TOOLS 71 呼吸する家 / 林 道子( Chiko House コンシェルジュ / プランナー )

しかし今まで蒔いた種から小さな芽が吹きだしてきていた。自分らしくやっていけばいいんだと。人がなんと言おうとも、本当に自分が良いと思えることを、楽しめることを、喜びを感じられることを仕事にしていこうと思った。感じるままに、自分の心の声に耳を傾け。
TOOLS 71
呼吸する家
林 道子  ( Chiko House コンシェルジュ  /  プランナー )

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自由に生きるために
自分を開いて、可能性を受け入れよう

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You 来ちゃいなよ

2年前の夏だった。FBの投稿が、目に止まった。ワークショップで知り合った知人のものだった。彼は会社を立ち上げていて、近場での合宿場所を探していた。私はちょうどその時、この家を Chiko House(チコハウス)として、何かが生まれる、面白い場所にする準備を進めていた。いいタイミングじゃない?!

「ちょうど今自宅を開放しているので家に来てみませんか〜?」

とすぐメッセージを送る。まさに、ジャニーさんの「You きちゃいなよー」 のノリである。これも何かのご縁かなと。

今思えば、けっこう思い切った決断だった。しかし後日、彼は、当時は「あまり大げさに考えず条件さえ合えば」と。「自宅を開放するなんて悪い人じゃないな、と思い決めた」と話してくれた。1回しか会ったことのないおばさんの家に、よくぞ! と。 私は私で、男子ばかりが6.7人来て、食事とかどうするつもりだったのか。無茶だわ。まったく。

しかし、もちろん彼らは、ビジネス。ネット環境や設備の確認など、きっちりと押さえての質問に、おばさんは、オタオタ。ほら、だから無茶なのよーと、もう一人の私がつぶやいた。後先考えずに、ワクワクする方にすぐ動いてしまう。しかし、わからないことは、反対に彼らが教えくれてどうにか条件をクリア。アナログ世代だけに、IT男子は頼もしい限りだった。

 

ベンチャー男子現る

初めてベンチャーの彼らがこの家に来た時、焼きそばや餃子をどーんと夕飯に出す感じだった。それでも彼らは文句ひとつ言わず、気長くキッチンで格闘する私を、見守ってくれていたような気がする。食事の分量やメニューなど、まぁとにかく初めてのことばかりで、ドキドキオタオタの連続。何にでも、夢中になってしまう性分だったが、自分の体力を顧みず、始めは、夜中に足がつる展開なんかもあったりで。

しかしベンチャーの彼ら。エンジニアが中心だったが、もくもくと集中して仕事をする姿、オープンに何でも話し合っていろいろと決めていく彼らの仕事ぶりは、私にとっては実に新鮮だった。

起業メンバーとは別に、仕事を持ちながら彼らをサポートしているメンバーも多く、メンバーの、人を巻き込んでいく力や、場を盛り上げる力、コミニケーションする力など、いろんな力を彼らは、旺盛な好奇心で、日々学びながら身につけているんだろうなぁと、キッチンからその空気を感じとっていた。オフィスにはない合宿独特のくつろいだ雰囲気の中、彼らは集中していた。気持ちの優先順位が決まっているようだった。

定期的にある開発合宿で、ベンチャー起業男子達と

定期的にある開発合宿で、ベンチャー起業男子たちと

しかし、とにかく彼らは、基本楽しそうだった。アクティビティーと言われる気分転換の時間が設けられていて、まわりに何もないこの家の坂の下の公園で、自分達のことを怪しいおっさんと笑い飛ばしながら、鬼ごっこのような、楽しいカリキュラムをこなしていた。

2年前はまだ私も会社員をしながら土日だけ、この家を開いていたが、熱血ベンチャーの彼らから大いにエネルギーをもらったのだった。だからこそ、おいしいご飯を作ること。元気が出る、身体にいいおいしいものを作ろうと私もまた、全力投球だった。

 

焦がした餃子

彼らは私のことを寮母さんと呼んでいた。給食のおばさんよろしく、私はとにかく1日中ご飯を作り、洗い物をし、あーこれは大変な仕事だと、体験して初めて理解したのだった。

なんでもやってみなければわからないと言う私の青臭さは、いつも思わぬ体験を、私に与えてくれるのだった。しかし、この合宿のおかげで、料理という新しい扉が開くことになるとは。何でもやってみるものである。

一口メンチカツのはずが、大きくなって、お重箱にひしめいて

一口メンチカツのはずが、大きくなって、お重箱にひしめいて

焼きそばドーンから始まった料理。ある時は、餃子を焦がして、食欲旺盛な男子達は、決して満足しなかっただろうと。それでも、喜んで食べてくれていた。子供をふたり育てた経験から、料理はしていたから、近いメニューを、一度は作ったことがあるわけだけれど、多人数となると、まったく余裕がなかった。

子育て時代も、1日が終わり、ご飯が食べられるだけで幸せと思っていた。子供たちも無事で、1日が終わったーといっぱいいっぱいな毎日だった。メニュープランや食器とのアレンジとか楽しむ余裕がなかったんだと思う。世の働くお母さんは、みんなそうかも知れない。

さて、焦がした餃子からはや2年。定期的に開かれる合宿がある度に、メニュープランもノリノリになり、なんと彼らの「美味しい!」の連発のおかげで、料理が、楽しくなっていくではないか。

桜の季節にお花見をイメージした、カップ寿司をランチに

桜の季節にお花見をイメージした、カップ寿司をランチに

彼らも、社会経験を経ての独立なので、学生男子のようなハイカロリーなメニューで果たしていいのか。そろそろ身体のことを考える世代なのかしら。などと、いろいろ試し、考えながら、寮母ならではの、家庭料理を目指してきたが、料理のイメージを形にする速度が、自分にフィットしていて、尚且つ、直ぐに、夢中で食べてくれる顔が見える手ごたえは、実に痛快で、頑張った甲斐があるというものだった。

しかし、手伝ってくれる友人に言われる。

「道子さんって、やっぱりお母さんなんだねー」

やっぱり、そこかーと。私自身は、目の前のことに向かう気持ちは、仕事そのもの。自分ならではの何かを、形にしたいという感覚だったが、原動力となるのは、友人の言う通り、母性なのかも知れないなと思う。

まぁ、私の気持ちは別にしても、実際に、食事を楽しみにしてくれるようで、嬉しい限りだ。また、たまに帰ってくる家族たちが何より、上達した料理を喜んでくれる。これは、予想外の嬉しいスパイラル効果だった。

 

バリヤーを溶かして

先日、美容院へ行った際、独立してお店を立ち上げたばかりの店長が、なぜかその日めずらしくぶっちゃけトーク。独立したばかりの時は、資金目当てに、いろいろな人が集まってきて、最初は塩を撒きたいくらい人を信じられなくなったと。

でも、1年半たった今は落ち着きを取り戻したけど、まだまだ騙されていきますよと。自分の性格も悪くなるかもーなんて笑っていた。また、前は大きなお店にいて、経営に深く関わっていたと思い込んでいたが、いざ一人になったら大間違い。経営を何もわかってなかったと。

なぜ、そんな話をしてくれたのか、経営者としての本音を、私自身もまた独立する、このタイミングで話してくれて、なんだかありがたかった。きっと独立した人は、だれでも同じような警戒心やバリヤーをはる瞬間があるんじゃないか。

それでも、そのバリヤーを自分の力で少しずつ溶かして、再び人を信じて前に進むんじゃないかなと。何回でも、それをくり返すうちに、人を見る目が培われていく。この人とならと思える人と繋がっていきたいなと思うわけで。

ただ、プライバシー重視の今の時代に、家を開くということは、ある意味リスキーかもしれない。後で、友人に言われたのは、

「道子さん、世の中、いい人ばかりとは限らないのよー 」

今思えば、確かにと思う。大人としての常識としては、その通りだった。無謀といえば無謀。でもそこは、なんか人を信じてみたいなと。私の場合はどこかタガが外れてしまっている大人だからか、そこが基本かなと思ったりしていた。

 

素のまま、ありのまま

私は、2015年末に会社を退職した。仕事は、緊張感のなか過ごしていて、決して安定した平穏な日々ではなかった。20年の間にオフィスが5回移転。トップも5回変わる外資系企業だった。300人以上の同僚が去り、入れ替わり立ち代りみたいな、激動そのもの。

それは、変化の連続で、飽きる暇もなく、商品開発、マーケティング、営業、管理、物流にいたるまで、私は、ほぼ全ての部署を体験した。お陰で、今では、新しいことを一から始め、覚えるのに何の抵抗もなく、どんな仕事にも喜びを見出せるようになっていた。

また、組織の中のものづくりの、始めから終わりまでを、実際に体験できたことは、生み出した商品が多くの人の力を借りて消費者に届いているんだということを体感し、開発畑しか知らなかった自分にとって、貴重な経験だった。

しかし、私自身は、組織でのはみ出しっぷりも半端なく、異端児として、組織に飲まれず、染まらずにしていたから、さぞ経営陣泣かせだったと思う。ただ、どう転んでも1つの企業の中だけの話で、狭い世界に変わりはない。今思えば、多くを学びながらも、それぞれのパートで自分が何ができるかに、エネルギーを消耗していたような気がする。

つまり長年、大量生産のものづくりの中、山ほどの返品が廃棄されるような世界にどっぷりいたわけで、だからこそそんな価値観から開放されたくて、自分らしい呼吸ができる場所を探し、飛び回っていたんだと思う。

そして、この家で、今ようやく会社員から離れて、私の中に染み込んだものが、少しずつ身体から流れ落ちていく感覚を味わっている。本当の心が、欲しがっていたものは何だったのだろう。なぜあんなに、夢中で働いていたんだろう。長年の疲れの波に、ただただ揺られながら、考えていた。

しかし、今まで蒔いた種から、小さな芽が吹きだしてきていた。自分らしくやっていけばいいんだと。人がなんと言おうとも、本当に自分が良いと思えることを、楽しめることを、喜びを感じられることを仕事にしていこうと思った。感じるままに、自分の心の声に、耳を傾けながら。しかし、素に戻った私は、ただのおばさんで、勉強することも、山盛りだけれどね。

 

父が残した2つの言葉

この家は、サラリーマン一筋の父が建てた家。父は幼少時、家庭の事情がけっこう複雑だった。そんな父が、自分の家族が集まり暮らす家にどんな夢を描いていただろうか。仕事一筋で、あまり家族とオープンに話す父ではなかった。しかし、私が家族とこの家に遊びにくる度に、帰り際、目の前のバス停まで、見送ってくれた父。それが、父の精一杯の優しさだった。

2階のベランダから見た空

2階のベランダから見た空

他界した父が、病床で残してくれた言葉が2つある。術後、少し意識がはっきりしない中、脈絡なく、父がつぶやくように、私に言った言葉。

「道子なら大丈夫」
「道子がいてくれてよかった」

私は、今この家で、ことあるごとに、父のこの言葉を思い返している。再びこの家に帰ってきて、父の想いにやっと辿り着き、片付けをしながら、サラリーマン生活でも後半は苦労が多かった父に、今なら仕事や家族の話が沢山できるのにと。しかし、いま実家が新たな変貌を遂げようとしていることを父が知ったら、何というだろう。

「相変わらず無茶だなー」

と呆れるかもしれない。

 

呼吸する家

今、ベンチャー男子達がたまに来ては、頭を突き合わせて、自分たちの未来を切り開く時間を過ごしている。それはまるで、この昭和の一軒家が、新しい呼吸を始めたような光景だった。たくさんの積み重なった思い出が、新しい記憶で塗り替えられていく感覚だ。

ちょっと歩くと素敵な小径があったり

ちょっと歩くと素敵な小径があったり

立派なビジョンなんて何もない。縁のある人達が、この家を訪れて、笑顔になってくれたらそれでいい。シンプルなものだ。呼吸する家。過去でなく今の空気を、いっぱい吸い込んで、まだまだ変化していくと思う。

日常から離れた静かな空間で、静かなチャレンジができるような、そんな場所になったらいい。力を蓄えたり、暖めたり、分かち合ったりできる場所に。

便利なだけが価値じゃないって、訪れた人から教えて貰った。ちょっと歩くと小径が続き、夕方になると空が真っ赤に染まる。都会の小さな部屋にこもっていたら見えない景色が広がっている。

なんだか夢中で生きてきたけれど、いまごろ気がついた、いろんなこと。少しづつ噛み締めながらね。自分のペースで、できることをしていこうと思う。

まだまだ続く、チコハウスのこれから。また新しい扉がほらっ、開きますよ。

 

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新しい扉をひらく方法
1.  最初から完璧でなくていい
2.  とにかく始めてみる
3.  いくらでもやり直せる

 

 

 林道子さんが家をひらくことになった話

TOOLS 63  美しき娘たちよ、さようなら(2015.12.28)
TOOLS 65  若者の中におばさんひとり(2016.1.18)
TOOLS 69 セカンドなわたし(2016.2.15)

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ILLUST :Kevin Conor Keller  


林道子

林道子

(はやし みちこ)Chiko House コンシェルジュ / プランナー。多摩美大でグラフィックデザインを学び、新卒でキャラクター会社サンリオに入社、商品開発プランナーとして従事する。その後フリーランスを経て、シングルマザーとして2人の娘を育てながら、外資メーカーに勤務。商品開発、マーケティング、営業、管理部門などほぼ全ての部署を経験し、組織や仕事のあり方を学ぶ。2014年より、横浜の自宅一軒家を開放し、Chiko House(チコハウス)の主催運営をスタート。またChiko Labでは、アクセサリー製作を。Chiko Report「つくりびと」では、作り手の魅力的な言葉を拾うインタビュー活動をするなど、年齢、性別、常識などに縛られることなく自由に、ヒト、モノ、コト、バショに新しい価値を見出し、アイデアをカタチにしている。 ◇◇◇Chiko Lab◇◇◇https://www.facebook.com/Chiko-Lab-166910136727989/◇◇◇iichi◇◇◇ https://www.iichi.com/people/P3917805