氷が溶けるまで【第5話】どうしてベトナムのイスは低いのだろうか 武谷朋子

ベトナム在住トラベラー武谷朋子の氷が溶けるまで

低いイスとテーブルが多いのは、「片付けしやすいから」とか「積み重ねやすい」とか言われたりもしているらしい。確かにそれも一理ありそう。でも、ほんとのところは、「人と人との距離をもっと身近に感じるため」なんじゃないかとひそかに思っている。

連載「が溶けるまで」とは  【3週間に1話 更新】
ヨーロッパひとり旅と写真を専門とし、働きながら「自分にしかできない一点物の旅」を10年以上続けてきた武谷朋子さんが、突然夫の転勤によりベトナムはホーチミンに移住することに。(本当はヨーロッパが好きなのだけど…. )知り合いもいない、そして、もともとそんなに興味が持てなかった国で始まった、すべてが新しい暮らし。彼女は導かれたその状況をどのように「楽しみ」に変え、はじめての街の魅力を発見していくのか。まだ知られていない本当のベトナムとは。ガイドブックには載らない、暮らしてみてわかった小さな魅力の種を綴ります。

 

第5話  どうしてベトナムのイスは低いのだろうか  

TEXT & PHOTO 武谷朋子

 


相手との関係性なんて関係なし。目線の先にすぐ人がいた

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人と一緒にいるときの心地よい距離感というのは、実際計ると何センチくらいなんだろうか。

いつも無意識のうちに相手との関係性の中で適切だと思う距離感を勝手に自分で取っているから、親しい関係性であればあるほどその距離は近いんだろうし、そうじゃなければその距離は遠くなるんだろうか。そこにはなんとなく関係性との比例関係がありそうな気がしている。人との関係性とその距離感に意識を向けたことなんてこれまでほとんどなかったし、ベトナムに住んでこんなことを考える機会が来るなんて思ってもみなかった。

お昼を食べに出かけ、初めて行くお店にドキドキしながら飛び込んでみたある日。無事に席についたところで、店員さんからメニューを渡された。

「さてさて、何食べようかなあ。いろいろあるし悩むなあ。」

と迷い始めたその瞬間、視界に人の気配が入ってくる。いや、入ってくるというより、先からずっと人がいるのだ。それはさっきメニューを持ってきた店員さんだった。メニューを渡したその瞬間から動かないのだ。そう、オーダーを待っている。そしてわたしを見ている。店員さんとの距離、ちょうど40センチくらい。

(わわわ、これはまずい。早くオーダーしなくては…! )

結構な至近距離からのプレッシャーを感じずにはいられなかった。焦る。そうか、ベトナムでごはんをオーダーする時には、一緒に即決力まで試されているんじゃないか…! 動かない店員さんを真横に感じすぎてじっくり悩む時間もなく、目に留まったメニューをとりあえずオーダーした。ふう。

「メニューがお決まりの頃お伺いします」なんていう日本式接客とはまるで違う。悩む余地さえ与えない、そんなひとしきりのやりとり。これって何だか新しいじゃないか。オーダーを取り終えた店員さんの後ろ姿を眺めながらそんなことを考えていた。店員さんからのプレッシャーをするりとかわして自分の本当に頼みたいメニューをオーダーするには、しばらくこのお店に通うしかない。どうせなら、通ってみようじゃないの。そんなことをしている間に、オーダーしたベトナム式ビーフシチューが来たのだった。

買い物に出かけたまた別の日のこと。お店に入って店内を歩き始めた瞬間、店員さんがぴたっと一人ついてくる。かなりぴたっと。品物を見ようと足を止めると、店員さんも止まる。止まるたびに丁寧に商品説明までしてくれる。ありがたい。そう、ありがたいのよ。でもね、ちょっと近い。広い店内の中で、わたしと店員がぴたっと二人組のようにぴたっと一緒にいるという状態になる。

(おおお、そんなに近くに来なくてもいいのに… )

もはや「Just looking」と言っても、わたしのすぐ後には店員さんがぴたっと寄り添っていた。これぞワンマーク方式の接客。正直全然落ち着いて見られなかったので、ぐるっと店内を一周して「また来るね」と言って立ち去った。あれ、なんだろうこの距離感は。

何度かそんな場面に遭遇して、食べ物屋さんでも、そうでないお店でも、ベトナム式接客は「お客さんとの距離が異常に近い」のだと理解した。どこに行っても人との距離感を観察してみたが、その ”距離の取り方” は全体的にやっぱり近かった。いや、もしかしたらわたしは「近すぎる」と感じていたけれど、お店の人からしたら「いたって普通の距離感」だったのかもしれない。いや、普通なんだあれは。近すぎる距離にわたしだけドキドキして落ち着かなかったに違いない。

夜だけ現れるストリートフードの人気店には、肩が触れるくらいの距離にずらりと人が

夜だけ現れるストリートフードの人気店には、肩が触れるくらいの距離にずらりと人が

 

「もしかしたら」が確信にかわる瞬間

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「人との距離感がかなり近いのかも」と思い始めてから、いろんな場所で人と人との距離感を見るようになった。ある日カフェでのんびりスイカジュースを飲んでいたら、恋人同士らしき2人が入ってきた。迷うことなく隣同士に座る。

(あれ、隣同士で座るの…!? )

店内は広く、座るスペースは真向かいも含めてたくさんある。あるのに、隣を選ぶ。いろいろ見ていたら、恋人同士がカフェに来ると、隣同士に座っていることが多いことに気づいた。たまに、友達同士でも隣に座っている光景も見かける。カフェでもまた、人との距離が近いのだった。向かい合うより、隣に座るのがいいらしい。もはや、接客業に携わる人だけでなく、全体的に人との距離が近いのであった。

カフェと一言で言っても、ホーチミン市内にはシーンによって使い分けられるくらいの多様なカフェがある。その中でも「テーブルとイスの高さが低いカフェ」を見かけることも多い。テーブルの高さは座った時の膝くらいの高さだろうか。座ってみると、日本では感じることのなかった高さで景色が見える。店内に小さなイスと低いテーブルが並ぶ姿だって、なんだかかわいい。そこで外(主に走るバイク)を眺めながら隣同士に座って冷たいコーヒーなどを飲んでいる。

低いイスとテーブルが多いのは、「片付けしやすいから」とか「積み重ねやすい」とか言われたりもしているらしい。確かにそれも一理ありそう。でも、ほんとのところは、「人と人との距離をもっと身近に感じるため」なんじゃないかとひそかに思っている。テーブルが低ければ、相手の姿も膝上くらいからよく見えるし、隣同士で座ることでより人の気配もより感じることができる。低いイスとテーブルの理由は正確には聞いたことがないのだけれど、もしかしたらそんなことも考えられているんじゃないか、なんてひとり感心している。

チェー(ベトナム版ぜんざい)のお店。たくさんの種類をオーダーしてみんなでわいわい食べてます

チェー(ベトナム版ぜんざい)のお店。たくさんの種類をオーダーしてみんなでわいわい食べてます

 

近づいた先に得られるもの

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1年暮らしてきて、ベトナムの人との距離感にだいぶ慣れてしまったために、知らないうちに近すぎるその距離感を取り入れてしまっているかもしれない、と時々そわそわする。人との距離の縮め方は、徐々にではなく一気に。気配から感じる人柄。

カフェに行くと、たまに2人でいるのに全く言葉を交わさない場面を見かけることがある。

(あれ、おしゃべりしに来たんじゃないの?! )

実に不思議なんだけど、何も話さずただのんびり過ごしている。人の気配から得られる安心感は、言葉を介さなくても伝わるものがあるのかもしれない。一緒にいるのに何も話さない光景を見た時、最初はびっくりするんだけど、見ているとすごくおもしろい。でも、不思議と気まずい雰囲気が一切ない。実にピースフル。

人の気配を感じるためには、高くて大きなテーブルなんて逆にじゃまなのかもしれない。相手とできるだけ近く、気配を感じられる距離感にいること。そこから生まれる言葉を超えたコミュニケーションがあるんだな、と今は思っている。

仲の良い友達とは話さない時間も気まずくない、なんて思うことがあったけれど、ベトナムの人たちはそんな「人の気配」を大事にしている気がする。仲良くなるためには、まずは近づいてみること。そんな物理的な距離は心の距離を埋めるのに、役立っていそうな気がしてならない。だから、誰かと仲良くなりたければ、まず自分からも一歩、歩み寄ってみる。「近い」と思うくらいが、ここではちょうどいい気がしている。

近すぎる距離から生まれるコミュニケーションは、きっと心の距離をもあっという間に縮めてくれると思って、今日もまた少しだけ近寄ってみるのだ。(了)

一緒に座るなら、真向かいよりもうちょっと近い場所に

一緒に座るなら、真向かいよりもうちょっと近い場所に

 

外国人旅行者が多く滞在しているバックパッカー街にも低いイスとテーブルのセット

外国人旅行者が多く滞在しているバックパッカー街にも低いイスとテーブルのセット

 

お昼を食べ終えたビジネスマンのお茶タイム。小さいプラスチックイスが大活躍

お昼を食べ終えたビジネスマンのお茶タイム。小さいプラスチックイスが大活躍

 

 

(次回もお楽しみに。3週間後、更新目標です)

武谷朋子さんがキュレーターをつとめる講義 

自由大学「じぶんスタイル世界旅行
– 旅軸のある、ひと味違う世界旅のつくりかた –
詳細は https://freedom-univ.com/lecture/world_travel.html
自分の好きなことややりたいことを軸に、自由に世界を駆け巡る。それが世界を舞台に自分が主役で楽しむ「じぶんスタイルの旅」。ただの観光や放浪の旅ではなく、未来に繋がる自分にしかできない旅のつくりかたを一緒に学んでいきます。

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 連載バックナンバー 

第1話 ベトナムで暮らそうと言われても(2015.9.24)
第2話 ホーチミンのおもしろさは、きっとバイクの後部座席にある(2015.10.14)
第3話 思い込みが溶けていく、ベトナムコーヒーに隠された甘い時間の過ごしかた(2015.11.5)
第4話 手を伸ばすと深みにはまる、素顔のベトナム料理(2015.11.26)

 武谷朋子さんの旅エッセイもどうぞ 

TOOLS 29 海外へは乗継便で飛ぶ。ファイナルコールまでにもう1カ国味わう方法
TOOLS 31 バルセロナで学んだ充実した “食の時間” のつくり方
TOOLS 34 ドゥブロヴニクで学んだ ”心の振れ幅” をもっと自由にさせる意味
TOOLS 38 パリの美術館で学んだ、捨てる視点の養い方
TOOLS 41 イギリスで小さな手荷物と不安な夜を乗り越える
TOOLS 44 ワンテーマに潜る旅の方法 – 海外建築めぐり篇 –

 


武谷朋子

武谷朋子

(たけたにともこ)自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター/トラベラー。『自分にしかできない旅をする』をキーワードに、大学時代から主にヨーロッパへカメラ片手に旅を続け、これまでにバルト3国からユーラシア大陸最西端まで20ヶ国50都市以上を訪れる。社会人になってからも働きながら年1回のペースで自分らしい一点物の旅を創り、旅を続けている。渡航歴は10年以上。ここ数年は旅の経験を生かして"テーマを持ったひとり旅"のおもしろさを伝える活動を行っている。旅先で見て感じた空気を写真に残すことを続けており、撮った旅の写真は1万枚以上に及ぶ。現在では旅以外に、企業・雑誌広告などでの撮影も行っている。2014年冬より生活拠点をベトナムに移し、旅とはまた違った視点で世界と繋がる日々。活動の詳細は自身のWEBサイト 「TRANSIT LOUNGE」にて