【第074話】青空だけはそのままだけど

消毒作業をする深井

津波にあった家屋の修復作業をする深井 (仙台・若林区にて 2011年)

 

話すことで乗り越える
輪になれる場をつくりたい

———— 

 

もう3年が経つのか。つい最近のように感じます。3.11を境に変わったこともそうでないこともある。「つながり? 何それ気持ち悪い」と言ってた人たちが、絆や希望という言葉を照れずに話すようになりました。歌の歌詞でもなければそんな言葉、恥ずかしがって言えなかったのに。「大切だよね」と素直に言えるようになりました。震災の前からも、つながりの大切さは感じてはいました。でも、照れとか強がりとかそういうものが邪魔をしていたように思います。でもあの衝撃があって、一回いろんなものがぐちゃぐちゃになって、この先どうなるの。「何かしなきゃ!」と細胞が沸き立ったことを覚えています。

大きな不幸も、大きな幸せも。きっとそんなものはないんじゃないかと思っていました。自分が生きてる何十年かの間は平穏な時代だろう。災害も戦争も、暮らしがひっくり返るようなことは起こらない。それまでは、そう思ってたんです。根拠なんて全然ないのですが。

だから、映画も楽しめた。ハリウッド系のドカーンドカーンという派手なものも。映画はフィションだとわかっているから安心して入り込むことができます。でも、あの津波の映像によって、現実がフィクションに追いついてしまいました。東京は、ひと月もしたら日常に戻ったけど、あのテレビの映像を観たことで、多くの人の何かが変わったはずなんです。走る車が津波にのみこまれる映像を観てしまった。「これは自分かもしれない」あり得るんだ、と思うと、とたんに怖くなる。この現実に、映画みたいに手放しでそこに入り込んだら、そのまま持っていかれるんじゃないか。そういう怖さがあって、感情移入をしないように心を守っていたように思います。何も見なかったことにして、通常運転に戻りましょう。はいはい、よそ見しないで、位置について。という雰囲気を都内では感じました。今日も昨日と同じであろうとする力がはたらいたのです。電車はすぐに通常運転になったし、電気もこうこうと照りはじめた。すぐに変わらぬ風景に戻ったのです。「そのまま同じであり続けようとする力」は強力でした。

危機的状況に直面したとき、足がすくむ人が8割以上だと言われます。体が固まって動けなくなる。これが正常の反応だと。おそらく、余計な動きをしない方が生き残る確率が高いと遺伝子的にプログラムされているのでしょう。でも、あとの2割は、やたら行動的になる。これは、少数派。種の全滅を防ぐために組み込まれたバグの役割です。全員が同じ行動をとったら、種が滅びてしまいます。なので、群れには必ず大勢と違う動きをする個体がでるようにしているのです。そういうバグ(と言うと失敗作みたいでごめんなさいなんですが)つまり危機的状況になるほど機敏になる人たち。そういう人たちが、普段、消防士とか自衛隊とかの仕事をいきいきとやっています。普通の一般の人でも、いる。これが2割の行動派です。止まる人8割、動く人2割。で、動く人2割もさらに2つに分けられました。現地に向かう人と、原発から遠くに避難する人。あのとき「逃げるのか」という言葉も飛び交ったけど、小さい子どもがいたら逃げるのが当然でしょう。なんで「逃げるのか」という発言があんなに出たのか不思議です。どんな心理なんでしょうか。

ぼくはといえば、すぐに現地に向かいました。力になりたい半分、何が起きてるのかこの眼で見たいのが半分。とにかくじっとしてられなかった。2割のバグのほうでした。現地でいろんな人に話を聞きました。最初は、立ち入ってはいけないと、腫れ物にさわるように接していました。身内をなくされた方に、なんと声をかけたらいいかわかりません。よくよく接してみると、放っておかれることよりも、そばにいてもらうほうが助かると言ってくれるようになりました。そうなんだと思って、ぼくは「ちゃんと立ち入ろう」と思った。話すことで、心が楽になることがあります。「聞いたら悪いかも」ではなく、「話したいことを話してください」という接し方が良かったように思います。

電気がない中、火を囲んでいろんな話をしました。現地の人とも、遠くからボランティアに来てる人たちとも、話しました。話すことで、人は少しずつ元気になっていく。つながりとか絆とか、実はよくわかっていないけど、話す行為の力をすごく感じた経験でした。話すことで少しだけ力がわいてくる。その積み重ねで、乗り越えることができる。隣で何も言わずに寄り添う。ただ、隣にいるだけで、話を聞くだけでいいのです。

社会人になると、まわりの友人も忙しくなります。家族をもって子どもが生まれたとか聞くと、気を使って、昔のように呼び出すことも遠慮してしまうかもしれません。でも、落ち込んだ時は、誰かに話を聞いてもらうといいです。落ち込んだ人がいたら、そっと話を聞いてあげるといいです。そういう話せる場所って必要だな、と復興活動を通して思いを強くしました。メディア、オーディナリーをつくりたいと思った多くの理由の1つでもあります。ぼくでよければいつでも話、聞きますよ。

 

(約2063字)

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。