【第080話】サランラップ化する街で

その心配は俺に任せろ

「その心配は俺に任せろ」


スーパーのバナナは
過剰包装である

 

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つり革が触れなくて、手袋をする人がいるのだそうです。あれだけ綺麗な日本の電車の中においてもです。潔癖で全身を膜で覆ってしまうような感性が支配する世の中を、「サランラップ•シティー」と呼んだ建築家がいました。守りも過剰になってしまうと生きづらいものです。1人では生きられない以上、社会の中で暮らしていかなければならない。触れるのを避けてたら、きりがありません。そのうち同じ空気も吸いたくないと言って、スキューバダイビングの酸素ボンベをかついで歩かないといけません。あれは、重いです。20キロとかある。

中古よりも新品に執着するというのも、根っこは同じでしょう。中古を買った方が半額以下になって賢い買い物なのに、新品でないと、というのです。で、自分で開封した直後から市場価値は半額になる。それでもいいというのですから、そこはまあよしとしましょう。そういう人がいてもいい。見ず知らずの人が触った、というのが嫌なのでしょうかね。自分の友人が使ったものだったらまた違うのかな。

通販の梱包は、最低限ギリギリがいい。包装は少ないほうがいいと思っています。ゴミになるからです。ゴミを捨てるにもコストがかかってるので減らすにこしたことはない。それでも、過剰包装を望む人(本人は過剰ではなく適正だと思っているのだが)もいて、本一冊送るのに、段ボールにプチプチ入れさらにビニールに包まれていないと怒る人もいます。衝撃をプチプチで守り、水濡れをビニールで守る。包装に厚みがあって、厳重に守られているほど、愛を感じるんですかね。大切に扱ってくれてありがとうと。いや、あれは、むきにくいだけですよ。本はすぐ読みたいのに、ぐるぐるビニール類が巻いてあってテープで止めてあったり。ほどく手間を考えてください、と思います。親切でやってくださっているので、ありがとうなのですが。大は小をかねる思考で、過剰な方に一応基準を合わせているのでしょうね。

ちなみにバナナは皮自体が包装です。さらにビニールで包む必要はないんです。あれも過剰包装だと思いませんか。食べるのは中身で、皮はパッケージです。自然のままで、完成されている。リンゴは皮ごと食べる人もいるから、ビニールで守ってあげた方がいいかな。

(約925字)

Photo: mandiberg

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。