【第139話】心体が分離する行動 / 深井次郎エッセイ

咲きたい気分なので咲きます。まわりは咲いてないけど。

「咲きたい気分なので咲きます。まわりは咲いてないけど」

用件を伝える能力と
気持ちを伝える能力は
別物です

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大義のための小さなウソは、神様は見逃してくれる。そんな話を前回しました。ただし、「元気がなくなるウソ」は気をつけています。元気がなくなるウソとは、自分の気持ちにふたをするウソです。たとえば、楽しくないのに笑ったり、好きでもないのに、喜ばせるために好きと言ってしまったり、大丈夫じゃないのに大丈夫と言ってしまったり、ということ。

暑かったら上着を脱ぐし、寒かったら着ます。脱ぐタイミングや着るタイミングを他人に任せてたら、気温を感じるセンサーは鈍ってしまいます。暑い寒いは人それぞれの体質で違います。それなのに、学校では同じ制服で、この時期は上着は着ないといけません。脱いでいいかは、先生に許可をとらないといけません。

書き手の一番大事な能力は、感じる力ではないでしょうか。まだ言葉にならないような「なんだろうこれ」を流さずにつかまえることができるかどうか。自分の心の寒暖の微妙な差に、気づくことができるかどうか。もしかしたら、感じる回路を閉ざしてしまうほうが、生きること自体は問題なく進むのかもしれません。満員電車で人と接触するのに、いちいち感じてたら通勤できません。仕事で、お客さんの要求に対して、いちいちやりたいかどうか自分の気持ちと照らし合わせていたら、仕事は捗りません。会社では「要求にはすぐさま応える」という選択肢しかないわけですから、自分の気持ちなど関係なく、やるのです。辞令が下ったら、気持ちに関係なく、受け入れる。

こういう生き方をするなら、感じるセンサーにはふたをしておいたほうがいいです。邪魔になります。でも、表現者としての生き方を選ぶのであれば、非効率であろうとも、いちいち立ち止まって感じていく必要があります。それを、ぼくが書きはじめた時に思いました。知識があるだけでは、いずれ書き手として限界がくるなと。知識さえあればだれでも書ける文章になっては、個性はなくなります。だれでも書けるものに価値はありません。

だれでも小さい頃から、国語の授業で用件を伝えるトレーニングは受けています。しかし、感じて気持ちを伝えるトレーニングは受けていません。感じることこそが、書き手の生命線なのです。ですから、自分の気持ちをいつも観察するようになりました。「ここにいたくないな」と感じているのに、「いた方が大きな仕事をもらえるかもしれないからいよう」ということはしなくなりました。感じるセンサーは、体が元気でないと鈍くなります。体が喜ぶことをしようと心がけます。

 

(約1008字)

Photo: Catherine

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。