【第224話】石を蹴ると物語がはじまる / 深井次郎エッセイ

 

 

小さなカメと暮らした3ヶ月の話

 

小石を蹴った。「小学生の頃は通学路によく石が転がっていて、それを蹴りながら通っていたものだな」そういえば最近では、道路もきれいで石が転がっていることも少なくなった。そんなことを想った。しかしどうも、蹴った感じが軽い。何だ? よくみると、カピカピに乾いた泥の塊。さらにズームしてみるとそれはカメの甲羅だった。5センチくらいの小さな子ガメ。カピカピに固まっていて、これは死んでるのかな、でも生きてるかもしれない。公園の水道で洗い、泥を落とすと、ゆっくり手が動き、目が開いた。生きている!

泥を落とすと、カメだった

少し動いた

瀕死のカメを拾った。さてどうする。そのまま道路に放置してもきっと生きていけないはずだ。池にでも離すか。といっても近くに池はない。iPhoneで検索し、このカメについて調べると、どうやらミドリガメ。祭の縁日で売られたりもするし、神社の池にたくさんいるような一番メジャーなカメだ。

さらに調べる。「ミドリガメは外来種。繁殖力が高く、生態系を壊すので離してはいけない」自然に離すと罰せられるようだ。どうしたものか。とりあえず、家に持ち帰り、元気になるまでは飼ってあげることにした。イチゴの透明パックにうっすら水をはり、そこで一日くらい休ませていると歩きだした。エサは何を食べるのか。家にあるもので、食べられそうなものは、どうやら干しえびのようだ。干しえびをパクパク食べた。

そこからカメのいる生活が始まった。毎日15分日光浴をさせる。水をとりかえる。カメ用のエサ(100円)をペットショップで買ってきて、一日ひとつぶあげる。ずいぶん元気になった。ただ、今後こいつをどうしようか。自然に離してはいけないし、かといって飼うのか?

調べてビックリしたのが、今は5センチのチビだが、大きくなると30センチにもなるそうだ。ほら神社の池には大きいのがうじゃうじゃといるでしょう。違う種類だと思ってたら、あれだった。30センチは、飼うには大きい。さらに驚くべきことは、30年生きるそうだ。30年! 飼い主のほうが先に死んじゃうこともあるだろう。本当は気軽な気持ちでは飼えない。なのに、屋台で売ってるおじちゃんは(ペットショップさえもそうだ)、その辺の説明なしに子どもに売ってしまう。何を考えているのか。

瀕死の子ガメに出会ったとき、見てみぬふりもできた。それでも、拾ってしまったのは、きっとぼくが物書きだからだ。そもそも道を歩いてて偶然カメを蹴るなんてことは、普通まず起きない。この奇跡はなにか大事な意味があるはずだ。偶然をスルーせずに、拾っていくことで、新たな物語がはじまる。拾わなければ楽だけど、同じ日常が続いていき、体験の量は増えない。体験を綴るエッセイストにとっては、特にそれは致命的なことだ。目の前のものをすべて拾っていく。これがエッセイストの職業病ともいえる。カメを助けたぼく浦島太郎は、はたして竜宮城に連れて行ってもらえるのだろうか。

とにかく元気になるまで預かって、あとは欲しい人にあげようか。2週間もすると、だいぶ元気になったので、まわりの人に声をかけはじめた。 「カメ拾ったんだけど、いる人いませんか?」 トークライブでも、「最近、カメを拾いましてね。これがなかなか可愛いんですよ」なんて話したりもしました。つぶらな瞳で、ウィンクしたりする。なつくことはないけど、手でエサを近づけると、寄ってきて食べる。

「こないだ言ってたカメ、もらおうかな」という人が数人現れた。いざ現れると、複雑な気持ちになるものだ。本当にカメと別れていいのか。

イチゴパックで飼っていたが、少し良い水槽を買った。この時点で、ぼくはこいつといけるところまでいってやろう、という覚悟をしたのだと思う。30センチにでもなってみろ。30年でも生きてみろ。30年ならぼくもまだ65歳だ、きっと大丈夫。もらってくれるという申し出を、「やっぱり飼うことにした」と断った。

毎日水を変える。水には、剥がれた皮みたいなものが少し沈む。人間でいうと垢みたいなものだ。これを見るたび、こいつも成長してるんだと実感する。

カメがいる暮らしも3ヶ月が経つ。7月上旬。このごろは梅雨で、雨ばかり。ここ10日間の日照時間が24分しかなかったといい、これは10年に一度の少なさなんだそうだ。そのくらい、晴れ間が恋しい日々。洗濯物が干せないことよりも、カメの甲羅が干せないことが心配だ。カメは紫外線を浴びないと体内でビタミンD3がつくれない。

ようやく今日、晴れ間が見えた。まわりの家は、ここぞとばかりにふとんを干していたが、ぼくはカメの甲羅を干した。いつもは15分くらいなのだが、今日はいつもの倍は干させてやろう、カメも喜ぶだろう。

見たところ、太陽を喜んでいる。ぼくはひと仕事して、カメを見るとスヤスヤ寝ている。いつもこいつはのんきで、まわりに人がいてもよく寝ているのだ。これが自然界だったら、敵にやられてしまうぞ。敵の気配がしたら、パッと起きないといけない。

まあ、それだけぼくを信用しているということか。 「なかなか可愛いやつめ」 コツンと甲羅をつっつく。が、なにかおかしい。もう一度つっつく。動かない。死んでいた。カメが死んだ。

弱ってる気配はなかったのに、なぜ…。調べても、日光浴のしかたに間違いはなかった。でも、子ガメの場合はなにかの拍子に突然死ということがある。だから落ち込んではいけない。そうネットのアドバイスに書いてあった。

けれど、どうしても自分を責めてしまう。目を離さなければよかった。すまなかった。カメの死が信じられず、受け入れるまで半日、埋葬することが出来なかった。そして今、近所の林に埋めました。好きだった干しえびも一緒に。こいつの人生は楽しかっただろうか。なにを伝えるためにこいつはぼくの前に現れたのか。 

「これから30年もつき合うのか、大変だな…」と思ったけれど、別れは突然訪れるものだ。寿命が30年だからといって、すべてのカメが30年生きるわけではなかった。それは人間だってそうだ。油断してはいけない。  

(約2393字)

Photo:chieko uemura


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。