【第009話】なまはげを倒すため秋田へ出発した結果

まだ暗いうちから電車に乗り込む(渋谷)

まだ夜が明けぬうちから電車に乗り込む(渋谷駅)


この寒い時期になると、

トラウマのように思い出すのが、なまはげ

 

あの、いまいましい鬼たちについてだ。

まだしゃべれもしない小さな頃、秋田ではなく岩手に住んでいたんだけど なぜかわざわざ「なまはげ資料館」的な場所に連れて行かれ、鬼に襲われた。

「なぐごはいねーがー?(泣く子はいないか)」とぼくらチビッコに襲いかかって来て泣かす。まったくもって理不尽な企画である。本当に怖くて、でも親は笑ってる。これは完全に、信用していた仲間に裏切られて生け贄にされるパターンだ。「こうなったら戦うしかない」と心を決めた。でも明らかに戦闘力では、相手に分がある。当時は号泣して敗退したが、倒れ込んだ資料館の、あのコンクリートの床、ほほにしみ入る冷たさは忘れていない。

ぼくは忘れられない男なのだ。いつか倒してやろうと、虎視眈々とこの年、34歳になるまで厳しいトレーニングを重ねて来た。

そしてついに今日、やつらを倒すために秋田へ出発する。「なぜ、いまなのか」と聞かれたら、「時は来た、それだけだ」と。橋本慎也ではないが、そう答える他はない。

正月休み、Uターンラッシュは始まっているが、下り方面の混雑はそうでもない。ぼくは緊張の面持ちで、しかし確実に電車に乗りこみ、秋田へ向かった。その車中、暇だろうと思い持って来た本が、『数え方の辞典』(飯田朝子著)である。

なかなかに勉強になる本で、「人魚は一人と数える。一匹ではない」という話とか、「メガホンは一本だけど、拡声器は一台」という話が載っている。人魚には心があるから魚というよりは人として数えるのか、ふむふむ。メガホンと拡声器は同じように「声を大きくする道具」だけど、拡声器は機械だから、一台なんだね。じゃあ、ロボットは、一台なのか一体なのか。たい焼きは、一個なのか一匹なのか。一尾(いちび)と表記しているたい焼き屋さんもあったぞ。そうやってぐるぐる思考をめぐらせ、たまにたい焼きをかじりながら秋田へ向かっている。その車内で今、このエッセイを書いている。

そして今、衝撃的な事実が書いてあった。
「鬼は一匹と数えます」
そう、なまはげは一匹なのだ。(みんな知ってた?)

天使は「一人」なのだが、悪魔は「一匹」。
「この悪魔! 人でなし!」
人ではないから、一匹ということなのだろうか。

なまはげは、動物扱いだった。「なぐごはいねーがー?」などと偉そうに言ってるが、彼は一匹なのだ。

車内に一瞬の静寂が訪れ、ぼくの心の奥の方から、「もういい、許そう」。そんなあたたかな声が聞こえた。 彼を一匹と数えると思うと、ペットみたいというか、すごくキュートに見えてくる。そして、人間扱いされていないと思うと、切なくなる。認められない彼らの悲しみみたいなものまで、感じられてくる。

たしかに彼らは、悪いやつらだ。罪のない幼子を泣かす。 でも、彼らをしいたげてきたのも、ぼくら人間だ。 本当は、かまって欲しかったんじゃないかな。 さびしかったし、愛されたかったんじゃないかな。

きみの職場でも、お客さんでも、理不尽な嫌がらせをしてくる人がいるかもしれない。彼らは、きみのことが憎いんじゃない、かまって欲しいんだけなんだ。愛をもって、仲間に入れてあげてほしい。

ぼくは、途中駅で反対方向へ乗り換えた。
そして東京に向かっている。
さあ、これからオーディナリーの編集会議だ。
この、可哀想な鬼の話をメンバーに伝えなければと思う。


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。