【第103話】生きていると実感するために / 深井次郎エッセイ

「自分で獲った魚はうまいんだよ」

「自分で獲った魚はうまいんですよ」


自分の体を使っていないからこそ

「ちゃんと動いてる」と実感するための
よりどころが欲しいのです

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あなたは電子レンジでお皿が回っているのを見てしまうタイプですか。ぼくもずっと見てしまいます。あれは別にタイマーをセットしてるのだから、離れていてもいい。その時間に別のことをしてたほうが、効率的です。でも、つい見てしまうんですよね。熱くなってシューシュー言ってきたり、少しずつ変化していくところが面白い。それなのに、最近その電子レンジの調子が悪くなりました。中の電気がつかなくなって、真っ暗なのです。これではお皿が回っているところが見えません。ただのブラックボックスです。シューシューという音だけは聞こえるし、電子レンジを触れば熱くなっていることも一応は実感できます。でも、ぼくは目で見えないと物足りないのです。

あなたはどの器官が重要ですか。視覚で興奮する人、聴覚で興奮する人、触覚で興奮する人がいます。ぼくは圧倒的に視覚で興奮する。犬にかまれて3針縫ったケガをしたときも、治療中に患部をチラ見しました。痛いのは苦手だし、本当は血とかグジュグジュしたものも苦手です。お医者さんは、「苦手なら見なくてもいいですよー」と言ってくれましたので、はじめは顔をそむけていました。でもやっぱりチラ見しました。縫ってる実感が欲しかったんですね。痛みという触感だけではいまいち信じられなくて、目で見て確認したかった。この痛さが起きてる現場を目視で確認し、興奮しました。「ぼくは今まさに縫われている」と。

デジタル時代になると、中身が目に見えないものばかりです。音楽でも昔、CDの時代は、シュルシュルと回りだすのが見えました。「お、動き始めたな」と目視し、そのシュルシュルですでに興奮。好きなミュージシャンの新曲を初めて聴く時は、くるぞくるぞ、キター!と歓喜したものです。洗濯機も回っている所をみたいし、エアコンよりも扇風機のほうが、視覚型人間にとっては興奮します。もしエアコンもスケルトンにしたら、興奮すると思います。飛行機や新幹線も窓際で景色をみて、「俺はいま移動している」と実感します。

本も物理的に部屋に積み重ねられていくところに興奮する人も多いのではないでしょうか。これだけ読んできたのか、とか、あとこのくらい読まないといけないのか、とか。その体感みたいなものを、電子書籍でもうまく表現できたら良いと思います。パソコンでもダウンロードするときに、あと何分という表示と一緒に、グググッと増えていくメモリがあります。あれがなくて、時間表示だけだったら、実感がわかない。増えていくあのメモリは絶対に必要です。デジタル時代だからこそ、ブラックボックス化しないで、動いているという「よりどころ」をもてる工夫が必要ですね。

いままでたくさんWEBサイトを閲覧してきた記録も、ひと目でみれると興奮するかも。これだけ毎日、WEBでいろんな記事を読んでいるのです。紙の時代だったら、書類で部屋が溢れかえってるレベルですよね。WEBサイトも、閲覧した量を実感できるようにできませんかね。閲覧履歴は見れますけど、もっと実感がわく表現で見たいな。そうしたら視覚型のぼくは興奮します。この毎日連載エッセイも毎回最後に文字数を表記しています。それは、量を目視して興奮したいからなんだと、いま書いてて気づきました。そうか、そういう意味では、料理の写真を撮っている人も同じなのかな。食べたらなくなってしまうものだからこそ、たしかに食べたぞと記録して実感したいのか。生きてる実感がもてますよね。10年間毎食写真撮って、あとで見返したらきっと興奮するでしょう。

 

(約1521字)

Photo: William Kitzinger


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。