【第140話】優秀な助監督ばかりつくる日本 / 深井次郎エッセイ

「階段のぼらず、飛んじゃえば」

「階段のぼらず、飛んじゃえば」

 

 

リーダーと右腕は
別の職能である

 

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監督は助監督から上がるのではない。これは北野武監督をはじめ、映画業界にいる人がよく話しています。たとえばいま映画監督になるには、いますぐ自分の映画をつくるのが近道です。機材も昔とちがい、安価で簡単にだれでも使えるようになりました。

ピラミッドを昇った先に、なりたいものがある。やりたいことができる。ぼくらはつい、そのように勘違いしてしまいます。級や段など、階級を昇ることを学校で習うからかもしれません。下積みは絶対に必要だよ。基礎は必要だよ、と。もちろん下積みも基礎も必要なのですが、的外れな基礎を積んでしまっている場合があるのです。

映画監督と助監督の役割はぜんぜん違います。それは別物の職業と言っていいくらいなのだそうです。アメリカの場合は、はっきりしてて、助監督から監督になるコースはありません。助監督から監督に「上がる」のではない。監督になりたい人は、最初から監督コースでキャリアを積む必要があります。監督は最初から監督なのです。同じように助監督には助監督コースがある。助監督として優秀だからといって、監督になれるわけではありません。ポジションによってまったくコースが違う。これを日本の教育では教えてくれる機会がないように思います。

ピラミッドの等級が上がっていけばやりたいことができる。そんなピラミッド信仰がはびこっています。平社員から課長部長で副社長になって、いよいよ社長というように。営業担当として優秀だった人が、社長としてうまくいかない例はごまんとあります。当然逆もあります。(名選手が名監督になれるわけではないのは、ご存知の通り)

クリエイティブリーダーとは、新しいものを生みだせる、イノベーションを起こせるリーダーです。こういうリーダーがもっと生まれていくことが日本の活性化につながると、いろんな識者がおっしゃっています。しかし、いまだ蔓延っているピラミッド信仰こそが、未来のリーダーたちの芽をつぶしているのではないか。そう思っています。アシスタント仕事ができなければ次のチャンスが与えられないという封建制度。その上下関係の中でいかにうまく立ち振る舞えるか。この能力って、監督の職能ではなく、助監督の職能です。日本の教育や企業社会は、優秀な助監督ばかりをつくりつづけている気がします。

(約940字)

Photo: Steve Jurvetson


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。