【第241話】色ではなく光に / 深井次郎エッセイ

 

才能を伸ばす先生は、何をしているのか

 

すべての人間関係においてそうかもしれませんが、とくに「教える、育む」を仕事にしている人は、ちょっと意識してみてはいかがでしょう。教える仕事に就く人は、たいてい何か得意分野があって、自信もある人が多いものです。ですから、つい自分のやりかたを押し付けてしまうということが起こります。

得意技を持ってしまう、ということも起こります。過去にこのアドバイスをしたら成功した経験があるから、以来そればかりを使う、というようなことも。 自分が20代で独立してるので、ぼくも「独立することが自由に生きる唯一の働き方だ」と信じて疑わない時期がありました。もちろん、当時はそれくらい思い込んでないと飛び出せなかったとも思います。

相談に来る人、来る人に、そう説いていました。「辞めて独立すべき。しかも若ければ若い方がいい」と。でも、人はみんなそれぞれ違うんですね。自分がトップでやっていくより、ナンバー2が向いてる人もいるし、大きな組織で決められたルーチンをこなすほうが輝く人もいる。幸せについての考え方も人それぞれ。当時はそれがわかりませんでした。小学校の道徳で習った「人間、みな平等」をなぜかはき違えて、「人間、みな同じ」だと思いこんでいたんです。

「私がうまくいった方法は、みんなもうまくいくはずだ」でも、それは違うんですね。「弱虫でいじめられっ子のぼくだってボクシングの世界チャンピオンになれたんだから、君だってできるよ」そんな論法はよくありますが、そうじゃないんです。世界一は、才能ないと無理です。才能あった人が、いじめられっこでもあったという話です。

人間について2つの考え方があります。だいたいの人は、このどちらかなのですが、

1. 人間は基本的に「みんな同じ」で、なかには違うところもある
2. 人間は基本的に「みんな違く」て、なかには同じところもある

20代半ばのころのぼくは、1だと思ってたんです。この2つの考え方は、似てるようでまったく違います。 みんな同じ、と考える人ほど、他人に対してイライラしたり、怒ります。

「どうしてわからないの?」
「なぜできないの?」
「常識的に考えてこうでしょう?」

自分に簡単にできることは、他の人もできて当然。でも、違うのです。背の高い低いは、見たらわかりますが、外見以上に、内面の差はバラエティーに富んでいるのが人間です。

まったくの異星人、というほど考え方が違うのが当たり前。ぼくのまわりにもブログが大炎上しても笑っている人もいれば、否定的なコメントひとつでショックで寝込んで断筆してしまう人もいます。ぼくはメールの返信が遅いのですが、それを非常識と仲間に怒られることもあります。そう言われたって、もう15年も努力してもできないのです。ここまでくるとやる気がないとか、ナマケモノだとかの問題じゃない。なにかの病気かと自分でも疑ってしまうくらいです。才能がない。

「基本的に、人はみなまったく違うものだ」という前提で接していれば、「なんでわかってくれないの?」はなくなります。「違うんだもん、できないよね、そうだよね」でも、なかには同じところもあるよねと。同じところがたまに見つかると、わかり合えた喜び、感謝の気持ちはひとしおです。

ぼくも大学などで教える立場になって、よく指摘されます。

「深井さんって、言ってることがコロコロ変わりませんか? 矛盾してませんか?」

佐藤くんにはこう。

「まわりの目なんて気にせず、やりたいことにまっすぐいけばいいよ」

次の野中さんには、

「やりたいこと探しまわるのもいいけど、まず与えられたことに全力つくしてみたら」

とアドバイスしていたりします。置かれた場所で咲けと言ってみたり、居場所は自分でつくれだったり。ノーリスク、ノーリターン。君子、危うきに近寄らず。真逆のことをアドバイスしていたりする。でも、あたりまえなのです。佐藤くんと、野中さんでは、違うから。

対面で個別アドバイスする場合は、それができますが、本を書く場合は読者全員に合わせるアドバイスはなかなか難しいものです。でも、できないことはありません。「色ではなく光になる」を意識して伝えるのです。

たとえば、紫色はきれいですが、それで相手を染めたらどうなるでしょう。相手が白ならきれいな紫ですが、相手が深緑なら何とも言えない色になります。色の相性が合えば、そのアドバイスも機能しますが、合わないことも多い。「自分の考えが絶対だ。だからそれを教えてやる」という先生は、生徒に色を塗りたくっています。もしそれが黒だったら、どうなるでしょう。

色ではなく、光。光で彼を照らすのです。人はだれしも、もともと色を持っています。生徒の持ってるその色を、そのまま輝かせるにはどうしたらいいか。先生たちは、生徒自身の中にあるものを照らしてあげるようにすること。答えはだれしもその人の中にあるのです。

「すごいじゃん、そんなことできるんだ」
「上手になったね、それ向いてるんじゃないの」
「楽しそうだね、もっとやったら?」

先生がたんなる知識のみを伝える存在だとしたら、本で十分だし、近い将来ロボットにとって変わられます。元気づけたり、「自分にもやれるかも」と希望を持たせるのが、先生の本当の仕事です。

冒頭に、すべての人間関係がそうじゃないかと言いましたが、もしあなたが光になればまわりに敵なんていなくなる。合わない人もいなくなる。いえ、まちがえました、もともとみんな合わないのが当たり前なのです。合わないけれど、イライラはなくなるということです。相手そのものを、「ああ、いいところもってるね」尊重し、応援する。「なるほど、そんな考えもあるんですね。勉強になります。さすがですね」まわりに人が集まるリーダー、育てるのが上手な先生というのは、色が強い人のことではないのです。

 

(約2391字)
PHOTO: Mirai Takahashi

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。