【第233話】未知なる感覚を求めて – 日本一のバンジーを飛んでみた話 – / 深井次郎エッセイ

なぜ飛ぼうと思ったのか
それは感覚のレパートリーを増やしたかったから

 

 

「なにか面白いことしない?」

よくあるそんな話の流れで、バンジージャンプを提案したのは、ぼく自身です。

なぜ今、バンジーなのか。この年まで、一度だって「バンジーをやりたい」などと、頭をよぎったことはありませんでした。

こういうエクストリーム系の遊びは、若い10代20代の血気盛んなお年頃にハマるものです。でもぼくは落下系が苦手なのです。スノーボードも滑りますが、大きなジャンプは怖くてやりません。ジェットコースターも避けていたぼくが、どうして今になってバンジーを体験しようという気になったのか。きっと自分の中でなにか変化があったのでしょう。

橋の中央から、100m下のダムに飛び降ります

橋の中央から、100m下のダムに飛び降ります

 

30代も半ばになり、切実に実感していることは、「人生は短い」ということです。いまだに、自分がすでに30代だということが信じられない。そのくらいに、これまでの人生、あっというまでした。このペースで進んだら、すぐに倍の70歳です。

自分はなんのために生まれてきたのか。その答えは十人十色あるでしょう。ぼくの場合は、肉体は魂の乗り物だと思っていて、あの世では体験できないさまざまな感情を味わうために、この世にやってきたと思っています。

あの世は、魂という光だけが存在し、あなたの願うことはすべて叶います。行きたいところに瞬間移動できるし、肉体がないのでお腹が減ることもありません。暑さ寒さもない、意思疎通もテレパシーで、なにも困ることのない場所です。

そんなぼくらの魂が、わざわざ自分の意志でこの世に降りてきたのは、肉体という不便なものに乗ることを楽しむためです。肉体があるとさまざまな制限が生まれますが、そのおかげで苦痛も快楽も、喜怒哀楽を味わうことができます。魂を成長させるには、それが有効なのです。

 

下がスケスケ。ここにいるだけで足がふるえます

下がスケスケ。ここにいるだけで足がふるえます

 

髪に白いものが混じるようになり、少しずつ老いや死を意識しだすころ。「はたして自分の魂はこの世での目的を達成できただろうか」、と人は思うわけです。 肉体があるからこそできること。まだ味わったことのない体の感覚があるのではないか。まず思ったのは、宇宙。でもこれはまだ先だなと。「死ぬまでにしたい100の夢リスト」ではないですが、いろいろ洗い出してみると、バンジーが浮かびました。

落下の恐怖は、できれば体験したくないものですが、これも肉体があればこその感情です。魂にとっては、プラスであれマイナスにであれ感情の振れ幅が快感なのです。

夢リストの定番は、「アラスカでオーロラを観る」だったりしますが、観る系のものはぼくのリストにはあまりランクインしません。視覚聴覚は、映像である程度おぎなえるからです。でもこれが、触覚、味覚となると、体験しないと難しいもの。100m落下の感覚は、「リアルに想像してみて」と言われてもなかなかできませんでした。体感のレパートリーが足りないために、想像しきれなかったのです。

映画を観ていても、小説を読んでいても、意を決して飛び降りるシーンがありますが、ぼくらは観客としてどこまでリアルに感情移入できているでしょうか。バンジーを一度体験すれば感覚がつかめるのではないか。臨場感が持てるので、映像を観ただけでも感動しやすくなるはずです。年をとると涙もろくなるのは、体感のレパートリーが増えることによって、感情移入しやすくなるからです。

そういえば少し前に、アイドルの女の子がテレビ番組でバンジーを飛べなかったから批判を受けたというニュースがありました。何度トライしても泣き出してしまって、飛べなかった。それに対して、「プロ意識が足りない」という批判が殺到したそうです。批判する人のほとんどは、バンジーをやったことのない人ではないでしょうか。バンジーのあの台から下を見た人は「わかるよ、あれは無理だよね… 」と同情できます。ぼくは初めてだったのもあると思うけど、プロ意識とか根性で克服できるレベルの恐怖ではありませんでした。特別な訓練している人以外は、相当な恐怖でしょう。どの世界でも、経験者は初心者にやさしくなります。

そんなこんなで、「初体験」がいまぼくの中でテーマなのです。 バンジーをやろう。 唐突な思いつきのようですが、実はこんな思考の流れがあったのです。クリエイティブや教育に関わるものとして、自らの感覚のレパートリーを増やすことは、必須なのではないかと考えたのです。

 

顔色が悪い

スタンバイ。かなり顔色が悪い

 

 

 

小心者のぼくが、ギリギリ飛べた
守ってよかった2つのアドバイス

さて、飛ぶと決まれば、あとは準備です。初めてのことに挑戦するときは、まず、経験者にコツを聞きます。何をやる上でも、これはまずやります。大事なことはいくつかありましたが、中でもこの2つは実際に役に立ちました。これを知らないで挑んでいたら、たぶん飛べなかったことでしょう。

1. 下を見るな。遠くの景色を見て踏み出せ

飛ぶ位置につくと、どうしても下を見つめてしまいます。わかってはいても、ぼくもついやってしまいました。チラッと見て、味わったことのない恐怖にクラクラめまいがしました。「あ、ダメだ… 」と一度心が折れました。でも、気持ちを立て直して、遠くの山々の美しい景色に目をやり、恐怖心から目をそらす努力をします。 仕事で何か新しいことをするときも同じですね。目先の心配ではなく、遠くのビジョンを見て踏み出す、あの感じです。

2.  最初のカウントダウンで飛べ

1回目のコールで躊躇してしまうと、どんどんプレッシャーが大きくなるようです。経験上、飛べない確率がぐんと上がるとのこと。勝負は1回。ここにすべてをかけること。普段からマイペースを大事にするぼくとしては、まわりに急かされるようなカウントダウンほど、うっとうしいものはありません。 でも、今回飛んでみて、考えを改めました。カウントダウンは恐怖を乗りこえる上で有効です。もし、まわりからのプレッシャーがなく、「あなたのペースで、いつでもどうぞ」だったら、いつまでも決心ができなかったことでしょう。カウントダウンがあることによって、飛べる人の割合が確実に上がる。だからカウントダウンってあるんだなと、身をもって実感しました。

これは仕事でいえば、〆切の大事さでしょうか。まわりからのプレッシャーは上手く使えば、1人では踏み出せないこともできるようになります。改めて、〆切の使いかたを見直したいですね。

「最初のカウントダウンで飛べ」思えば、ぼくが会社員から独立した時もそれを意識していました。新卒で入社したときから決めていた「25歳で独立」というタイミング。まわりにも宣言していましたし、そこを逃したら、ひといちばい臆病者で安定志向のぼくは、もっと怖くなって飛び出せなかったのではないでしょうか。先延ばしするほど、恐怖は大きくなるものです。

 

下を見てしまい、クラクラしているところ

下を見てしまい、クラクラしているところ

 

 

1%のせめぎ合いを押し切った
「やらなかったら後悔する」 

 

今回のバンジーも、位置につき下をチラッと見たら、めまいがしました。こりゃ、絶対無理でしょう。橋の上で準備しているときも、足元は鉄の網なので、下がスケスケです。

それでも飛ぶ気は満々。100とはいきませんが、98%でした。でも、いざ飛ぶ位置に立つと全然ちがいました。リタイヤの方に気持ちがバーンと振られました。料金は15000円。飛べなくても返金はありません。けれど、お金などまったく気になりませんでした。どうでもいいです。いくら損したって、命には変えられない。この状態を避けられるものなら、いくらだって損していい。「さて、辞める言い訳をなんて言おうか、いつ言おうか」そんなことを考え始めました。

それでも、思いなおし、最終的に恐怖をぎりぎり49%まで押し返せたのは「やらずに後悔したくない」という気持ちです。 今この瞬間は抱えきれないほどの恐怖だけど、やり終えた後、気持ちいいことはわかっています。実際に飛び終えた人の顔を見ればそれはあきらかです。帰り道、みんなで、わいわいと感想を話し合う時間も楽しい。それが経験できないのは、つらいなと思いました。

「くそー、あの時飛んでいれば… 」

帰ってから自分を責めている場面が、ありありと想像できました。こんな思考のせめぎ合いがあって、飛び降りたのです。本当に、ギリギリのところでした。あの恐怖に飛びこめた人、全員尊敬します。もちろん飛べなかった人も、飛べなくて当然だと思う。あれは、怖すぎます。あの恐怖との葛藤を経験しただけでも価値があるはずです。別にチャンスなんていくらでもあるので、限界だったら、辞めてもアリでしょう。

 

水面が迫ってくる

水面が迫ってくる

 

 

直前の葛藤と1秒後の後悔について 

今回、結果として、バンジーをなんとかギリギリ、心のせめぎ合いの末、飛ぶことができましたが、発見がいろいろあってよかったです。

絶対飛ぶとあれだけ決心しても、いざ位置につくと揺らぐんだな、とか、想像を超える感覚にはイメージトレーニングが役に立たないなぁとか。

なかでも印象的だった感覚は、飛んだメンバー全員が口にした「踏み出した一秒後に後悔した」というものです。えいやっと飛んだ瞬間は、勇気を全部ふりしぼって頭を真っ白にして踏み出しました。けれど、落下が始まった直後、下をみるとありえない状況。ふっと一瞬冷静になりました。

「なんで飛んでしまったんだ… 」

頭が走馬灯という感じともまた少し違いましたが、超高速回転になりました。みんなで「バンジーやろう」と話してた場面とか、ここにくる道中での会話とか、カウントダウンに乗って飛び出してしまった1秒前の自分とかを思い出しました。あそこで断ることもできたのに…。軽はずみな行動だったことを、ひたすら悔いました。

これで死んじゃうなんて、バカだな…。なに飛び降りてんだ、オレ…。 きっと非常事態すぎて、脳が混乱したんだと思います。ヒモがついてることはまったく頭から消えていました。水面がせまってきて、加速も最大になり、

「くそっ、もうダメだ。背中から水面にいくぞ」

受け身の姿勢で体を丸くし、目をつぶる。っと、思ったら体が浮きバウンド。助かったとわかったときに「あ、そういえばヒモあったんだった、そりゃそうだよね」と現実に戻ってきました。怖い夢から覚めたみたいでした。 あれだけ決心して飛んだのに、後悔したのです。冷静に考えればヒモがついてるから大丈夫なはずなのに、経験したことのない感覚に混乱して死ぬと本気で思ったのです。そういうもんだよなー、面白いなと思いました。

ぼくの中でバンジーは、独立したときと重なります。独立もあれだけ考えに考えて決心したのに、飛んだ直後に同じような感覚になりました。

「なんてバカなことをしてしまったんだ」

独立したって、別に死ぬわけじゃないのです。リスクを身の丈におさえた起業であれば、いくらでも再起が可能なわけです。なのに、死ぬと思った。ぜんぜん、ヒモついてるのに。味わったことのない感覚に直面すると、脳がパニックになるんですね。冷静に考えれば大丈夫なのものを、「もうダメだ、死ぬ」と思ってしまう。

…という感じで、バンジーをしてきたのですが、そのことをエッセイに書こうかなと編集部に言ったら

「バンジーやったとか、あんまり人に言わない方がいいんじゃないですか。バカっぽいので… 」

と止められました。 けど、書いてしまいました。バンジーを経験したことで、感覚のレパートリーが増えたし、恐怖感とのつき合い方の理解が深まったからです。別に人にはすすめませんが、やって学びになったと思います。

とはいえ、二度とあの恐怖は味わいたくありません。一度で十分です。次はまたちがう感覚にトライしよう。ああ、そうやって好奇心おう盛な人がトライアスロンに向かっていくのかもしれないな。あとは瞑想とかも。(了)

 

さあ、次はなにを体験しようか

さあ、次はなにを体験しようか

 

【参考サイト】
高さ約60mの崖から高飛び込み!
ブラジル出身スイス人アスリートがスイス・マッジャで高飛び込みの世界記録を更新した。これで60mだから、今回の竜神大吊橋100mは相当高い。ひもなしだったら助からないか…。

 

(約4770字)

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。