【第012話】誰のためのデザインか

「マックに導入? 売るか売らないか迷うなぁ」©Arne Jacobsen Egg chair, 1958.


仕事を楽しくやっていきたいなら

好きなお客さんにだけ売ることです

 

人には相性がありますので、相性の合うお客さんとだけ仕事をすればいい。苦手な人たちとは距離をとればいい。あたりまえの、とてもシンプルなことなのです。なのに、わざわざ「嫌いだ」と言うからアバクロみたいな炎上する事態になってしまう。

「太った人や醜い人は、うちの服を着るな。イメージが落ちるから」
アバクロ(米ファッションブランド)のCEOが公の場で発言し、炎上した一件がありました。太ったテレビタレントに「お金を払うから、頼むからうちの服を着て出演してくれるな」と言ったり、「着古した服は寄付しないで捨てるように」呼びかけたと言うのです(ホームレスや途上国の子どもたちが着ているとイメージが落ちるから)。それに反発して、わざわざアバクロの服をホームレスに配ったという活動家も現れ、いよいよ事態は大きくなってしまいました。(詳細記事はこちらで)

反発する活動家がとった行動とは?

この戦いでだれか幸せになった人がいるかといえば、いないんですね。この事件を反面教師に、ぼくらが学べることはなんでしょう。ブランドイメージを守りたいのはわかるけど、人を傷つけていいはずがない。精神性が大事、ということです。

傷つく人がでる可能性のあるメッセージは発しない。簡単に言えば、「こんなお客さんが好き」とは言っても、「こんなお客さんは嫌い」とは言わないということです。嫌いと言われて、悲しまない人はいません。

ホームレスを「ダサい」と言ってしまう感性の人がいるのはわかりますが、人生経験が狭いなと思います。ホームレスと呼ばれる人の中には本当の哲学者がいます。20歳の時にぼくもそういう人に出会っている。本当にダサいのはどちらだろうと考えさせられたんです。太ってる人も痩せればいいとか言いますけど、体質的に太りやすい人は、本当に大変ですよ。少ない量を食べても太ってしまう。

公で発言する人は特に、言葉の使い方をあらためて学び直さないといけない。口をひらく時、心がけることは、「そこに愛があるか」という一点です。きれいな言葉をつかうこと。「美しい人にしかアバクロを着て欲しくない」って言いますけど、CEOの使っている言葉が醜いものだったら、それは無理な話です。

「むやみに人を傷つけてはいけない。それは必ず返ってきますよ」
そうぼくは小学校のころ加藤初江先生に教わったけど、あなたもどこかで教わったと思うんです。苦手な人がいるのは、だれだってそうです。もしそうなら静かに離れればいい。わざわざ攻撃する必要はないんです。

攻撃する人は、もし自分が弱ったときに攻撃し返されますよ。それで倒れたら、自業自得と言われます。人を外見の美醜で判断する人、あなたの自慢の美しさは時間とともに失われていく。失われていくものを数える人生は本当につらいです。「差別をしない」とか「弱者を助ける社会」というのは、別に道徳的な話だけじゃなくて、自分自身のために言ってるんです。情けは人のためならず、ということです。

 

お客さんを選んではいけないか、と言ったらそうではありません。思い出したのは、ヤコブセンの椅子の話。

フリッツ•ハンセン社はアルネ•ヤコブセンのデザインした椅子の名作「EGG」を扱っていた。そこに高額にも関わらず、あのマクドナルドが「数千脚買いたい」と申し出てきた。マック側はその美しい椅子で、店内のイメージアップを図りたかった。「体に悪いものを安売りしているファーストフード」という悪いイメージを改善したかった。ハンセン側にとっては、売り上げは立つが、イメージを落とす可能性がある。しかし、迷ったあげく、売ってしまい、その心配が現実になってしまった。そしてしばらくすると「EGG? あ、あのマックの椅子ね」と言われるようになり、ハンセン社の質の高いイメージは崩れてしまった。結局、ハンセン社はマックに「もう追加では売らない」と宣言した。(それでもマックは、この椅子そっくりのデザインを他社でつくってもらい導入した)

こういうもめた事例があるけど、「誰がお客さんか」でイメージが決まるというのはありますね。

ハンセン社の肩を持つわけではないけど、マックの安売りのイメージがいけないのではなく、体に悪いものを悪いと自覚しながら、それを人々に提供し健康を害し続けている倫理観のスタンスが嫌だったのだと思う。マックの営業姿勢に共感できなかった。その場に、自分の作品を置かれたくはない。こういう気持ちはアーティストなら誰しもあるんじゃないでしょうか。

「お金はいくらでも出すから売ってくれ」
「いや、そういう問題ではないんです」
こういう買い手と売り手の攻防は、今日もたくさんの場所で起きているはず。お金持ちだからといって精神性が高いわけではない、というのが難しいところですね。

お客を選ぶ、というと傲慢に聞こえてしまうけど、大事なことです。もし、あなたが飲食店の店主だったら。酔っぱらってギャーギャー騒いで、他のお客さんに迷惑かけるような客がいた場合は、追い出すでしょう。店主は、他のお客さんを守らなければならない。だからいくら穏便なあなたでも「迷惑をかける客は客にあらず」という強固なスタンスをとることもある。

ぼくは独立して9年になるけど、一度もお客さんをお客さんと思ったことがありません。友人づくりをしていると思っています。広告コピーを書く仕事をしていたとき、具体的な職種は出さないけど共感できない会社の仕事は断って来ました。いくら法的にはOKでも個人的に好きになれないものに手助けはしたくない。「金ならいくらでも出す」と言われたけど、「ちょっといま多忙でして受けられる状態ではないんです」とやんわり断った。共感できないし力が入らないので、良いパフォーマンスは出せそうもない。それでは相手に悪いなという思いもありました。世の中を良くない方にもっていくような社長を、ぼくは友人とは思えないんです。そんな会社の片棒を担ぎたくはない。ハンセン社の気持ちはすごくわかるんです。イメージが下がるとかいうレベルの話じゃない。そんな人と友人になりたくないだけなんです。

アバクロの件で思ったのは、美しい人をさらに美しくするのはアートでもなんでもないので、ぼくの場合はやる意味を感じないな、ということ。10%の強者をさらに強くするデザインではなく、残り90%のためのデザイン。断然こちらに力を注ぎたい。

アバクロ VS 活動家、どちらを支持するかみたいな話も一部で盛り上がってるけど、精神性ということで言えば、アバクロもこの活動家もどっちもどっちでしょう。お互い、人を傷つけ合っているという時点で、同じです。

アバクロさんのように戦ってしまう人は、自分が手に入れたかったけど入れられなかったものへのコンプレックス(この人の場合は美しい外見)なんだろうな。『プレイボーイ』誌を創刊したヒュー・ヘフナーは女性にモテないのがコンプレックスで、「美女を思い通りに動かしたい」願望で美女満載の写真雑誌を創刊した。そんな話を思い出す。「誰かを見返してやる」というエネルギーは、扱いを注意しないと、人を傷つけ自分の身も滅ぼしてしまうことが多い。スタートはそれでもいいけど、どこかで健全なモチベーションに軌道修正しないと。

類は友を呼ぶのは周知のこと。売り手側の精神性が、似たような精神性をもった買い手を惹き付ける。どっちもどっちということなんです。
「最近、無理な要望、クレームを言ってくるお客さんが増えたなぁ」
そういう人は、自らを反省する。相手から搾取するようなメンタリティーになっていないか。自分の心がごちゃごちゃ乱れていないか、と。自分の心の平安を取り戻したとき、不思議と合わないお客さんはいなくなるものです。

売りたくない人には売らないという自由もある。包丁をつくる職人にしてみれば、料理人が買えば、人を幸せにする道具だけど、殺人鬼に売ってしまったら、人を不幸にする武器になってしまう。同じ包丁でも正反対の結果になってしまう。だれに売るのか、しっかり選ぶのも売り手の責任なのです。お金を積まれたからと言って、ほいほいと売ってはいけない時もある。

買う方が偉いのでもないし、売る方が偉いのでもありません。そこはフラットだと思っています。くり返しますが、仕事は友人づくり。その人と友人になりたいですか、という単純な話なんです。お金を儲けるためにやってる会社の商品は、お金さえ出せば買えるでしょう。でも、友人づくりのためにやってる会社の商品は、お金を積んだだけでは買えない。そこにリスペクトがないと。

どんな人と友人になりたいか、というイメージをあなたは持っていますか? ぼくの場合は、「あたたかく、誠実で、気前良く与える、愛のある人」とつきあいたい。そういう友人に囲まれてやっていきたい。そのためには、まず己自身がそうであるかをいつも再確認することですね。(約3670字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。