【第181話】人生は夢オチなんじゃないか / 深井次郎エッセイ

「おれは気づいてたよ」

「おれは気づいてたよ」

 

 

「これが夢だとわかっていたら
もっとやりたい放題やったのに」
くやしかった朝に考えたこと

 

だれが言ったか忘れたけれど、「生きる」の反対は「死」ではありません。立派に生きることのその先に、立派な死があります。生きることと死ぬことは同じことなのです。「生きる」の反対は、本当は「生きていない」です。ただ息を吸って、口から何か栄養をとって生きているだけでは、生きるとは言いません。ぼくら多くの人は不安だから、こわいからといって、何かにつかまりたがります。

でも、本当にこわいのは、死ぬ時に自分が何をしてきたのか答えられないことです。毎日ご飯を食べて、お金を貯めて、無事に90歳まで生き長らえました。うまく命を守りきりました。それもじゅうぶん立派なことだけど、ぼくにとってそれが一番こわいのです。

今日の朝、夢をみました。詳しくは忘れたけれど、なんだかすごく苦しい夢でした。そこに飛び込みたいんだけど、リスクがあるしこわい。ぼくは葛藤していました。どうしようか、飛んじゃうか。飛びたいな。こんなチャンスはめったにないぞ。いや、でも失敗したら死んでしまうかも。そんな躊躇をしていたところ、目が覚めた。

「ハッ、夢か」

そのとき思ったこと。それは、「ああ、これが夢だってわかってたらあそこで飛び込んでたよ。くそー、悔しい! 」ということです。夢の中では、自分が夢の中にいることがわかりません。だからリスクも犯さないし、追われたら逃げます。でも、夢の中では万能で、願ったことが何でも叶うし、銃で撃たれても死なないし、透明人間にだってなれる。本当は銃で撃たれても平気なのに、追われたら全力で逃げるのです。夢だと気づいていないから。

で、思ったのは、もしかしたら現実も夢なんじゃないかということ。ぼくがいつか死んだ時、苦しいかなと思ったら、そうでもなくて「ハッ、夢か」となる。あの世といわれてるところは、夢から覚めた朝のベッドなんじゃないだろうか。そして、そのベッドで思うのです。

「ああ、どうせ夢だったら、もっとやりたい放題やっとけばよかった。くやしい」

死んだじいちゃんに聞いてみたい。こっそり教えてくれないかな。「おい、じろう、実は人生は長い夢だぞ」って。ぼくらはこの現実でびくびく不安がってますけど、本当は、もっともっといろんなことができる。

実は小説では、夢オチは最悪と言われます。いろんな波瀾万丈が起きて、最後どうなるのかと思ったら、朝、主人公が目が覚める。「実はこれ全部夢でした」という終わり方です。これでは読者は怒ります。さんざんつき合わせといて、なんだよと。そりゃ夢ならなんでもできるわ。雑すぎるだろと。

でも、もしかしたら人生は、夢オチなのかもしれません。これだけ慎重に、失敗しないように安全に、規則を守って、空気を読み、伝えたいことも口をつぐみ、節約し、年金も納め、危険な冒険もせずに生きてきました。そして、いよいよあなたのストーリーが、エンディングを迎えます。ああ、わたしは死ぬんだな。フッと意識がなくなる。暗く静かになる。しかし、しばらくすると遠くでチュンチュンとスズメが鳴いている、目に光が入ってくる。さわやかな朝だった。え、わたしは死んだはずなのに…ここは?

「ハッ、夢か!」

この長い夢から覚めたとき、あなたはどう感じるでしょうね。「なんということだ。どうせ夢だったら、この人生もっとやりたい放題やっとけばよかった。くやしい」そのように、今朝のぼくのように、後悔するのか。それとも、「ああ、なかなか楽しい夢だった」とにんまりするのか。どちらの可能性もあります。どちらになるか、いまからでも、ぼくらは選ぶことができるのです。

 

 

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(約1453字)
Photo: Ian Broyles


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。