【特別インタビュー】横里さん、どうしていま「文芸」に「フェス」が必要なんですか?

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写真でも踊りでも文学になる、そういう広がりは興味がありますね。本だから紙の世界に留まっていなくちゃいけないわけではなく、文学を踊りで表現してもらって、そこには何の言葉もないまま、観た人たちが「すごい! ちょっと読んでみようかな」

横里さん、どうしていま「文芸」に「フェス」が必要なんですか?
特別インタビュー| 文芸フェスを終えて
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東京国際文芸フェスティバル2016(以下、文芸フェス)に、オリジナルイベント「Death Café 」で参加したORDINARY。文芸フェスが盛況のうちに終わりほっとひと息ついたところで、事務局長を務めた横里隆さんのもとへインタビューに出かけました。 簡単に消費できるデジタル情報もいいけれど、「やっぱり体で感じたり、仲間と共有したい」。いま各分野で、体感イベントやフェスの存在感が増しています。ポイントは「体感」。音楽や映画、食、スポーツなどは体感、感動の共有がしやすい「フェス向き」ですが、基本的にひとりで黙読することの多い「本」には、どのようなフェスが考えられるでしょう。何かでフェスをやりたい人も、出版業界を元気にしたい方も、きっとヒントになるお話です。


  目 次  

 1.  本屋が減ると、どこで本に出会えばいいのか 「体感イベントが必要だ」
 2.  言葉はボイス。実は「文芸もイベントに向いている」
 3.  今年の文芸フェスは、ここが面白かった 「音楽もダンスも写真も、文学になる」 
 4.  売るためではなく、楽しむためのイベントを 「文芸フェスは幸せな場所」
 5.  コンテンツ業界の浮沈は、作家にかかっている
 6.  作家はどのように育つのか 「できる表現すべてで読者とつながろう」

お話してくれた人
横里 隆 さん 
東京国際文芸フェスティバル 事務局長
1965年、愛知県まれ。信州大学卒業後リクルートに入社。93年、本の情報誌『ダ・ヴィンチ』に創刊から携わり、編集長を務める。2012年に起業し現在は、株式会社 上ノ空/uwa no sora 代表取締役。日本最大級のポップカルチャーアワード「SUGOI JAPAN」事務局長を務めるなど活動は多岐にわたる。

 

東京国際文芸フェスティバル  ( Tokyo International Literary Festival ) とは

日本最大の本の祭典。国内外から作家、詩人、漫画家、装幀家、編集者、翻訳者らが集まり、本を愛する一般参加者とともに文芸の魅力を発信するイベント。日本財団が主催し、2016年3月に3回目を開催した。トルコのノーベル賞作家オルハン・パムク氏や米作家スティーヴ・エリクソン氏ら第一線の書き手たちが来日し、国内の作家らとイベントを行い交流を深める。プログラムは、トーク、朗読、絵本の読み聞かせ、ワークショップなどが用意され、大学、美術館、小劇場、書店、カフェ、公園など東京各所で開催された。公式サイト: http://tokyolitfest.com

 



 本屋が減ると、どこで本に出会えばいいのか
「体感イベントが必要だ」 

 

深井 次郎 文芸フェスとしては今年で3回目。横里さんが事務局長の体制としては初めての文芸フェスを終えて、いかがでしたでしょうか。開催までの経緯や、終えた後での感想を教えてください。

まず、どのような経緯で文芸フェスの事務局長になられたのですか。

横里 隆: 文芸フェスは(2回と3回の間に)1年間休みがあって、「再開するにあたって体制づくりを手伝ってほしい」と声をかけてもらったのがきっかけです。

ですが、始めは迷いがありました。

自分はずっと雑誌編集の仕事はしてきましたが、こういうフェスやイベントは、また全然違うものだと思ったんですよね。立体的だし、異なるスキルも必要だろうなと。1つ2つのイベントならまだしも、何十というイベントが集中した時に果たして自分にできるだろうか、という心配もありました。

ただ、「これからの出版業界には、こういうフェスとかイベントが必須だな」とも考えていたので、自分自身の修行の意味でやった方がいいなと思ったんですよ(笑)。

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深井: 出版業界のためにも必要だし、ひと肌脱ぐかと。

横里: いえいえ、そんな大げさなものじゃないんです。自分の会社を維持しうるだけの仕事は他でやっていたので、文芸フェスの仕事は自分自身の勉強のつもりでやろうと決めて受けました。

その背景として、今ますます小説が読まれない、売れない時代になってきているというのがありました。取次もつぶれ、書店もつぶれ、作家さんたちも食べられなくなっていくという負のスパイラルに入っていて。紀伊國屋書店の新宿南店も今秋で終わってしまうというニュースを聞いて、紀伊國屋ですらそうなるかと愕然としました。

深井: しばらく元気のないニュースが続きますね。

横里: かつては、書店がさまざまな表現と出会うイベント的なスペースでした。イベントといってもショーをやっているわけではないんですけど、本の展示も書店員さんが工夫していて、そこに行くと本との出会いがあって。テーマパークのように、いろんなコーナーを回って情報を得たりとか、この本読んでみようとか、わくわくしながら楽しむ空間でした。自分たちが子どもの頃の、高機能なデバイスやインターネットが発達してなかった頃は、本屋はそういう貴重なスペースだったと思うんです。

しかし、時代の変化で、本だけじゃなくいろんなものから情報を吸収できるようになると、相対的に本は読まれなくなり、書店の価値も下がり、書店や取次が減少していくのは避けがたい流れですよね。でも、僕は本も書店も好きで、紙や、小説や文学がコンテンツの根幹にあると思っているので、やっぱりなくなって欲しくないんです。

冷静に世の中の状況を見れば、書店がなくなっても、人々はネットで本を探せばいいわけで困りはしません。Amazonは便利ですからね。ですが、Amazonにはイベント的な空間はなくて、本を検索して買うことはできても、予測不能の出会いは少なく、余裕や遊びがないという感じがするんですよね。

世の流れとしては仕方がないものの、それが進んで行くと、出版業界だけでなくコンテンツ業界全体にすごくマイナスだと思います。

コンテンツ業界の中で、テレビドラマとか映画も含まれますが、比べても小説がもっとも安価かつ容易に制作できるものなので、新しい才能が出てくる最初のところであり、根幹なんです。だから、小説が細くなってしまうと、コンテンツ業界全体が細くなってしまうことになります。

深井: 原作など脚本のアイデアになるものがなくなってしまいますね。

横里: そうです。それに例えばAmazonにしても本が売れなくなってくるはずです。

書店がなくなっても、もともと本が好きな人は自力で探せるから、ネットでも欲しい本にたどり着きます。だけど、本に対する相場観とか価値観を持ってない人は、そうはいかない。「この本を読みなさい」って言われれば探せるけど、それ以外に本を探せなくなってくると思うんです。

そうなってくると、Amazonですらマーケットを縮小していくし、電子書店のマーケットも縮小していくはずなんですよね。

電子ばかりで本を読む人たちは、体感的なものが弱くなりがちです。体で感じて面白そうだなと判断したり、めくる、触るなどの感覚はどうしても落ちるでしょう。多くの人がそうなった時には電子書籍も売れなくなって、みんなが負のスパイラルに呑まれてしまいます。そこで重要になってくるのがイベントだと思いました。

書店が少なくなった時に、「書店とは違う形で本やコンテンツに出会うイベントで、本との出会いを体感できる場所」が求められるようになるはずで、Amazonなどの電子書店もそこを応援せざるをえなくなるだろうと。「イベント的な本との出会い」がカギになってくると思うんです。

その時、「こういう内容のイベントだと人々は喜ぶし、本を読みたくなるんです」ということが分かるといいなと思って。

文芸フェスは、国内の読者にその機能を果たそうとしているイベントなので、とても魅力的だと思ったんです。きっとこれから、3年、5年、10年経っていく中で、本のイベントが求められる重要度は増していくと思って、この機会にしっかり勉強しよう、というのが最初のきっかけですね。

深井: なるほど、本のイベントはこれから世の中に求められるものだと。

横里: 音楽業界はDVDやCDが売れなくなって、ライブイベントでグッズを売って収益を得る方向に切り変えています。それは、苦肉の策ではあるんですけどちゃんと収益化は成されています。ファンにしてみれば、グッズが欲しいからライブに行くのではなくて、ライブがすごく良いもので、その思い出を留めるために形のあるグッズを買って帰るということだと思うんですよね。

もちろん、グッズ自体はネットでも買えるかもしれないけど、やっぱりライブに行って、体感とセットで買おうってなる。やっぱり今「体感」がキーワードだと思うんです。

文芸も同じで、本が売れなくなってきてはいるけど、その場で作家の声を聞くイベントとか、みんなで共通体験をする「体感」とセットなら、本ももっと売れるんだろうなと思うんです。そこはまだ、僕が本に期待をもっているからだと思うんですけど。体感する場づくりをちゃんとできると、まだまだ広がりがあり、消えてしまうメディアではないと思うから、それをやれたらいいなと。

深井: そうですね、体感。

今回の文芸フェスで、ぼくたちオーディナリーは「デス・カフェ」という選書会をやって、参加者それぞれの人生を変えた1冊を共有し語り合う場をつくりました。やっぱりそれをきっかけに、「その本を読んでみようかな」「その小説の舞台になった鎌倉にみんなで行こう」とかイベント後に広がりがあったんです。

 

 

言葉はボイス。
実は「文芸もイベントに向いている」

 

深井: ちなみに、デス・カフェの選書はこんな本が集まりました。参加者の「死生観に影響を与えた1冊」です。

参加者の選書。それぞれの「死生観に影響を与えた本」です

参加者の選書。それぞれの「死生観に影響を与えた本」です

 

横里: 面白いですね。ああ、『夜と霧』は名作ですよね。

深井: はい、『夜と霧』はだれかが持ってくるだろうなぁ、と思いました。(当日のレポート連動コンテンツも合わせてご覧ください)

人に話すことで、自分の中でも改めて腑に落ちる。アウトプットする行為は本人の成長につながります。僕も自由大学をつくったり、法政大学でクラスをもっていたり、新しい時代の学びの形はどういうのがいいのかなと、いつも考えているんです。そこで従来のような講義スタイル、先生が一方的に話して生徒がそれを黙ってメモを取るという形は終わったなと感じています。

ハーバードやスタンフォード大学でも、講義を映像でオープンに観れるようにしているし、人気のTEDも質が高いです。無料で誰でも観れるとなると、「聞くだけの講義だったら動画で十分じゃないか」ということになっています。学費も高いし、資格や学歴神話も崩れている時代で、「わざわざ大学に足を運ぶ意味は?」と考えると、やはり、双方向の体験型であるとか、仲間との協働、学生自身がアウトプットできる体験の場が一番求められているなと思って、それをつくっています。

今回のデス・カフェでも、持参した本について語る時に、みんなの目がいきいきするのが印象的でした。「聞く」のもいいけど「話したい」欲求があるのかな、と感じています。インプットしたらアウトプットし共有する場もセットであると盛り上がり、それが自分の中の体験になるのかなと。ひとりで読んで終わりではなく、ダイレクトに目の前の人に伝えて、コミュニケーションが生まれる。ぼくたちは読書会というイベントに可能性を感じています。

欧米ではブッククラブは地域ごとにずいぶんあるようですが、日本では、あまり読書会や朗読会の文化が定着していないのはなぜなのでしょうね。いま考えているところです。

横里: そうですね。朗読会も、言葉を奏で合うとか、歌を歌い合うとか、体感的なものに通じるので、イベント性を盛り込んでいくともっといいんだろうなと思いますね。

文芸フェスで、作家のイーユン・リーさんが2つのイベントに出てくれて、朗読してくれた時、あまりの朗読の美しさに背筋がぞくぞくしたんです。僕にとって苦手な英語での朗読なのに、とにかく美しく感じたことに驚きました。

「何でそんなに美しいんですか?」という問いに対してイーユン・リーさんは、「書く時に声に出して読んで整えています。何度も何度も、声に出した時の美しさとリズムを考えてリライトしているんです」と。

考えてみれば、言葉の元は声じゃないですか。もともと言葉は、声とか歌とか叫びから生まれてきているものですよね。イーユン・リーさんが朗読しながら整える作品は、日本語訳で読んでも綺麗です。もちろん翻訳家の方が優秀で、原文の美しさをすくいとって日本語に変えているんだと思います。自分がその美しい音符を奏でる楽器のようになっているんだろうなって。

あるバイリンガルの方が「日本語の特徴として朗読したときの音が綺麗じゃない」と言っていました。それは文法的な理由で、文末が「である」「でした」「ですます」と単調になってしまい、変化に乏しくて綺麗じゃないと。英語や他国の言葉は、文末がさまざまに変えられて、朗読した時に美しく整えやすいと。

深井: 短歌や俳句ならできるかもしれませんね。

横里: 短歌などは小説の文体とは異なりますから、響きの良い余韻を残して終わることができるでしょうね。 文末の問題だけが日本で朗読が広がらない理由ではないかもしれませんが、一因としてはあるのかもしれません。

深井: もともと昔の人は、黙読できなかったという話を聞いたことがあります。日本でも平安時代などは、紙で文字を読む機会が少なくて、昔はほぼ口伝ですから。極秘の文章も声に出さないと読めないから、障子の向こうを気にしながらなるべく小さな声で読んでいた。小さな子どもってそうですけど、音読しかできなかったのが、だんだん黙読のスキルがついて現代にいたるらしいんですけど。もともと文章と声は一体だったのかもしれませんね。

横里: そうですね。村上春樹さんや川上未映子さんらが「小説のボイス」という言葉を最近よく使われています。小説には言葉でなくて声があるんだと。ボイスって「体が発するもの」なので体感的なものだし、そういう解釈をしていくとイベントに向いてますよね。 

深井: 文芸も本も実は体験型イベントに向いている。なるほど、そう思えてきました。

 

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 今年の文芸フェスは、ここが面白かった
「音楽もダンスも写真も、文学になる」

 

深井: さて、今回の文芸フェスをふりかえって、事務局長の視点からみて、どんな試みが印象的でしたか?

横里: どのイベントも魅力的でしたが、個人的に興味を持ったのは、映像やダンス、写真とのコラボレーションですね。

それらは文学と隣り合わせにある表現で、「文学的な写真」とか「文学的な映像」ってよく言われますよね。そう言われるのをその分野の方たちが良いと思っているかは別として、そこには共通している何かがあると思います。

写真でも踊りでも文学になる、そういう広がりは興味がありますね。本だから紙の世界に留まっていなくちゃいけないわけではなく、文学を踊りで表現してもらって、そこには何の言葉もないまま、観た人たちが「すごい! ちょっと読んでみようかな」って感じてくれるのもあったらいいなと。

映像や写真や身体表現とコラボしていくと、本の世界からの広がりが豊かになるし、また本を読みたいとも思ってくれるようになるかと。

深井: 確かに、あの新美(国立新美術館)で開催されたイベント「bungei thru the lens – 身体、オンガク、美と写真 –」はすごかったですよね。文芸と言いながら、そこには文がない。

横里: 最終日の打ち上げに池澤夏樹さんが参加してくれて、「次のイベントはこういうのやりなよ」って言ってもらったのが朗読なんです。すべてのイベントに共通するテーマとして「ボイス」を添えて、朗読だったり、ボイスとは何なのか語りあってもいいし、そこに映像が入ってもいいし、踊りが入ってもいいし。次は「ボイス」と「映像」をやりたいですね。

深井: そうですね、朗読するのは未経験者には恥ずかしいかなと思いましたが、以前、オーディナリーのイベントで朗読をやったことがあるのですが、普段おとなしめの方がいきいきと読んでいて驚きました。

横里: ビブリオバトルが盛り上がっていますが、本の魅力を、自分の声にして相手に話しかけるっていうのが良いんでしょうね。

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 売るためではなく、楽しむためのイベントを
「文芸フェスは幸せな場所だな」

 

深井: 今回の文芸フェスでは、同時多発的に80ちかくのイベントがあったわけですが、準備は大変でしたか?

横里: めちゃくちゃ大変でしたけど、めちゃくちゃ面白かった。

人が動くのが目の前で見えるっていうのと、イベントに来てくれたお客さんも、出演した作家さんたちも「楽しかった!」って言ってくださるし、本当に幸せな時間と場所だなと思いました。

出版業界の人たちと話していても、みなさん「もうイベントでないと打開できない」って言ってます。でも、僕自分も含めて、どこでどんなイベントをすれば良いのか明確には分かっていないように思います。その本を売るためのイベントっていうのが出版社のミッションなので。そのイベントをやったら「その本が何部売れたの? 」ってことになり、あまり売れなかったら、「割に合わないじゃないか」って閉塞していく。そうなると何をやっていいか分からなくなる。

「この本を売らなくちゃいけない」というイベントじゃなくて、もっと自由に、来てくれるお客さんたちが楽しんでくれるものって何なのか。本好きが集まってもっと本好きになるとか。そういうことでいいと思うし、今回の文芸フェスはそういうものだったので、とっても幸せでしたね。

こういうイベントを続けていくと、いろんなところで化学反応が起こってくるんじゃないか。そう感じました。

深井: 売るため、ではなく、まずみんなで楽しむため。

従来の本のイベントの定番といえば、新刊をリリースした著者のトークライブとサイン会ですが、これはすでに読者になっている熱心な人が直接著者に会いに来ます。こういうパターンではなく、「なんとなくイベントに行ったら楽しかったから帰りに本を買った」というのが、新しい時代に必要なイベントということですね。

 

 

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コンテンツ業界の浮沈は、作家にかかっている

 

深井: コンテンツをつくる著者や出版社の未来は、どうなっていくでしょう。 著者が直接読者と繋がれる時代になって、かつての商業出版の形も変わって、こだわりの強いひとり出版社や小さなインディーズ出版も注目されています。そのあたりにも面白さを感じているのですが。

横里: そういう動きは間違いなくある一方で、大きな出版社が大掛かりにキャンペーンをはって押し出す本がミリオンセラーになりやすいことも事実で、二極化はそういうことかなと。

どんな本が面白いか体感する場がなくなると、本に対する相場観が薄れてきますよね。そうなると、みんなが「面白い」と言っている本を読むしかなくなり、「ベストセラーになった本を読めばいいや」と、売れてる本だけがますます売れるようになってくる。

自分で魅力的な本を見つける力があれば、埋もれた良書を探し出すこともできるのですが、そうじゃなくなるとランキングやキャンペーンに頼るしかなくなるので、結局二極化せざるをえないのです。

感度を研ぎ澄ましていて、相場観を持っている人たちは、自らイベントに足を運んで本と出会えるようになっていくのに対して、そうじゃない多くの人たち、一年に一冊しか本を読まない人たちは、ミリオンセラーを読むだけというふうに分かれて行くと思います。だから、大きな社会的ムーブメントを生み出して本を売るといった、大手出版社がお金をかけて仕掛ける方法は残るのでしょうね。

ただ、出版業界が潤っていればどのような方法でも新しい作家が出てこられるので、悪いことではないのですが、そうではない今の状況を考えれば、これから先は、小さなゲリラ的な仕掛けが中心になってくるのかもしれませんね。

もしこのまま出版社や作家がいなくなるとしたら、コンテンツ業界全体が沈んでいくでしょう。これはまずい、何とかしないといけないって考えた時に、ドワンゴの川上量生さんが本で書いていたのは「一番困るのは、IT業界の最大手のApple、Googleたちだ」ということ。彼らは仕組みを作っているだけで、そこに乗っかるコンテンツは外から借りているものだからです。

IT界の勝ち組の彼らは、今ある情報や古いアーカイブの整理や提供の仕組み作りは得意でも、新しいコンテンツを生み出すのは他力本願だったりします。新たな才能が生まれてこないと、やがてユーザーにとって新鮮味も刺激もなくなります。そうなると彼らに作家やクリエイターを育成する必要性が出てきます。同時に、育成の場となる空間やイベントの必要性も増してきます。そういう時代がそう遠くなくくると思いますね。

深井: 便利なプラットフォームができても、中身がないと、ですね。

横里: そうです。AppleのiPhoneは全国の携帯ショップにあるけど、Appleのデザインやイメージを認知させるためのアップルストアは大都市にあります。アップルストアに行くと常に何か新しい情報が入ってきたり、空間もおしゃれで、ちょっと得した気分になりますよね。

本屋が少なくなった時に、ネットで本を買うのとは別に、アップルストアみたいな場をつくって底上げしていかないと。 そこで重要になってくるのは、やはりイベントでしょう。それをAppleがやってくれるならそれでいいし、そうすると本とイベントが近くなって、イベントに参加してから本を読むことがあたり前になってくると思うんです。

「ちょっと時間があったら寄ろう」みたいな、そこに行くといつも面白いイベントをやっていて、おしゃれな空間で、素敵な本に出会える。そういう場所が数多くできると業界の底上げになると思うんです。

 

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 作家はどのように育つのか
「できる表現すべてで読者とつながろう」

 

深井: コンテンツを作る人がいなくなると、AppleもGoogleも困るだろうと。Googleも才能のあるユーチューバーにスタジオや高価な機材を貸して育成していますね。 では、書く人はどこでどのように育てられるのでしょうね。古典ばかりではなく、新しい世代も良い本をつくっていきたい。作家を長い目で育てる余裕のある出版社がないとすると、新しい作家の育て方について、何かありますか? そもそも育てられるのか、とか。

横里: 作家を育成する環境は必要だと思いますが、いま出版社に体力がなくなって、それができなくなっているので、難しいところですよね。 これは個人的な考えですけど、作家を目指す人もいろんなことをやってみた方がいいと思っています。たとえば、小説も書くけどユーチューバーみたいなこともやるとか、歌も歌ってみるとか(笑)。誰もがそういうことができるわけではないですけど、小説を書くだけで食べていくのは難しくなっているので、辛いだけになってしまいますよね。 マーケットが大きくてみんなが本を読む時代だったら、売れる確率も高いし、出版社も育ててくれるけど、今はそうじゃない。志が高くて良い表現をしようとしていても売れないという不遇な作家志望者ばかりになってしまって、それでは浮かばれません。容易には食べていけないというのは劇団員、絵描き、音楽家、みんなそうなんですけどね。

深井: ゴッホより昔の時代から、いつの時代も芸術家は食べるのに苦労していますよね。でも現代は安価で便利な表現ツールが揃っています。だれでも努力次第で発信力をつけられるので、才能と情熱さえあればチャンスをつかみやすい。その点は恵まれていますよね。新しい作家を生み出すお手伝いは、オーディナリーがやりたいことで。いま試行錯誤しながらやっています。

横里: 繰り返しになりますが、文学的なものは活字だけじゃなく、映像にも音楽にも存在します。そこをもっと自由にいろいろなものと組み合わせて表現できる人が出てくるといいなと思います。もちろん「書くことしかできない、やりたくない」という人もいていいのですが、今はどこで花開くか分からないので。

たとえば川上未映子さんは、最初は歌手をやっていてCDも出していました。川上さんに初めて会った時、CDを持ってきてくれたんですが、歌詞カードを見たら詞の素晴らしさにびっくりしました。これはもうプロの詩人でもなかなか書けないと。その後、「文章を書いてみませんか?」って『ダ・ヴィンチ』にコラムを書いてもらいました。

そうこうしているうちに音楽活動に限界を感じた彼女は、もともとの才能に加えて書きたいという強い気持ちもあって詩や小説を書きはじめました。そして、あれよあれよという間に芥川賞を獲り、ありとあらゆる賞を総なめにし、今や世界に羽ばたこうとしています。もしも音楽活動だけに固執していたら、作家としての彼女の才能は花開かなかったかもしれません。

表現の根底にあるものは全部一緒です。「これじゃなきゃいけない」と固執しているとチャンスは潰れてしまいますし、表現ジャンルの垣根をこえてどんどん挑戦した方がいいと思うんです。

深井: 表現の手段が多岐に渡ってもいいし、「専業の芸術家でなくては」というこだわりも柔軟に、ということでしょうか。

そういえば最近、大手企業で会社員をやってる知人が、AKBの作曲をしたという話を聞きました。彼は音楽とは関係ないビジネスマンですが、趣味が広く独学で家のパソコンで打ち込みをやっていた。それをプロダクションに送ったらコンペで採用されたと。シングル曲になって、作曲者のクレジットも入って印税も入るようになった。世の中は、実は専業ではない作家の作品であふれているのですよね。

横里: 面白いですね。「いろいろ手を出すことは、アートや文学に失礼だ」という時代じゃなくて、そこは軽やかで良いと思います。

僕がいま手伝っている作家さんで、彼女が書いた小説が舞台になりアニメーションになり、そこからリアル・男性アイドルグループが生まれたんです。そのアイドルを全て、彼女がプロデュースしていて、大手レコード会社からCDも出ています。

歌詞は全部彼女が書いてるし、アイドルグループの舞台の台本、演劇のストーリー、公演のチラシも全部彼女が書くんですよ。新たに生まれたコンテンツの小説も彼女が書いて大手出版社から出ています。

作家なのにプロデューサーになって、小さな秋元康みたいになってるんですけど、小説家がそうなるって面白いと思うんです。アイドルの男の子たちに歌や演技をしてもらって、彼女が作った物語をみんなが夢中になって楽しんでるのが面白いなって。小説家は、静かな場所で孤独に執筆してなきゃいけないわけでもないんです。

深井: リアルも小説も、どちらも物語ですよね。この先どう進むか分からないドキドキがあります。

横里: そういうことすべてが、作家である彼女のスキルとして蓄積していって、生みだすものがすごく魅力的になっていくと思うんです。

深井: できる人はですけど、小説家もそれ一本にこだわりすぎないことが良いのかもしれませんね。

横里: 小説じゃないところで人気が出て、食べられるようになってブレイクしても、それも小説なんじゃないかって思うんです。SNSも小説と言えば小説。あらゆるものに可能性があると。

多くの表現を支えていた仕組みや構造が崩れてきている今の時代では、食べていくのが厳しいのはみんな同じで、どこに行っても誰に会っても「本当に大変」って言うし、それがもうデフォルトになっているんですよね。でも、支えてくれるもの、守ってくれるものがなくなったのなら、作家はそれを逆手にとって何でもやればいい。

ユーザー側も、本も読むし音楽も聞くし映画も見るし旅行も好きだし…と、自分の人生を自由にデザインしていて、その中のひとつが本を読むことだったりするわけですから、作家も本だけに固執している必要はなくて、いろんな表現に挑戦して繋がっていけばいいなと。

深井: そうですね、とても参考になるお話でした。文芸フェス、イベントの可能性からはじまり、作家の未来まで。文芸フェスが来年以降どういう形になるかは、関係者のなかで決まっていくと思いますが、楽しく大切な取り組みですので、ぜひまた何か協力させてください。今日はありがとうございました。(了)

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構成と文と写真 :  ORDINARY


編集部

編集部

オーディナリー編集部の中の人。わたしたちオーディナリーは「書く人が自由に生きるための道具箱」がコンセプトのエッセイマガジンであり、小さな出版社。個の時代を自分らしくサヴァイブするための日々のヒント、ほんとうのストーリーをお届け。国内外の市井に暮らすクリエイター、専門家、表現者など30名以上の書き手がつづる、それぞれの実体験からつむぎだした発見のことばの数々は、どれもささやかだけど役に立つことばかりです。