【第082話】尊い駒として生きる

「これ食べたら仕事に戻ろう」

「アイス食べたら仕事に戻ろう」

経営者も社員も
みんな大切な駒
どの駒も尊い

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「自分」という実体はない。という話を数日前にしましたが、会社も一緒です。よく会社員は、「会社の駒だ」という話をします。社長が一番えらくて、その次に副社長、取締役、部長、課長と続きます。けれど、どれも部品です。駒に違いはありません。

足や手、腎臓、肝臓という部品。これらが合わさっているだけで、自分という実体はない。「人間機械論」も昔からありますが、車も、タイヤよりもエンジンが偉いかというと、タイヤがないと前に進みませんよね。どれが欠けても、やっぱり機能しないんです。すべてに意味と役割があると思って、設計者がその部品を取りつけることにしたわけです。

平社員だからとか、非正規社員だからとか、立場の上下は関係ありません。全員が駒で、必要な駒がちゃんと揃っているから会社は回るのです。会社も実体はないのです。オフィスが会社かといったら、オフィスがなくても会社はできます。一応、登記をするときに所在地を明記しないといけないので、明記はしていますが、べつにその場所にずっといなくてもいい。オフィスでもないとすると、パソコンでもなければ、もう人間しかいないわけです。じゃあ、社長が会社かといったら、社長が替わっても会社は存続します。では何がなくなったら、会社は存続できなくなるのか。商品、社員、お金?

大事なことは、みんな駒であるということです。平社員だけが駒ではない。卑屈になる必要はまったくありません。人事部長だって、偉そうにしてますけど駒です。収入の上下で人間の価値は決まりません。収入はたまたまです。そのポジションにいると、お金が多く集まるというだけです。人間的に偉いとかではない。プロ野球とプロバスケットボール選手では、収入が違います。それはただ職種が違うだけです。人間的にどちらが優れているか、価値があるかと言ったら、どちらも価値がありますよね。野球選手の方がバスケ選手よりも2倍も努力してるわけでもないでしょう。たまたま収入の多いスポーツを選んだ、という話なのです。しょせん自分は駒だ、と嘆く人は、まわりを見渡してください。みんな駒です。会社にいる全員は、社長を含めて駒ですけど、それぞれどれも大事な駒なのです。

 

(約923字)

Photo: vonderauvisuals

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。