表現の仕事は
奪い合いの世界ではない
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だれも傷つけない表現をしようという昨日の話。「わたしの仕事上、それは難しい」という意見をもらいました。たとえば、家電メーカーで宣伝部にいる彼。自社の冷蔵庫の魅力をアピールしてお客さんに買ってもらおうとする。その表現は、ライバル会社にとってはたしかに邪魔です。冷蔵庫など大きなものは、人生でそうそう何度も買い替えるものでもりません。3台も4台も必要な家庭はそうそうありません。自社の商品が売れるということは、本当は売れたはずのライバル会社の売り上げを奪うことになる。パイの奪い合いという状況の中で、自分が頑張れば頑張るほど傷つき悲しむ人も出てしまうというのです。
受験やオーディションもそう。パイの奪い合いになります。自分が受かるということは、その分、だれかの夢が破れるということにもなります。サラリーマンの出世もそう。部長の椅子をめぐって、同世代の100名が争う。取締役の椅子をめぐって部長20人が争う。この戦いでは、9割が敗者になってしまいます。
限られたものを奪い合う。そんな世界から抜け出ることはできないのでしょうか。奪い合いに魅力を感じる人は、多くありません。すくなくとも頑張る気力が出づらい。負ける恐怖に追い立てられて走ることはあるけど、それでは心がつかれてしまいます。どうしても戦わなきゃいけない場合は、仕事をスポーツだと思うようにしていました。営業をやっていた頃は、スポーツマンのように戦っていた。競合になった他社とお互い全力でぶつかって、楽しんで、終わったら讃え合う。負けても、「くそー、もう少しだったけど。まあ、実力だね。次回頑張ろう」というようなさわやかな態度でいたい。これが仕事=人生になってしまったら、「負けたら人生終わり」。ここで負けたら家族を抱えて路頭に迷うんだと敵に言われたら、ぼくはその相手に勝ちを譲るでしょう。戦いに敗れて自殺してしまう人もいたりして、これでは戦争と何が違うのでしょう。
会社の出世コースから外された人は、2部リーグで頑張ればいい。給料も安いし、注目度も低いけど、2部リーグでの戦いでさわやかにプレーすればいい。生活できない給料ではありません。プレーすること自体が好きなら、2部リーグでしかもいつもスタメンではなかったとしても、なるべく長くプレーしたいと思うものです。
やはり限られたパイを奪い合うような仕事はしたくなあと改めて思います。できるだけ、自分であたらしく仕事を生みだすことをしていきましょう。会社員の人も、いまある椅子を奪い合うのではなく、新しい事業を立ち上げて、新たに自分の椅子をつくるという方向に意識を変えていきましょう。椅子を奪うのではなく、椅子を増やす。これならだれも傷つけません。
表現の世界は、これがやりやすい。たとえば、漫画『スラムダンク』が好きな人がいる。で、同じくらい『ワンピース』も好きで読んでいる。どっちが好きか順位をつけろと言われたら悩んでしまう。両方好きなんです。2つは奪い合うことはありません。キャリーぱみゅぱみゅのライブに行く人が、桑田圭祐のライブにも行くし、七尾旅人も聴く。中沢新一を読む人が、今和次郎も読むし、クラフト・エヴィング商會も石川直樹も読むのです。ある本を読んだら、その周辺にある本をもっと読んで世界を広げたくなる。1人しか読まないということはありません。
もちろん、賞やベストセラーランキングという順位がありますが、入らなかったとしても良いものは良いとみんなわかっている。世間にとってベストセラーじゃなくても、自分にとってベストであればいい。著者は、他人が書いた本を薦めたからと言って、自分の本が売れなくなるわけじゃない。だから、すばらしい仕事をしている同業者をなんの躊躇もなく讃えられるのです。
もし冷蔵庫だったら、同業をほめたら自社製品が売れなくなるので、ほめられません。会社の同僚を賞賛したら、自分が部長になれないので賞賛できない。そういう奪い合いはぼくにとっては、つらい。自由ではないのです。いいものはいいと言いたいし、頑張った人は報われて欲しい。
表現の世界は、奪い合いの世界ではありません。自分の席は自分でつくることができるし、だれとも戦わない。みんなそれぞれが良いものをつくれば、みんな買ってもらえる可能性がある。もちろん紙の本だと部屋の保管スペースの問題が出て、際限なくは買えませんが、デジタルになれば際限はなくなります。もっと自由になるのです。
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