【第032話】くりかえした言葉は次の一瞬

「この話したっけ?」「3回目です」

 

何度話しても
いいんじゃないかな



とある原稿をいくつか待たせてしまっている。忘れているわけではない。ちょっと逃げてる。だれにでも筆が止まる時がある。こういうブロックは書き手にはつきものだ。そんなときは、心の奥をみつめる。なぜなのか、自分にいまどんなブロックがかかっているのかを分析する。

なるほど、今回のブロックはいくつかある。そのひとつは、「この話、過去にどこかで書いたかもしれない」というものだ。はてと記憶をたどり、筆が止まる。どこかで誰かに話したのはたしかだけど、書いたかな。どうだったか。なるべく、同じ人に同じ話はしないようにというのは誰でも考えることだと思う。だけど、それもなかなか難しい。いろんなところで話したり書いたりしている人は、すべてを覚えていることは不可能にちかい。

そもそも同じ話をするのはいけないことなのか。いつから「いけない」と思うようになったのか。そうか、じいちゃんだな。何度も同じ話をするじいちゃんに苦労したことがある。「ああ、またその話か」という経験を通して、明日は我が身、自分が話す時は気をつけなけねばなぁ、と学ぶのだ。そして中には、冷たく「じいちゃん、その話、3回目だから」と指摘してしまう人もいる。じいちゃんは、しょんぼりである。そんな冷たい言い方でいいのかい? 「その話、何度聞いても面白いね」と褒めてくれれば、じいちゃんも気づくよ。「あ、前にも言ったかい」そうして、面白いと認められた満足で、やっとその話を蔵に納めることができる。

という話は、きっとぼくのどれかの本で書いたかもしれない。まあいい、今日はその話だ。何度書いてもいいんじゃないでしょうかという話。

言葉というのは奥深いもので、2度書くにしても、置く場所が変わればまったく同じ内容とは言えません。前後の文脈によって、同じ話もニュアンスが変わってくるんです。この世界は全部粒子でできていて、止まっているように見えるけど、人もその他の物質も、一瞬一瞬で変わっている。たとえば映画。1秒間に24コマがパラパラ漫画のように積み重なっている。現実もあれのもっと細かいバージョンでパラパラ変わっているのです。同じように見えて、一瞬あとには、あなたは違う自分なのだ。だから、「一度言ったからもういいでしょう」ということは本当はない。大事なことは何度でも言わなければならない。なぜカップルは「わたしのこと好き?」のやりとりを何度もするのか。一回言えばわかるでしょう、とはならないものだ。毎日だって同じことを尋ねている。彼女たちは本能的に、わかっているんですね。現実は一瞬の積み重ねであるということを。昨日のあなたと、今日のあなたは、たとえ言葉が同じでも、正確に同じわけではないのです。「元気ですかー!」アントニオ猪木だって何度でも問う。「だから元気だって、何回聞いたらわかるの?」とクレームをつける野暮な視聴者はいない。

人は7回くらい聞いて初めて理解する、というのが本当のところではないか。「ほら、言ったでしょう」という失敗を何度もしてきた。次こそは、と反省してはまたくり返す。ぼくら凡人とはそんなものだ。

「何度も言わなくても」そう制止しそうになったら、これが映画だったら、と考えよう。映画には無駄なシーンはひとつもない(実は現実も同じなのだ)。 なぜじいちゃんは、何度もその話をしていたのか。それはあなたの物語に重要な意味を持つからだ。それは伏線。そしてその伏線はいつかどこかで回収される。「はっ、そうかだからあの時」という場面がくる。人生は映画と同じ。すべてのシーンに意味がある。なぜじいちゃんはくり返したのか。これはどんな伏線なんだ? そう考えはじめた途端に人生はわくわくした冒険になる。もちろん主人公はあなただ。

ということで、10年前からぼくのエッセイを読んでくれてる常連さんは、この連載で同じ話がでることもあると思います。それはそれで落語と思って、「いよっ、出ましたその話!」ってなぐあいに合いの手でも入れてあたたかく迎え入れてくださいまし。そういう楽しみ方もあるということで。さて、少しブロックも外れてきたので問題の原稿にとりかかろうかな。また明日ねー。

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深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。