【第096話】求む母ちゃん的振る舞い

分け隔てなく、同じ服を着せたがるよね

分け隔てなく、同じ服を着せたがるよね

ビジネス社会にこそ
母ちゃん的振る舞いが
必要ではないか

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世の中にはさまざまな「母ちゃん」がおります。しかし、だいたいの母ちゃんに当てはまる振る舞いというのはある気がしますね。先輩とか上司、いわゆるマネージャーと言われる管理職には、母ちゃんが理想なんじゃないかと密かに思っています。主な「母ちゃん的振る舞い」は、この3つ。

1. 分け隔てない
2. 味方になりきる
3. ご飯を食べさせる

「分け隔てない」というのは、どの子にも平等ということです。自分の子には何人兄弟がいても、同じように愛を注ぎます。中には出来の悪い弟がいたり、優秀な兄がいたりしますが、平等なんです。どんなに出来ない子でも見捨てない。一族の繁栄を考えたら、優秀な子に投資したほうがいいと打算的に考える人もいますが、母ちゃんはそんな効率とか繁栄とかを超えた判断をしています。

「味方になりきる」というのは、最後まで味方になる。「世界中を敵にまわしても私はあなたの味方だよ」という甘い台詞はたまに聞きますが、それが実行された試しはありません。でも母ちゃんだけは、本当にそれをやってのける。よくないですが、犯罪を犯してしまった息子も守る。だれがどう見ても黒でしょうという中、息子の言い分を最後までひとり信じています。親父は、だいたい「勘当だ! 二度とうちの敷居をまたぐな」となります。上司と部下でも、何かの縁でいっしょになった人のことを全力で守る。「どうしてそんなにアイツをかばうんですか!」「それは私の部下だからです」こういう言動が出る上司は、母ちゃん的です。部下が優秀かどうかは関係ない。自分の部下はだれであれ守ります。

「ご飯を食べさせる」というのは、与えることです。母ちゃんは、若い人は基本的にいつもおなかがすいていると思っています。友達のうちでご飯をいただいても、食べきれないくらいのご飯を出してくる。出されたご飯はきれいに食べなきゃと思って、必死にたいらげたら、「あら、足りなかったかしら」とまた盛ってきます。上京した子どもには、必ず段ボールで食べ物を送ります。東京のスーパーでも普通に買えるお菓子やさとうのご飯やカップラーメンなんかも入っている。お金を送るより、現物支給なんですね。おなかをすかしていないか、ということに過剰に反応します。これは何でしょうね。心配というのもありますが、それ以上に本人も楽しいのではないでしょうか。食べさせるのが楽しい。与えるのが楽しい。

鉢植えの植物を買ったら、まず何をするかと言ったら、水をあげますね。肥料もあげたりする。これは楽しいです。すくすく育てよ、と期待したり、変化をみるのが楽しい。ぼくが植物を枯らしてしまったケースで一番多いのが、水のやり過ぎです。根が腐ってしまった。水をやらないで枯れてしまったことはありません。あげ過ぎが原因。水をあげてはいけないサボテンにまで、我慢できずにあげてしまった。

本来、食べさせるのは、楽しいことなんです。食べているのを見るのも楽しい。人間の子と植物をいっしょにするのもあれですが、与えるのは楽しいんですね。ご飯があるところには、人が集まり、笑顔があふれます。与えすぎて根を腐らせる危険もありますが、与える楽しさを知っている人が上司にいるといい雰囲気になるでしょうね。

母ちゃん的振る舞いは、もっと評価されていい。いま母ちゃんたちの力がうまく社会に活用されていないように思います。母ちゃんたちの力は、スーパーのレジ打ちではなく、クリエイターたちのマネジメント職でこそ活かされるのではないか。男女限らず、母ちゃん的な振る舞いと感性が、この能力主義でギスギスしたビジネス社会には必要です。

(約1470字)

Photo: Patrick


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。