【第068話】泥だらけの科学

「ぼくを見つけられるかな?」

「よし、今度は完璧に隠れてやるぞ」


白衣を着なくても

自分でくり返した実験は
科学だ

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昨日のかくれんぼの話。気配を操る奥義は、忍者とかかくれんぼのプロたちは知ってるのではないでしょうか。科学的には、「準静電界」で説明ができそうです。東大の研究所によれば、「脳からの信号で体の筋肉が動くが、この時に弱い電気が発生する」と言及しています。その電気は「準静電界」と呼ばれていて、これが皮膚の表面から体外にも広がっていく。生き物はすべてこの準静電界で、覆われていますが、この微弱な電気が気配として感じるわけです。脳内でイメージをコントロールする事で、この準静電界を広げたり、狭くしたり、濃くしたり、薄くしたりできる。恐怖で緊張している人のそばに行くと、こちらも緊張が伝染してしまう経験は、だれもがあるでしょう。

医者という仕事は、見た目以上に疲れると思います。患者さんは、病の恐怖ですがるような気持ちで、お医者さんと対面してきます。そのパワーにどう対応したらいいか。はね返しても、受け入れても疲れますから、スルーするしかないのではないか。相談する患者のテンションは高いのに、医者の方は淡々としてマイペースなテンションが低い受け答えをするのは、うまくかわさないと身が持たないという理由なんじゃないかと思います。思いやる気持ちがないとか、サービス精神がないとかではなくて。

目に見えないけれど確実に存在する。こういう話を頭の固いおじさんたちにすると、「それは科学的に証明されていない」という人がいます。でも、科学って何かと言うと、実証主義です。たとえば千回テストして、やっぱり同じ結果がもたらされるというものが科学だと。だとしたら、かくれんぼの奥義をぼくは千回は試しています。自分はもちろん近所のチビたちにも試させて、みんなで泥だらけになりながら、千回以上の効果を実感しています。当時は準静電界のことは知りませんでしたが、気配の消し方には気づいていました。で、それはあなたも日々の生活で、きっと感じた事があることだと思うのです。「見つかったらまずい」と思うほど、荷物チェックでバレてしまったりという経験はだれしもある。白衣を着た研究者の発表ばかりが科学ではありません。

日常には、かくれんぼの奥義のようなものがたくさん存在するのではないか。だとしたら、ぼくは生きるのに役立つ色んな奥義を知りたいと思ったのです。これを知ってるのと知らないのとでは、人生が全然変わる。そんな奥義を発見した時の感動がぼくの仕事の原点、ぼくの「好きなこと」であり「ワクワクすること」です。その後大人になって、奥義の分野はかくれんぼではなく、クリエイティブの分野になっていきました。それでも、子どもの頃から今もやってることは変わりません。奥義の発見とそれを仲間に伝える喜び。自分の体で試してみて、この奥義はすごい、こんなやり方があったのか、と思ったものを人に伝えたいと思うのです。見た目はずいぶんとお腹まわりのゆるみも気になる大人になりましたが、あの時、何度もかくれんぼをくり返していた少年が、いま本を書いたり話したりしています。今日もなにか新しい奥義を発見するために、自分の体をつかっていろいろ生き方の実験をしているのです。泥だらけになることを忘れてはいけないと言い聞かせています。

 

(約1373字)

Photo : babelux


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。