜んでくれたので、甘えることにしたのだ。最初は3時間だけ、担当誌の次月号用に外せない映画の試写会に行く。たった3時間だもの、新生児だって大丈夫だ。もちろん新生児は大丈夫、何事も行き届いた祖母の腕の中で安らかにすごしていたのだから。

赤ちゃんという名前のブタ

その日の試写会で上映された「ベイブ」は今でもレンタルビデオなどで子どもに人気。実は古い映画だけれど、誰が見ても楽しめるシンプルな優良コンテンツだ。ブタの子どもが、肉のパイにならずに、牧場主のアーサーや、牧羊犬夫婦の助けを借りて、牧羊ブタとして認められるまでを描いた、ブタ版のオリヴァー・ツイストというところ。英連邦的階級問題はともかくとして、苦労の末、差別を乗り越えて成功し、認められるという痛快な物語は、妊娠出産で涙腺が緩くなっているところにぐっときた。

映画の中で、いじわるな猫によって、ブタは家畜の中で一番ご主人に貢献する生き物、労働ではなく命をもって奉仕するとても役立つ家畜だと定義される。でも、デイブがパイになるまでを描いても子供向けの映画にはならない。では、物語の展開上、死を目的に生きることを回避するためにはどうしたらいいのか。どこかで肉以上の価値を示せればいい。それはたまたま牧場主がベイブの牧羊の才能に気づいた、ということがポイントになった。

ロシアの古典映画「戦艦ポチョムキン」で過酷な労働を強いられ、蛆虫のわいた食事を与えられた船乗りたちが、上官に自分の名前を名乗り人権を求める場面を思い出す。人は個として認識した相手を人間以下に扱えなくなるということだ。始まりの角度が違えば、描く放物線は最後に大きく違うところに着地する。家畜のブタではなく、個として識別してしまったブタはただのブタではなく「ベイブ」になり、もしパイにするならもはやそれはポークパイじゃなくて、ベイブを殺して作ったパイということになるのだ。

ブタに牧羊犬の才能があると考えるアーサーは変人扱いされるのだが、彼は誰がどう思おうと、大真面目でベイブの才能を信じている。才能があっても、本人だけでは才能を伸ばしていくことはできない。何事もコミュニケーション、物語の切り札も「羊たちだけが知っている秘密の暗号」だった。ひとりではできないことも、協力すれば可能。才能があるというのは、開花させるための他の協力を引き出すことができるかどうかが半分なのではないかと思う。うちの子もこのコブタのような少年に育てよう。

無口で変わり者の牧場主アーサーが、感情的な偽善者ではなく、牧羊を仕事にしている人として命に対してシビアで、必要ならベイブを殺そうともするし、評価するときはする、甘い人物ではないところもよかった。そういうプロ視点の人物が特別なブタに好奇心を動かされ、他人から見たら冗談のようなことを真剣に計画するというのが、面白い。アーサーはやたらとブタを可愛がる動物愛好家ではなく、牧場の経営者であり、動物たちはある種ビジネスパートナーのようなスタンスで描かれている。管理と評価と報酬の原理。牧羊犬大会でしくじれば即食肉という、子供向け映画とは思えない、生臭いシビアな状況で、ステイタスをゲットしたコブタの根性はすごい。ますますうちの子はこのコブタのような少年に育てよう。

母乳に溺れる恐怖体験

とことん健気で可愛いコブタだが、それがそうであるために困ったことになった。ほんの3時間だし、出かける前に授乳も済ませてきたので、そんなはずはないのだが、母親代わりの牧羊犬フライがベイブの世話をするシーンで胸がカーッと熱くなってしまう。赤ん坊はブタなのだ、それなのにお乳が張る。刷り込まれてしまったらしく、それからベイブに反応して胸が張ってしまう。まさか試写中に母乳を絞るわけにはいかないし、トイレに立つのも憚られ、カチカチになって熱く痛む胸に困り果てた。痛いのは我慢できたが、やがて容量の限界を迎えると、母乳があふれ始める。予防措置をしていたけれど、湯水のごとくあふれ出るとは思っていなかったので、もうどうしようもない。水分を吸いそうな持ち物をそっと胸の中に差し入れ、とにかく防波堤にしなくてはならない。タオルが重たくなってきて、靴下まで脱いで入れるけれど、間に合わない。かわいいピンクの鼻をぴくぴくさせて、とっとこ走るコブタが映るたびに、胸が洪水になってしまう。お願いだから、これ以上可愛くならないでくれ~

母乳まみれになって困り果てながら、3時間離れているのが無理なのは長男じゃなくて、自分なのだと気が付いた。体は勝手にお母さんになってしまっていて、仕事の都合がどうであろうと、赤ん坊を求めている。ちょっとしたこと、ブタの赤ん坊がクビをかしげてさえ、母性スイッチがONになり、水芸のようにピューッと母乳システムが作動する。こりゃいかん、もう肚を決めざるを得ない。私は生き方をきっぱり母親シフトに切り替えることにした。

家に帰ると、長男は上機嫌で待っていた。惨めな娘の姿をみて、母が呆れて言う。「ほらごらん、わかったでしょ、いくらなんでも産後すぐにお仕事は無理ですよ。お母さん、ブタの赤ちゃんを見てもおっぱいが出ちゃったんだって、おかしいねえ。」赤ん坊のアーモンドみたいな目がアルカイックに笑ったような気がした。父親似のこの子は、眠っていてさえ、いつもほんのり微笑んでいるような顔つきなのだけれど。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。