いい編集者に出会うと
やわらかく
素直になっていく
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「もっとこう書いたほうが、読み手には伝わりやすいのでは?」こう指摘をすると、機嫌が悪くなってしまう人がいます。恥ずかしながら、書きはじめた頃の20代前半のぼく自身がそうでした。自分ではよく推敲したつもりで、気持ちはもうひと仕事終えた気になっています。そんなときに修正案を指摘されると、編集者に反論したくもなります。「いやいや、ここはこれでいいんですよ」
でも、他人の目を入れて直したものが、明らかに読みやすく良くなっている。最初はカチンと来たけど、時間が経って冷静になると「やっぱり直してよかったな」。確かにそうだなという経験が続くと、素直になっていきました。編集者は自分で文章を書かないことが多いですが、読み手のプロです。読み手のプロとのキャッチボールで、ずいぶんと成長が早くなりますし、自分の良いところやスタイルが見えてきます。編集者はスポーツのパーソナルトレーナーのようでもあります。ひとりでトレーニングしていると、好きな箇所しか鍛えないので、偏ってしまうし、ついつい甘えて限界まで追い込むことをしなくなります。
もちろん、なんでも編集者の言うことを聞いた方が良いわけではありません。その場所に句読点を打つかどうかで、一時間考えるという小説家がいましたが、そのくらい考え、こだわったのであれば、意見を通すべきです。でもなんとなくいつもの書き癖でさらっと流してしまったという程度だったら、聞く耳をもったほうがいいみたいです。言葉は伝えるための手段。読みやすさ、よく伝わる方法を優先するほうがいいと思います。
「こうしたら、もっとよくなるのでは?」そんな意見を言い合える場は貴重です。オーディナリーでは、書き手たちが読み合ってお互いを高め合える場をつくっていきます。ひとりだと、〆切もないので、筆が止まってしまったりする人もいます。ぼくがいま毎日書き続けていられる(たまに怪しい日もありますが)のは、オーディナリー編集部があるからです。書くことは、ランニングみたいなものです。走った後はスッキリして「走ってよかった」と思うのですが、走り始めるまでが億劫です。走り続けるためには、仲間がいるといい。実は、みんなのためとか言いつつ、ぼくは自分が末永く書き続けられる環境をつくるために、このオーディナリーをはじめたのです。
(約942字)
Photo: Matthew Kirkland