【第192話】涼しい顔で踏み絵を踏むスパイたち / 深井次郎エッセイ

隠れているつもり

隠れているつもり

矛盾にはさまれたときに
正義をつらぬくか
だまって時を待つか

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なぜ、みんな踏み絵を踏まなかったんだろう。自分は踏んででも前に進むタイプだなと、小学生で歴史を習ったときに思いました。だって、死んでしまったら何にも叶えられないのに。正義感にあふれている人、潔癖な人は、とても生きにくいものです。この世は、矛盾だらけなのですから。普段はたらいていても、「これはどうなんだろう」と首をかしげてしまう場面に毎日のように直面します。

大量消費が環境を破壊するのをわかっていて、経済活動に加担しているのです。「もっと消費しよう。今のままでは足りませんよ」という広告づくりに関わってしまっています。そこで「消費を煽るのってどうなんですかね」という正義を振りかざしてしまうと、なんだあいつはということになって、仕事を外されてしまいます。ぼくもよくありました。面倒くさい奴でした。

民間企業ではなく行政に勤めていてもある。たとえばノラ猫を殺処分するような仕事もあります。命を大切にする社会にしたいのに、殺さないといけないのです。殺したくなくても自分1人ではその猫たちをすべて飼うこともできないし、しかたありません。だれかがやらないといけない仕事です。

出版業界だって、エコ雑誌を印刷する紙のために森林を伐採しているわけです。環境を大切にしようと言いながら、同時に自分たちも壊す側にいるのです。ちょっと気に入らない企業の広告だってとらないと印刷代が出ない。「それが納得できないので会社を辞めます」という潔癖さでは、9割の仕事ができなくなってしまい、生活できません。どの会社でも働けなくなって、森で隠居生活になってしまいます。森で隠居していても、突き詰めると呼吸するな、二酸化炭素を吐くなというところまで。そして最後は「環境のことを考えたら人間が地球上からいなくなれば良い」というところまで行ってしまうのです。

食べていくためには、生きていくにはしかたない、という状況はあるものです。一点の曇りもない正義はありません。どんなに納得いかない世界でも、ぼくらはここを外れて生きることがことはできません。本音をいちいち全部出してしまったら、まわりとの摩擦で前に進むことができません。

だれにだって理想も正義感もあります。でも、それを全部表に出しません。たとえるなら、気分は隠れキリシタンです。(ぼくは無宗教ですが)試されれば、涼しい顔で踏み絵だって踏みます。でも、心にはいつも理想の火がある。大きな理想を叶えるためには、ここで終わるわけにはいかないのです。踏み絵を拒否してころされてしまった人々はたくさんいますが、当時の彼らが本当にキリスト教を理解していたら、偶像を踏めたはずです。そこに神の本質はないからです。

もし、いま納得できない仕事で苦しんでいる若い人は、「自分はスパイである」と考えると楽になります。ちょいワル組織に潜入した正義のスパイ。悪の内部に入って、そこで何が行われているのか調査しているのです。なるほど、そう動いていたのかと勉強する。そしていつか、自分が力をつけたときに、その悪しき風習を改革してやろうと、その時を待つのです。その時まで、正体がバレてはいけないのです。スパイだということがバレたら、すぐに消されてしまいます。納得いかないのはわかるけど、そこでキレてあなたが死んじゃったらどうにもならないでしょう。せっかく今まで積み重ねてきたものが水の泡になってしまいます。

力を蓄えるまでは、世の中に合わせて、名を隠して潜伏する。「いちおう会社のみんなに合わせてはいるけど、魂は売ってないよ」いまは隠れキリシタンで、いつか改革しようと思えば、会社の愚痴を言うこともないし、投げやりになってキャリアをぶち壊してしまうこともありません。時を待つのです。そして会社の外を歩いてみると、隠れキリシタンは意外にたくさんいることの気づきます。お互い正体は明かしませんが、アイコンタクトでエールを送るのです。「あ、あなたもですね。お互いがんばりましょう」

(約1596字)

Photo: Luis Hernandez

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。