【第136話】登壇する者は脱ごう / 深井次郎エッセイ

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「自分でプロジェクトを立ち上げてみよう」 法政大学 スカイホールにて

 

 

ひとりの人間として
リスペクトする姿勢が
教え子たちの耳をひらく

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見た目はラフでいい。なめられてもいい。威厳などなくたっていい。そんな話をしたら、「深井さんは自信があるのですね」と言われました。普通、教壇に立つものは、生徒になめられたら、話を聞いてもらえない。「静かにしなさい!」と怒ってもいっこうに静かにならない教室がたくさんあります。子どもも大人も、動物的観で、「この人は物腰やわらかだけど、なめたらまずいな」とわかります。逆にこの人は、虚勢を張ってるだけで弱いな、というのもわかる。キッズたちは、相手の肩書きや社会的地位なんかわかりませんし、関係ありませんので、シビアです。生き物として弱いとか、つまらなそうと思ったら、話を聞くより違うことをしたくなります。

だから教師に適性があるとしたら、なぜか話を聞きたくなってしまう存在感だと思います。生き物としての強さ、生命力でしょうか。教室を静かに出来ない教師は、たぶん向いてないので、ほかの仕事をやった方がいいかもしれません。別にスーツに高級時計で着飾って立派に見せたとしても、ぼくだったら話を聞こうとしません。たぶん、子どもの頃から、自分自身が話を聞かない側で、先生をなめてた側の生徒だったので、彼らの気持ちがよくわかるのです。本当に自分のためを思って何かを話してくれている。先生が夢中になってる世界を、本気で伝えようとしている姿勢を感じたとき、たとえよく理解できなくても生徒は無視することが出来ないものなのです。

スーツという鎧を着て、「なめられないように」というのは、生徒を猛獣か何かだと思っています。そのビクビクは相手に筒抜けです。着るのではなく、脱ぐのです。そして、ひとりの人間として、目の前にいる生徒の可能性をリスペクトすることです。精一杯かれらの良いところを見つけて、自身の才能に気づかせてあげる。大切な宝として、存在の重さを感じながら尊敬の念をもって接する。愛のある姿勢は、必ず伝わるものだと信じています。と、偉そうに言ってますが、これはぼくが考えたことではなくて、幸いそういう環境で自分自身が育っただけです。自分が小さい頃から、尊敬の念をもってまわりから可愛がってもらえたので、それをそのまま下の世代に返しているのだと思います。ぼくはメディアづくりをしていますが、ぼく自身がすでに先人たちの媒体(メディウム)なのです。

 

(約957字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。