
プロレスから学んだ「自分との向き合い方」
人はなぜ、自分の「本音」を言えないのだろうか。
履歴書の「趣味」の欄には何と書きますか?
これまで転職を何度も経験し、履歴書を書き慣れていた私は、決まって「読書」や「映画鑑賞」「ヨガ」などの無難な趣味を書いていました。決して嘘ではありません。
でも本当は、もっと夢中になっていた趣味がありました。それは「プロレス観戦」です。
まだ、プロレスファンの女性を意味する「プ女子」という言葉が今ほど知られていなかった時代から、日本全国へ、プロレス観戦に行っていました。金曜の仕事終わりに夜行バスに乗り、土曜の早朝に現地へ到着。試合を観た後またバスに乗り、日曜の夜に東京に戻るという弾丸旅をしていました。毎月のように西へ、北へ、プロレスラーの巡業を追っていた時期があります。同僚に訊かれても、旅の目的は「プロレスを観るため」とは言えず、「全国の寺社仏閣へご参拝」という大義名分を掲げていました。おかげで全国のプロレス会場だけでなく、知る人ぞ知るパワースポットにもだいぶ詳しくなりました。
当時、仕事終わりに東京・後楽園ホールのリングサイド席で一人、プロレスを観る女は、好奇な目で見られることもありました。隣の席でビール片手の男性に三度見されたこともあります。そんなアウェイの状況に一人で乗り込んでいくことに、まったく躊躇がなかったと言えば、嘘になります。元々私は、一人でラーメン屋に入ることもできないような臆病な性格なのです。そんな私がなぜ、一人で飛び込むほどプロレス観戦にはまってしまったのか。きっかけは、ささいなことでした。
あれは確か、2013年のこと。たまたま見たテレビのお笑い番組で「今のプロレス特集」なるものを紹介していました。芸人さんがモノマネをしていた男性プロレスラーに興味を持ち、「本物」を動画でチェックしてみたのです。それが、「推し」のプロレスラーである中邑真輔選手との出会いでした。
いくつかの動画を見て、笑うどころか、虜になりました。強さや恰好良さだけでない存在感。なぜか心を掴まれる中邑選手の魅力を感じ、実際にこの目で見てみたい、と強く思ってしまったのです。周りにプロレスを好きな友人はおらず、こっそり話すと驚かれたものです。プロレスを知ったことで、新たな自分を発見することになりました。
夢だった仕事を辞め、プロレスに出会う
過去に航空会社のCAとして勤務していた私は、心身の不調が一つの原因で退職しました。充電期間を経て、他企業の事務職に転職し、新たな世界に胸を躍らせていました。密閉された空間での時差をともなう不規則な仕事から、晴れて、危険と隣り合わせではない、規則正しい生活ができる仕事へ。当初は喜びしかありませんでしたが、ある時、業務中の先輩の言葉が引っかかりました。
「今、緊急事態だから、こっちをお願い」
「緊急事態」とは、電話で些細なクレームを受けたことでした。「これが緊急事態?」正直、そう思ってしまいました。もちろん、クレーム対応は重要な仕事です。でも、それまでCAをしていた私にとっての「緊急事態」とは、生死を分ける意味を持つものでした。訓練時代の教官が「フライトの日は、もう帰って来られない可能性もあることを意識して、いつも部屋を綺麗にして家を出る」と言っていたことが頭をよぎりました。
(ちなみに私は教官とは逆で、「絶対に生きて帰らねばならぬ」というモチベーションのために、あえて部屋を散らかしたまま家を出ていましたが。)
決して、仕事に優劣をつけたいわけではありません。仕事に命をかけるべきだと言いたいわけでもありません。ただ、生死を意識して毎日仕事にのぞんでいた緊張感を、平和慣れしてしまった私は忘れていました。前職とのギャップから気が抜けてしまい、仕事を適当に「こなす」日々を送ってしまっていたのです。しかも毎月の給料日には、前職より大幅に落ちた給料明細を見つめて途方に暮れる、そんな日々でした。思い描いていた青写真と全く違う現実。何のスキルもないのに「自分はこんなもんじゃない」と思ってしまっている自分。そんな自分自身が許せなかったのかもしれません。
「この選択は正しかったのだろうか」
「こんなはずじゃなかったのに」
そんな葛藤を抱えながら仕事をしていました。そんな心の隙間に入ってきたのが「プロレス」でした。
プロレスから学んだ「自分との向き合い方」
なぜ、そこまでプロレスに魅かれたのか。
語りたい魅力はたくさんありますが、ここでは尊敬する中邑選手がインタビューで語った言葉を紹介したいと思います。
「生身の人間が命をかけて戦っていること」
他の格闘技もそうだ、という意見もあるでしょう。プロレスはエンタメだからシナリオがあるのでしょ?と言う人がいるかもしれません。そもそも何がおもしろいの?という人がいることも理解できます。実際私も、ファンになる前までは懐疑的な印象でした。
「せっかく親が丈夫な体に産んでくれたのに、何で自らケガするようなことするの?」くらい否定的に思っていました。
初めて試合を生で見た日、第一試合で、一番新人と思われる坊主頭のレスラーがベテラン選手にボコボコにやられているのを、見ていられませんでした。
でも何度倒されても、また立ち上がる。その目はまだ生きている。次第に会場全体が一つになって新人選手を応援し始めました。
試合後、立ち上がれない新人選手に、ベテラン選手が何か声をかけました。新人選手は泣いていました。全観客が新人レスラーに、あたたかな拍手を送りました。その時私はグッときました、静かに去るベテラン選手の後ろ姿に。新人選手の技をすべて受けきり、赤くなった背中。そこには、親ライオンが子供を崖から落とすような、厳しさと大きな愛があるような気がしました。自分も通ってきた長く険しい道。相手を守りながら、命をかけて仕事を全うする人の生きざまが見えました。
バックステージに戻った新人レスラーが泣きながら「いつか、あいつをぶっ倒します」と叫んでいました。彼らは、こんな試合を年間150以上もやっている。もはや人間業とは思えない領域。
「自分の限界を超えた先に湧き上がってくる本音って、綺麗でなくとも美しいんだな」
リアルなファンタジーを観たような、言葉では説明できないような初めての感覚でした。
試合を観た帰り道、ふと思いました。「今の私は本音で生きられているだろうか」
周りからの高い評価や期待が「自分の希望」なのだと勘違いしていないだろうか。
こわいけど、自分の感覚を研ぎ澄まして、素の自分で生きていきたい。その前に、自分の本音と向き合わなくては。そんな思いが湧きあがってきました。
あれから10年以上経った今。私の推しの中邑選手は米国のプロレス団体に移籍してしまい、以前ほどはプロレスを観に行かなくなりました。でも、プロレスから学んだことを胸に、日々自分の本音と向き合い続けています。仕事も、「何をやりたいのか」よりも「自分がどうありたいのか」が大事だということが、やっと分かってきたところです。
まだまだ出来ていないことはたくさんあり、他人軸に振り戻されることもありますが、少なくとも、小さな感謝と感動を味わえる毎日を過ごせています。
まだ大きな声では言えない本音ですが、いつか自分の何かの仕事を通して中邑選手に会い、感謝の気持ちを伝えたい。そんな野望を秘めて、生きています。もちろん、今ではプロレス好きも公言しながら。
自分の本音を知るためには
- こわくて挑戦できていなかったことに飛び込んでみる
- 外圧により湧き上がってきた感情と、その理由を紙に書いてみる(日記)
- 五感で感じた自分の感覚をなかったことにせず、味わう