【第077話】それでも根源的な問いへ

「オウッ、オウッ」

「本当はいろんな境遇の人がいるのに、すぐ隔離してしまうよね」「オウッ、オウッ!」

知らないものはこわいけど
いっしょに過ごせば
大切に思える

——— 

インドではガンジス川に死体が流れていました。道端にも力尽きた犬がよく死んでいましたが、日本ではすぐに隔離して見えなくしてしまいます。目の前に死体が流れていたら、どうしたって「死とは」について考えざるを得ないからです。わからないので、「こわい」となります。

病人は、病院へ。老人は老人ホームに隔離し、知能の発達が遅い子や体が不自由な子を別学級に入れたりしてしまう。そういうマイノリティーたちが、さも存在しないかのように壁の向こうに追いやってしまう。ホームレスだって、駅前に座っているとなるべく人目のつかない場所に締め出されてしまう。現実は、いろんな人がいるのに、人は根源的な問いを避けようとするのです。命とは、体とは、老いるとは、お金とは、差別とは。なるべく考えずに安穏に生きていきたい。それでも人生は、思い通りにいかないものです。

いつか自分の身にも起こるのです。根源的な問いを考えなければならない出来事に、直面せざるを得ないことがあります。そのときに、人はパニックになり「なぜ自分にだけ」と運命を嘆きますが、本当は「自分だけ」ではない。隠されていたから目につかなかっただけで、同じような境遇の人たちは実はいっぱいいるのです。大変なはずなのに、その境遇を受け入れていきいきと暮らしていたりする。だから、最初から、その多様な人生の模様をみておいた方がいい。いろんな人生があるのが普通なんだと知っておくと、パニックになりません。根源的な問いにも、自分なりに向き合い、考えておいた方がいいのです。

障害者とも子どもの頃からいっしょに暮らした方がいい。隔離されずに、本人たちが望むのならできるだけみんな同じ学校で学んで欲しいとずっと願っています。地方の公立学校で育った人なら、クラスにいろんな種類の子たちがいたでしょう。警察官の子からやくざの子から貧しい子から体の弱い子までいろいろいました。都会の高級住宅地で育って、幼稚園から私立の一貫校に通った人たちは、だいたい同じような経済環境の人たちしか接する機会がありません。自分の生きて来た環境が普通だと思ってしまうと、ついつい知らない種類の人たちは怖いので排除、という発想になってしまいます。だからヨーロッパの貴族の子どもたちは、ある年齢に達するとギャップイヤーと称してさまざまな国へ旅にいくよう促されるのです。リーダーになっていくものとして、自分の育ちとは違う人たちがたくさんいることを知ることは必要な教養。根源的な問いに、自分なりに考える機会になるのです。

 

(約1050字)

Photo: Rosino

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。