【第226話】22歳は大人か? – 子どもと大人の境目について、苦い経験から学んだ1つのこと- / 深井次郎エッセイ

 

 

大人の世界は、持ち寄りパーティーである

 

「深井は、なんでここにいるんだ?」

新人時代、会議中の席で会社の役員に言われたことがあります。カチンと来たのを抑えながら返しました。

「あなたに呼ばれたからですが」

当時のぼくは、営業の数字を達成しないと「明日はない」(つまりクビ)という追い込まれた状況。それなのに自分に関係ないと思われる会議に突然呼ばれ、会社の偉い人たちと悠長にお茶をすすっている場合ではありませんでした。その事情を説明して懸命に断ったのに、それでも「いいから出席しなさい」と。

(会議なんてしている場合ではないのに…)

出席してみたら、予想通り、自分に関係ない、しかも興味も沸かない難しい内容。不満をアピールする気持ちもあったと思います。つまらなそうに、会議中ずっと黙っていました。

「深井、発言しない人間は、いないものと同じだぞ」

他社の人もいたので礼儀上「すみません…」としぶしぶ謝ったものの、じゃあ口下手の人は存在価値なしってことか? さすがにそれは暴論だろう、ひどい上司だ! と、机の下でバタバタと憤慨していました。

そんな生意気でどうしようもない新人だったぼくは、その後独立し会社をつくったり、自分たちの学校をつくったり、大学で講義をしたりしていく中で、たびたび反省させられることになりました。

「ああ、当時は子どもであった」

クリエティブな場は、与える者の集まりでしか成り立ちません。大人の集まりでないと何も生まれないのです。 子どもから大人になる。この境目は一体どこにあるのでしょう。結論からいえば、「受とるだけの者」から「与える者」へ成長したとき。それが境目です。年齢ではありません。法政大学でクラスを持ち教壇に立つようになった30歳くらいから、特に実感するようになりました。大学生は、18歳から20代前半の微妙なお年頃。彼らははたして子どもでしょうか、大人でしょうか。お酒は20歳を迎えたら飲めるようになりますが、イコール大人ってわけでもないのです。大事なのは精神性、姿勢。「自分が所属する、この場をよくするために何かできることをしよう」与える姿勢になっているかどうかです。 

学生の多くは、講義を仏頂面で聞くだけです。まるでテレビを観ているかのように、完全に受け身。これでは「席を埋めた」という貢献しかしていません。でも中には、鋭い質問をして講義を白熱させたり、うんうんと目を輝かせて聞いて教授をさらにやる気にさせたり、講義後に何か手伝いましょうか、と寄ってくる1年生もいます。彼らは若くして「与える姿勢」を持っている大人です。ぼくはそういう大人な学生だけを学内で選抜しクラスをつくりましたが、案の定そこからはたくさんのプロジェクトが生まれました。

逆に、年老いた教授の中にも、「子ども」はいます。 「本当は研究をしていたいのに、講義なんて…」 ふてくされながら熱のない講義を続ける教授が、全国の大学の中には多くいるようです。自分のことだけしか考えていない。それが子どもです。その場に100人も聞いてる人間がいるのに、その貴重な場をよりよいもの、価値あるものにしようとする気がない。時間は命そのものです。自分以外の命を何とも思っていない。与える姿勢がないのです。 クリエイティブな

「大人」の世界は、「持ち寄りパーティー」です。「自分が大好きなもので、そのコミュニティーに役に立つと思う何か」をそれぞれが持ち寄ります。そういう「与える人」が集まると、必ず良い場にならないわけがないし、それぞれの満足度も高いです。それが一日限りのイベントのこともあれば、何年も続く大きなプロジェクトの場合も同じです。もてなす側とお客さん。そういう風には、分かれません。つくる側と消費者とか、演じる側と観る側とか、分けるのはつまらない。それぞれが自分の出来ることで貢献し、いっしょにつくりあげる意識の集合体です。そこには、仏頂面でふんぞり返っている人はいません。

ぼくらがつくった大人の学校である自由大学では、「だれが先生で、だれがスタッフで、だれが生徒か、区別がつかない」とよく言われます。イベントの準備を生徒がやっていたりします。それは「そっちのほうが楽しいから」。与えるのは、大人の義務なだけではなく、なにより与えることで人生が楽しくなるのです。

あるイベントで「集合写真を撮ろう」となりました。でも「あ、カメラがない…」。会場が暗かったのでスマホでは無理で、一眼レフでないと厳しい状況。「おいおい、主催者がカメラくらい用意しておけよー」という空気になりそうなところですが、そうはなりません。「自分持ってますよ!」と参加者にカメラマンの方がいて、良い写真を撮ってくれました。お礼を言うと「少しでも役に立ててうれしいです」。ニコニコおっしゃっていました。プロの方ですので、それでお代何万円という話です。

自分が出来ることを見つけて貢献する。文章が書ける人は、レビューやレポートを書いて共有することができます。写真が撮れる人、動画が撮れる人、絵を描ける人、踊れる人、歌える人、それぞれ貢献できることがあります。コミュニケーション上手な人は、場を盛り上げたり、緊張してる人や輪に入れない人がいたら、話をふったりできます。料理好きな人は、差し入れでお菓子を焼いていってもいい。「わたしはお金を払ってるのでお客さんだ」さあ、もてなしてとばかりに、お客さん然として座っていないのです。せっかく来たのだから、「その場に自分がいた意味があった」と思いたくはありませんか。「自分がいたことで少しは貢献できたようだ」それ以上の喜びはないことに、大人は知っています。

冒頭に叱りつけた上司は、それを新人のぼくに教えていたのです。人生を楽しくできるかどうかは、与える姿勢を持てるかどうかだけだよ、と。ぼくは自分の数字のことしか考えていなかった。それこそが当時営業で行き詰まっていた原因でもあったのです。お客さんに「与える」のではなく、数字を「獲得」しようとしていました。このレベルにいる子どもではそもそも「仕事」になってないし、ましてや起業なんてまだまだ早いぞ。ということなのです。

 

 

 

(約2491字)

Photo:cristian

 

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。