TOOLS 92 祈りから入る撮影現場 / 夏野苺(写真家)

夏野苺何を撮ろう、どう撮ろう? 頭だけで考えすぎてばかりいると、人工的なつまらない写真が仕上がってしまいますが、受け取るとか、委ねるとか、自分でコントロールできない大きな何かに任せて、感謝と畏敬の念を持ちながらシャッターを切ると
祈りから入る撮影現場
夏野 苺( 写真家 )

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自由に生きるために
目には見えない世界にも語りかけよう!


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私は時々思います。

プロ写真家の中で、どれほどの人たちが「かみさま」を信じているのだろうか? と。

別に特定の宗教に入っているとかではなくて。「写真のかみさま」を感じている人はいるかな? という意味で。

私はどうも、お礼を言いながらシャッターを切っているらしいのです。シャッターボタンを押すたびに「ありがとう」と言っているらしいのです。自分のことなのに「らしい」というのはおかしいけれど、撮っている間は夢中だから、自分では気づいていなかったのです。

ある人を撮った時に、

「苺さんは、いま、誰にお礼を言ってるの?」

と聞かれて、そこで初めて、え? と気づいたわけです。

それで、どうしてこういう風になったのかと自分で考えた時に、

「私は自分のチカラで撮ってるとは思ってない。写真の神様から奇跡の瞬間を一枚ずついただいてると信じてる。だから撮りながら、無意識に写真のかみさまにお礼を言ってるんだろう」

という結論に至りました。

もちろん、被写体にもありがとうです。写真家は被写体がいなかったら何もできない存在ですから。

 

人生に、かみさま現る!

以前、ある映画女優さんと話していた時のこと。彼女が「映画の神様がね… 」と話し始めたことがありました。

その時に、どの分野にもかみさまっているんだなと思ったのを覚えています。本のかみさま。絵画のかみさま。音楽のかみさま。いろいろ…。みんなそれぞれの場所でそれぞれのかみさまを見ているのかな。

そう思い始めた矢先、偶然と呼ぶにはあまりにも私にとってハマりすぎな出来事がありました。ローマのヴァチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂の主祭壇に、写真の神様「ヴェロニカ」の像が祭られているという事が書いてある本を、偶然、街の書店で見つけたのです。

写真のかみさまって本当にいるんだ!

その時、私の中に走った衝撃を言葉で説明するのはとても難しいです。

けれどすごいことはさらに続きます。まもなくしてイギリスロケの仕事が来たので、これはチャンス!と思い、編集者に掛け合って、撮影後にローマへ寄りたいとお願いしました。

撮影後のデータを持ったまま行くことになるので、常識的には考えられない、公私混同なお願いです。けれど、私にとったら、ただの観光旅行じゃない、私の仕事のかみさまに会いに行くのです。必死になって説明して、なんとか私は、撮影の後にローマへ向かうチャンスを手入れました。

 

ローマへの旅 ヴェロニカの導き

 

これで、写真のかみさま、ヴェロニカに会える!

そうしてヴェロニカ像の前に立った時のことは、これまた言葉で説明するのはなかなか難しいのでした。

でも私は当時のブログにこう書き残しています。

 

 いよいよ大聖堂内へ。ヴェロニカ像には、まもなく遭遇できました。
 主祭壇に向かって、左に、位置していました。
 風に吹かれて、キリストの顔が写る布を、持って。

 ごめんなさい。
 その時のことを、上手に書くことができません。
 どんな言葉を持ってしても私の力では無理です。
 どのように表現したらいいのか。 わからない。
 あんな瞬間、体験したことがない。はじめての、感覚でした。

 ヴェロニカに会うまでは、目的に到達する意識でいましたが、
 いざその前に立ったら、全く逆の意識が生まれました。
 ゴールではなく。 そこは、スタートラインでした。

 写真を始めてから10年ほど。 
 この膝元まで、ずっとヴェロニカが導いてくれていたことを実感しました。
 現在いったいどれくらいのカメラマンがここまで導かれてくるのだろうか。
 おそらく、数は多くないと思う。

 だとしたら、なぜ私はここに呼ばれたのだろう。
 生まれて初めて、私は自分の運命に対する責任を感じました。
 「やることが、あるのですね」
 ヴェロニカに向かって、まっすぐ心を飛ばしました。
 泣いている場合ではない。もはや感激している場合では。

 始まってしまったのだから。
 どうかここから先、なんとか天命を全うできるようお導きください、と
 一心に祈りました。

 そして、持って行った石とヴェロニカの指輪を、足元に置き、写真を撮りました。
 大聖堂の中には、単なる見学者は入れない祈りの部屋があって、
 私はキリスト教ではないけれど、
 祭壇の前でどうしても祈りの心を捧げたかったので、ひとりで入りました。

 祈り終わって部屋を出た時、かちっと、なにかどこかが、
 「繋がった」感覚がありました。
 心は晴れ渡り、こうして今回の旅の目的はすべて果たされました。

 かみさま、ありがとう。
 これまで助けてくれた、すべてのスピリットに感謝します。

 

委ねることで流れ始める

 

私はこのことがあってから、なおさら強く写真のかみさまの存在を感じるようになり、どんな現場でも撮影に入る前にお祈りから始める習慣ができました。

お祈りといっても、何か特別な祝詞をあげるわけではありませんが、自分だけの秘密の呪文はあります。(祈りは大いなるものに話しかける言葉だから)

茶道に決まった型があるように、自分の型を作って撮影に臨むと、常に安定して仕事ができるし、初めに感謝を捧げることで、写真の神様からの贈り物をうまく受け取ることができるのです。それが、私にとって「写真を撮る」ということです。

撮影において「贈り物を受け取る」という考えは、別の表現であれば「委ねる」ということでもあります。

何を撮ろう? どう撮ろう?

頭だけで考えすぎてばかりいると、人工的なつまらない写真が仕上がってしまいますが、受け取るとか、委ねるとか、自分でコントロールできない大きな何かに任せて、感謝と畏敬の念を持ちながらシャッターを切ると、思ってもみなかった奇跡の一枚に出会えることがあります。

どんなに考えても見つけることのできなかった「答え」は、頭の外にあるということは、案外多いものなのです。

心は無限の宇宙と繋がっています。祈りからスタートさせることで、使命を果たす道具としての仕事ができるような気がしています。だから私の撮影は、必ず祈ることから始めます。

 

写真のかみさまから贈り物を受け取る方法

1. どんな時でも忘れてはならない。広大な宇宙のどこかにいる、かみさまのこと
2. 考えてもわからないことは委ねよう! 欲しい答えは頭の外にあるかもしれないから
3. 祈りは、感謝しながら受け取るための、かみさまへの伝言

 

PHOTO : 著者本人  /  私のカメラと、アトリエに飾ってあるローマで写してきたヴェロニカ像のタペストリー。


夏野苺

夏野苺

(なつの いちご)OL生活を経たのち、1996年に写真家プロデビュー。映画雑誌「キネマ旬報」の誌面にて一流の映画スターたちを撮影し続ける。人気俳優 小栗旬の連載ページで彼を無名時代から撮り続けた作品は、写真集「First Stage」として刊行され、ベストセラーを記録。写真家としての活動と平行して、独学で魔術や宇宙の法則を学びながらいつしか「見えないものを写す」というのが撮影テーマとなり、被写体の内面から変化を促すプロフィール写真家としても活動中。2011年 初の著書「毎日1分!朝のおまじない」(サンマーク出版)を出版。