人生の転機には
直感に押されるまま動く
文章にしても絵にしても写真にしても。自己流で学ぶことはできますが、たまには客観的に評価される場に出てみるといいものです。オーディションと言うとおおげさですが、プロの方に見てもらう機会をつくる。たくさんの作品を見てきた人、目利きの人にみてもらって感想をもらう。すると、自分だけでは気づかなかった改善点が見つかります。自分の向き不向きもわかる。プロとして通用しそうなのか、他のことのほうが向いてそうなのか。オーディションやコンテストや賞に応募するのは緊張するものですが、客観的に自分を見つめるためには良いものです。
井の中の蛙にならないよう、実際に通用するかチェックする。という話で思い出したのは、福沢諭吉のエピソードです。諭吉は、ずっとオランダ語を勉強していました。在籍していた適塾の中でも、有名な猛勉強っぷりでした。そしてある程度勉強して思ったのは、「実際に通用するのか試したい」ということ。
当時、横浜港が開港したばかりのころに、24歳の諭吉は江戸から横浜まで歩いていく。「横浜には、外国人がいるはずだ」外国人に話しかけたい。ひらめいてしまった。ただ話しかけるだけのために、東京から横浜を歩いたのです。さあ、ようやく着いて、「こんにちは、いい天気ですね」かなにかをオランダ語で。すると、何人に話しかけても言葉がまったく通じない。そこは外国人居住区でしたが、街の看板をみても英語ばかりで読めない。
「うわあ、全然だめだ… 」
衝撃をうけ、また同じ道をトボトボと歩いて戻ったのです。驚くのは、東京-横浜間の片道30キロを往復歩いた。60キロ。それを24時間ぶっ通しでやったのです。夜中の0時に出発し、横浜に着き、話しかけ、帰ってくると翌日の0時だったと日記に記されています。徹夜ですね。24時間休みなく動き続ける。この体力と衝動には驚きます。ぼくだったら、30キロ歩いて横浜着いた時点でヘトヘトです。外国人に話かける気力もない。もちろんその日は横浜で一泊でしょう。
諭吉にとって、この遠征はとても落胆しましたが、人生を変えた24時間でした。世界の流れが変化していて、オランダ語ではなく、これからは英語だということがわかったからです。 19歳からの5年間、あれだけ心血を注いで学んだオランダ語が無駄だった。
「俺は、取り返しのつかないことをしてしまった… 」
これまでの時間が水の泡。失意に暮れながらの横浜からの帰り道は、さぞかし疲れたことでしょう。
でも、そこから心機一転、しょうがない、英語に切り替えてまた猛勉強。このおかげで、諭吉は成臨丸でのアメリカ渡航のチャンスをつかみます。諭吉にとっての人生の転機は、いくつかありますが、この60キロ歩いた24時間は、間違いなく大きな転機だったに違いありません。
最前線で通用するか試してみる。フィードバックをもらう。すると、何かしら軌道修正する発見があります。せっかく得た知識や技術は、発表したほうがいい。もし諭吉がずっとオランダ語で突き進んでいたら、その後の飛躍はなかったかもしれません。お札の顔にもなっていなかった。
あのとき「横浜にいかないと」という直感と衝動があったのでしょうね。もちろん「いや、遠すぎるでしょ… 」と却下しようともしたでしょう。でもやっぱり行かないと、と直感をおさえることなくテンションを上げてやってしまう。この爆発力が人生の転機には湧き出てくるものです。
「うーん、普段の自分だったらそんなことしないはずなんだけど、なぜかやったんだよね」
こういう話をいろんな人が口にします。あとから振り返ると、あの勇気はどこから来たんだ。不思議だったりするのですが…。あなたにも経験ありませんか。
広く世の中の役に立ちたいと思ったら、世界と自分がズレないようチューニングが必要なのです。会社の中にいるだけでは、ズレてしまう。動きたいという直感が降りて来たら、動いてみよう。個人でも活動しつつ、最先端を走っている人とコラボしたり、腕試しをしてみるといいでしょう。
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Photo:Zach Frailey