【第209話】鏡をつくり反射させる – なぜ作家は自分の意見に自信を持てるのか – / 深井次郎エッセイ

「いま見たよな?」「ああ、間違いない。雪男だ... 」「え、どこどこ?」

「いま見たよな?」「ああ、間違いない。雪男だ… 」「え、どこどこ?」

 人間はひとりきりで見たものを「見た」とは言い切れないものなのです。確信をもつためには、鏡が必要。その鏡は自分以外の何かで、しかも綺麗に写らなければなりません。鏡がなかった時代は、水たまりでした。水面に自分の姿を写して、これが自分の顔かと確認していました。

発言できなければ、いないのと同じ

 

「自信がなくて発言できません… 」では、どうしたら人前で自分独自の意見を披露できるのか。「これが絶対正しい」という自信が持てないと、なかなか発言できないものです。ものを書く人たちは、独自の意見を言うのが仕事。ビジネスマンだったら、「この企画どう思う?」と聞かれて、答えるのが仕事です。起業家でも「アイディアはひらめいたけど、これでいけるのか自信がなくて前に踏み出せない」という場合が多くあります。

原発賛成か反対か、意見を求められる。何か応えるのがコメンテーターの仕事です。「賛成とも言えるし、一方で反対とも言えるかもしれない」という曖昧な意見では、存在意義がありません。 コメンテーターはそれが正しいかはともかく、世間に「たたき台としての意見」を提供する役目があります。たとえば、「原発再稼働に賛成だ。その理由は、ローコストでより多くの電力がつくれるからだ」と意見する。それを聞いたみんなからは賛否両論でます。「いやいや、それ絶対おかしいでしょ。そもそもどこがローコストなんだ? 」とツッコミも入るでしょう。

ツッコミを誘導した。人々に考えるきっかけを投げかけたという意味で、その行動は讃えられるべきです。もちろん、正しい意見に越したことはないけど、表現者としては、何も言わないというのが一番価値がない。もしわからなかったら、「まだはっきりとわからない。ここまでは考えたんだけど」ということは言いたい。モジモジして何も言えない。これではその表現者は存在してないのと同じです。

 

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自分なりの「美の基準」をどうつくっていくか

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「これが美しい」デザイナーがそう言いきれるのは、今まで良いデザインをたくさん見てインプットしてきているからです。古今東西の良いデザインを見てなぜそれらに惹かれるのかを分析して、「良いデザインとは何か」が理解できている。美の基準に照らし合わせて、ずれてないことを確認して、「これでいけるだろう」と思えるのです。

もちろん、それでも不安ではあります。なので、仲間に見せて意見をもらう。「これでいいよね? 」「うん、いいと思うよ」やっぱり大丈夫だと。これで自信を持ってリリースできる。そしてさらに、手に取ったお客さんたちが「いいね」と喜んでくれたら「やっぱりこれでよかったんだ」とさらに自信を強化していきます。

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自信が持てないのは、1人きりで抱えているから
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このプロセスからわかるように、人間ひとりきりでは確信をもつことはできないということです。完全にゼロから思いついたオリジナルのアイディア。こういうものに100%の自信を持てる人はいません。もしいたとしたら、何かを超越している、変わった人、というより危ない人です。

人間はひとりきりで見たものを「見た」とは言い切れないものなのです。もしあなたが一人きりの時におばけをみたとして「絶対見た」と言い切れますか?「ほんとに、本当ですか?」「はい、絶対見ました」と強気の人でも「もし間違ってたら、10万円の罰金ですよ」と言われたら、「いや、ちょっと待って…どうだったかな」と自信が揺らいできます。 これが2人以上の仲間がいれば違います。「いま見たよね?」「うん、絶対そうだよね」というのがあって、「おばけ見た」となります。「本当に?」と聞かれても、2人で顔を見合わせてから「見ました。絶対そうです」と確信に満ちた顔で答えます。

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必要なのは反射させる鏡

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確信をもつためには、反射させる鏡が必要なのです。その鏡は自分以外の何かでなければなりません。無人島でひとり過ごした出来事を、後日思い出してそれが夢か現実か正確に区別がつくでしょうか。ひとりの記憶だけでは自信がもてません。でも日記にでも記録しておけば、少しは自信が持てるでしょう。

作家になぜ編集者が必要かというと、質と効率が上がるからです。作家にとって、編集者が鏡なのです。原稿をみせるとすぐに「面白いです。この調子でいきましょう」と反射が返ってくる。これで、「やっぱりこの方向でいいんだよね」と確信をもって進めることができます。 プロのスポーツ選手でも、ひとりでトレーニングしません。必ずコーチをつけて、フィードバックをもらっています。

ぼくがエッセイを書く場合だったら、尊敬する先輩たちが鏡です。彼らだったらこの問題をどう考えるかなと、反射させるのです。たとえば、ブッダだったら、原発問題をどう考えるかなと。これをやるにはブッダの思考回路をインストールできてる必要がありますが、彼が原発賛成と言うわけはないですね。生きとし生けるものすべての幸せを願ったら、反対しかありえない。「エゴを捨て、足るを知りなさい」と諭してくれるでしょう。

3.11のことがあって、原発どうする? という議論が大きく巻き起こりました。自分の第一感として、即座に「反対でしょ」と浮かんだけど、それにはまだ確信が持てない。なので、それを鏡、つまり先輩だったらどう考えるかと反射させます。何人か、反射させてみる。全員、「反対だ」となりました。先輩やっぱりそうですよね、と確信を深めて、データを見たり、詳しい人の意見を聞いたりする。もちろん自分と反対意見も集めて目を通す。いろんな鏡に反射させてみて、「やっぱりこれでしょ」と自分の意見が固まっていくのです。

結局、第一感が正しいことが多いけど、行動を起こすには確信が必要で、確信をもつには反射させないとそこにはいたりません。書いていると独自の意見のように見えるのだけど、自分ひとりでつくってるわけじゃないんです。ある意味でブッダさん、ゲーテさん、ニーチェさん、モンテーニュさん、さまざまな先輩たちの意見の集積でもある。ぼくが独自でゼロから考えたことなんてないです。(生まれた時すでに先人のつくった言葉があって、それをベースに考えていることからも、完全にオリジナルはあり得ない。オリジナル信仰にとらわれすぎると何も言えなくなります)ブッダたち先輩方に直接会ったことはないけれど、本からでも学べます。彼らがまるで目の前で、一対一で対話しているような状態を味わえる。これが本の魅力です。本も良い鏡になります。自分の第一感を頭に置きながら、本に反射させていく。すると、それについての反論があったり、別の角度からの意見ももらえます。

お笑い芸人もたいていコンビです。ピンだと、ぶつける相手がいないので、面白いかどうかの確信を持つのが難しいのです。ぶつける相手がいれば、すぐに結論が出る。もしひとりだったら、どうかなぁと検討して2週間もかかってしまうところ、コンビだと「これどう思う」「いいと思う」「そうだよね。これでいこう」と2秒で結論が出る。ラジオでトークするときも、個室に一人きりではなかなか難しいでしょう。ガラスの向こうでOKを出したり笑ってくれるディレクターがいるから安心して話せるのだと思います。

書き始めた時、ぼくにも相方がいました。書いたものを彼に見せて、「いいんじゃない? 」となれば公開していました。それで面白いと言ってくれる人が増えて、出版社のベテラン編集者にも「いいね」と言ってもらえて、本が世に出たら1300円を出してみんなが本を買ってくれ、共感してくれた人が何万人にもなった時、さらに自信をもって意見を言えるようになってきました。最初から完全に一人きりだったら、今までちゃんと歩けてこれたか自信がありません。

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鏡をつくるときの注意点
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ここで大事なのは、鏡は何でも良いわけではないということです。「この人なら間違いない」と尊敬し信用のおける人を鏡にしましょう。 ぼくが最初に相方に選んだ彼は、会社の同期でしたが、まわりでも一番の読書家であり勉強家でした。幅広い知識があって、正義感にあふれ、笑いのセンスもあります。彼なら良い鏡になるだろうと。ちゃんと彼の意見は聞きました。

ごくたまにですが、ぼくの原稿にダメ出しをされるときもありました。その時は、一瞬ムッとするのですが、頭を冷やして冷静に考えると「もっともだな」と思える。結局、「直してよかったな」という経験が何度もあります。

もし鏡を「顔の見えない読者」に置いてしまうと、書き手としての軸が定まりません。自信を失くしてしまうので注意が必要です。「つまらない」とか「その意見は間違っている」とか、ブログのコメント欄に知らない人に書き込まれ、ショックで筆が止まってしまう人がいます。

鏡は吟味して選びましょう。どうでもいい人を鏡にしないこと。よく八方美人とか、カメレオンとか言われてしまう人がいます。まわりに同調するばかりで、独自の意見は何もない。「あなたの意見は? 」と聞かれても、「みんなはどう思うんですか? 」と聞き返してしまいます。常に周囲が鏡なのです。いま目の前の人が変われば、瞬時に自分も変わってしまう。毎瞬ちがう鏡を見ているのです。それでは、自分の意見など持ちようがありません。「あの人って、全然意見ないよね」「言ってることブレブレで結局何がしたんだろうね」と軸のない人になってしまいます。

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歪んでいない、質の良い鏡とは
「尊敬するあの人たち」
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鏡がなかった時代を想像できますか? 大昔は、水たまりでした。水面に自分の姿を写して、これが自分の顔かと確認していました。でも水面では鏡ほどきれいに写らないし、水面には波があります。3本くらい鼻毛が出ててもわからないでしょう。現代は鏡もありますし、写真も映像も自撮りできますので、だいぶ正確に自分の姿が客観的にわかるようになりました。鏡は歪んでいてはいけない。なるべく綺麗な鏡面である必要があります。

赤ちゃんがはじめに鏡とするのは、親や兄弟です。そして学校の先生や部活のコーチや、友人になっていきます。親や先生であっても、当然ながら完璧な人間はいません。どこか歪んでいます。なので、生まれてから与えられる鏡をそのままずっと使っていては、ちょっと心もとない。「勉強して、終身雇用の有名企業に就職しなさい」という鏡だけでは、21世紀はきつい。親の時代はそれで安泰だったかもしれないけど、いまは時代に合いません。生まれながらに与えられた鏡をいったん捨てて、自分で新しい鏡をつくり直す必要があります。それこそが自分独自の意見であり、独自の人生につながるのです。

ぼくの鏡は、尊敬する先輩方です。彼らが面白い、いいねと言ってくれるだろうかと想像します。あとは編集部のメンバーにぶつけてみます。どうでもいい人に、つまらないと言われたからと言ってもへこみません。「へぇー、そういう意見もあるのか。なるほど」と参考にするだけです。

 

女子中高生を鏡にするヨシモト

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お笑いは、理屈ではありません。なんか笑えるんだよね、というのは頭で考えてもわかりません。リズムが面白いとか、雰囲気が面白いとか、シュールとか。つまらなすぎてそれが逆に面白いとか。ヘタウマなのか、ただ下手なのか、そのラインはあいまいです。

お笑いの主なターゲットは、女子中高生です。なので、吉本興業は、劇場を重視。どの新人を売り出すか決めるのは、おじさん役員ではなく、劇場の反応をみて決めるのです。おじさんたちは何が面白いのかまったくわからなくても、お客さんの女子中高生たちが笑ってたら、その子たちに聞く。「彼らのどの辺が面白いの?」「え、ちょーウケるじゃん」とヒアリングして、その新人芸人をプッシュします。ちゃんとした鏡を使っていることが、吉本の強さなのでしょう。おじさんたちでは、新しいお笑いはわかりませんから。そこは潔いです。笑ってもらえた、拍手をもらえたという経験が、新人に自信をつけさせ、堂々披露できるようになってくるのです。


科学データを鏡にするときの姿勢 
新説より、「命を賭けている人」を参考に

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科学が鏡になることもあります。自分に自信がなくても、データがあれば裏付けがとれます。でも、科学ばかりでは、歪んだ鏡になってしまうでしょう。 毎年、科学の新説が発表されます。たとえば、健康に関する30年前の科学は笑ってしまうほど、間違っていると言います。昔、危険だと言われてたものが、180度変わって今はむしろ体にいいと証明されたり。なのでこの2015年の最新の科学もきっと30年後になれば、笑ってしまうほど間違っている可能性が高いでしょう。

「健康雑誌はゴシップ週刊誌と同じと思った方がいいよ。たしかに面白いけど、間違ってることばかりだから鵜呑みにしないこと。それよりは、ミラーを信じるべき」

全米でトップになったあるボディビルダーがそう言っていました。ミラーとは、自分の体を鏡で見ろ。自分の体に聞け、ということです。科学と言われるもっともらしい情報よりも、自分の体で試してみて、良いかどうか確認するほうがいい。そして実際に結果を出しているアスリートたちに、どうやってますかと聞いて歩く。実験室の机上で実験もたかだか300人にしか試していない科学者よりは、自分の体で実験しているアスリートたちの体験談を集めた方がよほど信用できるし、科学でしょう。トップアスリートが採用して結果をだしているアイデアなら、白衣の科学者が否定しても、試してみる価値はあります。不特定多数を説得する必要がある時には科学のデータは有効ですが、間違っていることもたくさんあるので、あまりとらわれないようにしています。科学という権威と、データを出されると、ついつい理系コンプレックスのある人たちは信用してしまいがちですが、データほど怪しいものもないですから。右肩上がりのグラフなど頭のいい人が工夫すればいくらでもつくれます。

天気も、データで考えている気象予報士よりも、船上の漁師さんのほうが当たったりするものです。空や波や鳥をみて、自分の肌感覚で「あと30分でひと雨来るぞ」もし波が高くなれば死ぬかもしれません。こういう生きるか死ぬかの瀬戸際で勝負している人たちの感覚は研ぎすまされています。

ビジネスマナーについての本や研修もいろいろありますが、実践的でないものが多いです。名刺の渡し方とか、両手で渡すのが正しいと書いてあっても、現場ではほぼ片手です。お辞儀の角度とか、そんなの臨機応変でしょう。 マナーだったら、元CAの研修講師よりも、もし無礼を働いたら一発で破門の縦社会で身を削っているやくざの方とか、業績をあげている商売人とか完全歩合制でやってるトップ営業マンとか、人の懐に入ることに命賭けている人にどうしてるか聞いたほうが、この世をサバイブできそうです。(もちろんCAになりたい人はCAの先輩に聞くのがいいです)

命をかけている人が選んだものは何か、が参考になります。エベレストに登る人が選んだ下着は何か。下着一枚が生死を分けます。適当には選べません。命を預けられるもの。何が売れているか、という大衆の人気ランキングよりは、命を賭けているプロが自腹で使用しているものは何かを知りたい。本だったら、Amazonのベストセラーランキングよりも、作家や編集者たち、尊敬する思想家たちが自腹で買った本は何かを知りたいです。

さて、いよいよ結論ですが、本当の意味で、自分独自の意見なんてないのです。言葉は生まれたときからありました。その言葉をつかって考えている以上、完全なオリジナルはありえない。親の価値観、先生の価値観、友人の価値観、いろんなものが混ざり合って、若者の価値観はできあがります。「自分の意見」なんて、たいそうなものではなくて、ただの他人の意見の集積です。だとしたら質の良い価値観をインプットすること。良い人、良い本、良い体験にたくさん出会うことです。「意見が言えない…」と悩む人のほとんどは、勇気や自信うんぬんではなくて、結局インプットが足りないだけ。インプットがないので鏡がつくれないのです。己を振り返ってみると、そう言えます。

<来週もお楽しみに> 

(約6300字)
Photo: Johannes Zielcke

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。