【第259話】「君には飽きた」と言われた僕は、波の数だけ抱きしめた / 深井次郎エッセイ

海

「また同じ波か」「ふふふ、本当に同じに見えるかい?」

 

マンネリが続けられるのは才能があるから

 

部屋の中がずいぶん暗い。

「そうか、もう夕方か」

電気をつけるのを忘れていた。

自分と似た人を見るとほおって置けなくなる。相談メールをもらった読者のことをもうずいぶん考えてしまっていました。

ブロガーの彼は、友人にネガティブな反応をもらってしまい、かれこれ3ヶ月も筆が止まってしまったと言います。

「なんだか同じようなことばかり書いてるね、ネタ切れ?」

書いてる本人は、毎回違う驚きを書いているつもりだし、伝えたいことは尽きない。自分は面白いと思いながら、ワクワクしながら書いています。もちろん、読んで発見があるよとポジティブな反応をくれる読者もいるけれど。でも、たった一つの批判が、喉につかえてしまう。

(飽きてしまっている読者もいるのかな…)

マンネリだと言われても、自分が面白いと思うのはこれだし、違うことを書こうにも他に何があるのだろう。考えれば考えるほど、焦り、全然違うアプローチをしようとしても、なんだか自分らしくない。気持ちが入らない。考えすぎて完璧主義に陥り書けなくなる。そうしているうちに「彼の言う通り、本当に俺は枯れてしまったのかもしれない」と思い込み、いやそんなはずはないけど、気持ちがふさぐ。

 

読者はいろんな味を食べたいもの

 

すごくわかります。ぼくも書き始めて14年、何度も筆が止まっています。

「これが面白いんだ」と思って書いていても、読者の全員がついてきてくれることはありません。はじめは新鮮で面白いと思っても、その著者のブログばかり読んでると飽きるわけではないのですが、そろそろちょっと違う味も食べたいな、という時もあります。

「オーケー、じゃあまたこの味が食べたくなったら戻ってきてね」

そんな気負いのないスタンスが長続きすると思います。「囲い込み戦略」とか怖いこと考えずに、軽くリリースするのです。出やすいところには、また戻ってきてくれます。

読者の期待に応えることも大事ですが、まずは自分が楽しめて、モチベーションが続くように仕向けること。せっかく大好きなものが見つかったのだから、嫌いにならないようにしてあげてください。書くことが生きがいなぼくらは、好きなままで長く続けていきたいですよね。長く続けた道の先に、どんな高みが待っているのか。それが楽しみじゃないですか。

 

総合レストランではなく、専門店になる

 

まわりを見渡せば、さまざまな味を提供できる大きな総合レストランもあります。ハンバーグもラーメンも、海鮮丼だってある、巨大イオンモールのフードコートみたいな場所もある。

でも、個人ブロガーの多くは、一人でそんなに多数のメニューを提供できません。

「僕は豆腐屋だから、豆腐しか作らない」

そう言って、映画監督の小津安二郎は淡々とした家族の映画を撮り続けました。後年、世界に巨匠と評された彼も、マンネリとの批判に苦しんだ時期があります。あれもこれもではなく、これしかやらない。これしかできない。ひとつを追求する「専門店」でもいいのではないかと思うのです。

豆腐に飽きたら、焼肉屋さんに行ってもらえばいい。でも、きっとその人もまた豆腐が食べたくなる時がきます。その時に、「豆腐といえばあの豆腐屋だ」と思い出してもらえるように、美味しくて健康にいい豆腐をつくり続けましょう。

 

誰でも「本当に好きなこと」なら細部がわかる

 

もちろん、読者の中には毎日でも豆腐を食べたい、「主食が豆腐」という人も1パーセントくらいはいるものです。毎日来る常連さんは、いつもと同じざる豆腐でも微妙な違いをわかってくれます。

「おやっ、今日は出来が違うね!」
「わかりますか、ほら今日は湿度が高いでしょ。だからより粘りが出たんでしょうね」

知らない人は、「ただの豆腐」にしか見えなくても、この二人には細部が見えるのです。つくる方も、その日のコンディションによって変わる豆腐づくりの難しさと奥深さに、とりつかれています。もう10年以上続けていて、まわりからはルーティンに見えても、毎回発見がある。だから興味が尽きずに探求したくなるのです。

「どれも一緒でしょ?」
「全然一緒じゃないよ!」

これはどの世界でもそうですよね。おじさんは年をとると、若いアイドルグループの顔が区別がつかなくなります。

「なんだ、みんな同じ顔じゃないか?」

そう言ったかと思うと、趣味で撮っている山の写真を広げて

「どうだ、いろんな表情があるだろう?」

と語ってくれたりします。

「あ、これは飛騨の剱岳ですね」
「お、わかるかい?」

他人には、「ただの山」にしか見えなくても、好きな人にはその違いは大きいのです。結局、好きじゃないものは、細かいところまで区別がつかない、ということです。

葛飾北斎のことを「富士山ばかり描いてマンネリだ」という人もいれば、「どの富士も違う、なんて味わい深いんだ」と感動する人もいる。奈良美智の描く少女をマンネリだという人もいるし、キムタクはどの役を演じてもキムタクだ、という人もいます。

 

いつまでも攻略できないからこそ、続けられる
続けられるから、高みへいける

 

機械ならともかく、判を押したように完全に同じことは、人間は続けることができません。人間は飽きるからです。あなたが長く続けられているということは、違いに気づいているということです。そのほんのわずかな違いを、きっと同志も気づいて、あなたと同じように楽しんでくれるはずです。

テレビの視聴率が急激に下がっているのを見ればわかるように、これからの時代は、マスが成立せずに、多様な好みごとのグループに細分化されていきます。だからこそ「わかる人には、わかる」狭く深いものが求められてきています。

「お前はマンネリだ」

そう批判する声を気にする必要はありません。まず、マンネリだと気づくほどには読んでくれたことに感謝です。そして、自分自身に問いかけてください。

(自分は本当に面白いと思ってこれを書いているのか)と。

もしそうじゃなかったら、何かを変えましょう。怠惰のルーティン、手グセで流しているだけでは、成長しません。

あなたは「面白い」とワクワクしながら書いている。自分は全然飽きないし、いつまでたっても難しいし、ますます奥深い底なしの井戸にいるようだと思ったなら、なおさらそのまま筆を止めてはいけません。

100m陸上の選手は、毎日何本も走って練習しています。

「さっきからずっと同じ練習してますよね」

聞くと、

「いや、全部違いますよ」

笑って答えます。

「さっきは、目を見開いた方が力が出るか、細めた方がいいか。その前の一本は、顎をひくか、上げるかの検証でした」

ぼくらには到底気づかない違いの実験を、一本一本大事にくり返しています。 調子が良かったら、何が原因か考えます。仮説と検証のくり返し。だから、「ただまっすぐ10秒間走るだけ」でも飽きない。

他人からはマンネリに見えることもあるでしょう。でも本人は全く飽きない。ということは、それがあなたの「好きなこと」「才能のあること」です。

だからこそ、ブロガーの彼に伝えたい。

「恵まれた才能があるのだから、筆を止めないでください」

ぼくと一緒に書きましょう。もし誰も読まなくても、ぼくが読みます。

 

ピッタリだ!

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…などのテーマが、深井次郎が得意とする分野です。全員に返信はできないかもしれませんが、エッセイを通してメッセージを贈ることができます。こちらのフォームからお待ちしています。(オーディナリー編集部)

(2800字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。