「旅=日常」だったら、海外でも日本と同じ時間の過ごし方で良いんだ! 自分の中で何かが弾けた瞬間だった。そして、バックパッカーという言葉が持つ一般的なイメージに無理に合わせる必要はなく、自分の年齢に合った、自分が居心地良いと思える旅を探せば良いのだ
連載「旅って面白いの?」とは 【毎週水曜更新】 世界一周中の小林圭子さんの旅を通じて生き方を考える、現在進行形の体験エッセイ。大企業「楽天」を辞め、憧れの世界一周に飛び出した。しかし、待っていたのは「あれ? 意外に楽しくない…」期待はずれな現実。アラサー新米バックパッカーの2年間ひとり世界一周。がんばれ、小林けいちゃん! はたして彼女は世界の人々との出会いを通して、旅や人生の楽しみ方に気づいていくことができるのか。 |
第14話 欲しい答えは一冊の本の中にあった!「旅にも年齢がある」という事実 〈マレーシア / タイ〉
TEXT & PHOTO 小林圭子
小説を敢えて読まない
感受性豊かな私(笑)
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私は普段、あまり小説を読まない。とは言え、ハマる時はとことんハマる質なので、「この人の小説めっちゃおもしろいやん! 」と思えば、その作家の本を次から次へと読み漁り、作品全てをコレクションする、というようなオタク的読み方をしてきた作家は何人かはいた。だけど、巷で騒がれているような芥川賞・直木賞受賞作や、本屋大賞にノミネートされて話題になっている作品などはほとんど読んでいない。
「えっ! なんてもったいない! 」
「おもしろいのに… 」
という意見はごもっとも。賞を穫るためには、すごい倍率の選考をくぐり抜け、著名な選考委員たちからの評価を得なければならないわけで。なかでも本屋大賞なんてその名のとおり、本屋さんが選ぶのだから、絶対おもしろくないわけがない。
では、なぜ読まないのかと聞かれると自分でもよくわからない。「時間がない」なんてのは、単なる言い訳で、本当のところは、
「そんなベストセラーになって大勢の人が読んでいるような本、読みたくなーいよ」
という天の邪鬼が働いているのかもしれない。もしくは、もともと感受性は豊かな方で、たとえば、30歳を過ぎた今でもマンガ(特にスポ根系! )を読んで大号泣、ドラマや映画も少しでもホロリとさせられるようなシーンだと、家族で私だけがさめざめと泣いている、なんてことも珍しくない。呆れるほどすぐに感情移入してしまうのだ。
そう言えば、中学3年生のとき、学校から戻ると大河ドラマの再放送がやっていた。それをひとりで見ながら、豊臣秀吉の名軍師だった竹中半兵衛が死ぬシーンで泣いていると、ちょうど母から電話が掛かってきて、私があまりに大号泣しているから、母は学校で何があったのかと驚き、電話口の向こうで大騒ぎしていた、なんてこともあった(笑)
そしておそらく、それによって最終的に頭も心もどっと疲れてしまうことがわかっているから、はじめから「おもしろいに決まっている話題作」は読まないのかもしれない。(もちろん爽快感を伴う疲れだとは思うけれど)
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旅の中で
本を読む気持ちもなければ
時間もない?
そんな私なので、旅に出る前、「旅の中で本を読む」なんて発想がなかったというか、全く思いつかなかった。そもそも本みたいに重くてかさばるようなもの、正直ジャマで仕方ない。ただでさえ重いバックパックとサブバックの2つを、おなかと背中に背負わなきゃいけないのだから、荷物はできるだけ軽くしたいものだ。
それに、ひとり旅のバックパッカーって案外忙しい。毎日、行く先を決め、行き方を調べて飛行機なりバスなりのチケットを取り、宿を調べて予約を取り、などなど、やらなきゃいけないことがそれなりにある。常に真新しい環境を渡り歩いているわけなので、どの場所もやっぱり日本と違って勝手がわからないことも多く、物を買うのにも手間取ったり、google map を見ながらでも道に迷ったり、途中で目を見張るような光景(たとえば、街中で数十人のおじいさん、おばあさんの集団が音楽を流してダンスを楽しんでいるとか)にしばらく動けなくなったりと、想定外に時間のロスが発生することもある。つまりはそう、本を読む時間なんて無いのだ!
なーんてちょっと見栄を張ってみたものの、実際のところ、そんなに毎日毎日移動するわけでもなければ、観光名所を巡るわけでもない。「さて、明日は何をしようかなー」といろいろ調べてみたところで、
「なんだかあまり出かける気にもならないし、明日はちょっとゆっくり過ごそうかな」
なんて思う日もあったりするのだ。それに自分は出かけたいと思っていても、天気が悪くて出られなかったり、体調が悪くて動けなかったりすることもある。そんな「思いがけず空いた時間」や「ヒマな時間」を、他の旅人たちはどうやって過ごしているんだろうとずっと思っていた。だけどそのことを誰にも聞けずにいた。
『旅をしているのにヒマだと感じるなんて私だけかな…。 やっぱり私の旅、ちょっとイケてないのかな… 』
なんて思っていると、なんとなく誰にも言い出せなかったのだ。
ヒマだから本を読むのではなく
本を読むのに忙しいのです!?
ある日、そんな気持ちをついに吐き出すときがやってきた! クアラルンプールで知り合った20代半ばの男の子、コウヘイ君。彼は今は会社員としてクアラルンプールで働いているんだけど、大学生の頃、数ヶ月かけて東南アジアをバックパックでまわった経験があり、つまりはバックパッカーの先輩だった。私は勇気を出して、でも表面的には平静を装って聞いてみた。
「ねぇ、旅をしていてヒマなこととかあった? そういうときは何をしてたの?」
すると、
「オレ、ヒマな時間なんか無かったですよ。ずっと本読んでたし。本をいっぱい読みたかったから、むしろ忙しかったです」
な、なんと…! まだ「ヒマな時は本を読んだりしてましたかねー」と言うならわかる。「そっか、やっぱり旅人も本読むのねー」と思ってあっさり終わり。なのに、まさか「本を読むのに忙しい」と言われると思わなかったのだ。(このちょっとしたニュアンスの違い、わかってもらえるかな… 笑)
東南アジアは雨期と乾期の違いはありつつも、基本的には年間を通して暖かい地域が多い。朝晩は気温が少し下がって過ごしやすくなることもあるけれど、日中は灼熱の太陽が降り注ぎ、そんな中を動き回っていると、普段の何倍も体力を奪われて、汗だらだら化粧ハゲハゲ、そして肌は黒こげになる、なんてことが日常茶飯事。だからコウヘイ君いわく、
「昼間はゲストハウスでずーっと本を読んで過ごして、夕方涼しくなってから街をぶらぶらしたりしてましたよ」
とのことだった。
そう言えば、5年くらい前に友人が突然、2週間ほどふらっとインドに行ってしまった。当時の私は会計士試験の勉強に追われていたので、今より更に旅になんて興味がなかったんだけど、帰国した彼に
「インドどうだった? インドで何してたの? 」
と聞いてみたところ、
「別に特別なことは何も。ガンジス川のほとりで、チャイを飲みながら一日中、こんな分厚い本をずっと読んでたよ」
その分厚い本というのは、ありえないことにファイナンス関連の専門書。それを聞いた私は、なんでインドにわざわざ行ってずっと本を読んだりするんだろう…。やっぱりこの人、変わってるわ…。といぶかしく思ったことを思い出した。
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旅=日常
だったら、海外でも日本と同じ時間の過ごし方でいい
「そうか、そういう時間の過ごし方をしてもいいんだ! 」
自分の中で何かが弾けた瞬間だった。もしこの旅が3泊4日の韓国旅行だったら、あっちへ行きこっちへ行き、あれも食べこれも食べ、やりたいことをギュウギュウに詰め込んで、少しでも無駄のないよう旅を計画すると思う。
だけど、1年も2年も旅を続けるとなると、もはや旅が日常になってくる。日本での日常を思い返せば、忙しいこともあればヒマなこともあり、家で一日中ゴロゴロしていたり、何も考えずボーッとすることもあるわけで、それは海外にいたって変わらないはず。
「せっかく海外を旅してるんだから、毎日を充実させなきゃいけない。ヒマな時間なんてあってはいけない」
みたいな強迫観念めいたものを感じていたけれど、そんなわけはないのだ。そう思うと、なんだか気持ちがラクになるのを感じた。そして、
「この本、おもしろいから持って行って良いですよ」
コウヘイ君から1冊の小説を受け取り、足取り軽くバンコクへと向かった。
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知りたかったことは
1冊の本の中にあった!
バンコクには2週間ほど滞在した。大学時代の先輩に会ったり、日本から来た友人と合流したりしながら、ひととおり観光した後は、特にやることもなくなってしまったので、コウヘイ君にもらった小説を皮切りに、日本人宿に置いてあった小説やらエッセイやらを気の向くままに読んだ。
その中で私の心の琴線に触れた本があった。角田光代さんの『いつも旅のなか』という旅エッセイ。自他ともに旅好きを認める作家・角田さんが、地元の人と仲良くなったエピソードなどを交えながら、20ヶ国もの国や地域の印象・魅力を、肩肘はらず気取らず伸びやかに描いた作品。私もほっこりした気持ちで夢中になって読んでいたんだけれど、ラオスでの出来事を書いた『旅と年齢』という章で、はたとページをめくる手が止まった。
角田さんは10代、20代の若い頃から何度も旅をしていた。バックパックを背負い、安宿に泊まり、ローカルフードが並んだ屋台で食事をとり、気の向くまま足の向くまま時間を過ごす。いわゆる典型的なバックパッカー。このラオスでもこれまでと同じスタイルで旅をしていた。だけど、ふと感じる。
『あれ、なんかつまんない』と。
そんなときに日本人の若い大学生カップルの旅行者と仲良くなる。彼らと時間を共に過ごす中で、「つまんない」の気持ちはさらに膨らみ、その理由がハッキリしたものとなる。
『あぁ、これまでの旅のやり方が、もう今の自分には合わない』のだと。
「つまらない」の感情が教えてくれた
旅には年齢があるのだという事実
このときの角田さんの年齢は32歳。今の私と同じ歳。彼女は若い頃から旅を何度も重ねてきた旅上級者。一方、私は今回の旅がバックパッカーデビューとなる旅初心者。立場は月とスッポンくらい違うけれど、『あれ、なんかつまんない』というネガティブな感情を共感できていることが妙に嬉しくなった。角田さんは更にこう綴っている。
『旅にも年齢がある。その年齢にふさわしい旅があり、その年齢でしかできないことがある』
この一文を読んで、これまで自分が抱えてきたモヤモヤがストンと腹に落ちた。そう年齢! 旅には年齢があるのだ!
これまで旅の中で、私もこの年齢についてたびたび考えてきた。「いやー、私ももう歳やわー。若い子の話にはついていかれへんわー」というような流行や好みの話ではなく、「そろそろ年齢的に体力がもたへんわー」というような肉体的な話でもなく、どちらかというと、価値観の話というか。やはり20歳と30歳では踏んできた場数も違えば、経験値も違うわけで、それが個人の価値観に与える影響は大きいと思うのだ。
だからと言って、何も年齢を言い訳に使うつもりはない。バックパック背負って世界一周すると自分で決めて出てきたからには、納得いくまでやってみようと思っているし、別に年相応の贅沢がしたいわけでもない。だけど、20歳前後の若い旅人に
「もっと節約しなきゃダメですよ」
なんていかにもなアドバイスをもらったり、
「これだけの少ないお金で、こんなにもハードで過酷な旅をしました」
という貧乏旅行自慢をされても、私の心は一向に突き動かされないのだ。それどころか、自分もそれを強要されているのかと思うと、「あぁ… 旅って何なの… 」と、心が荒んでいく。
仕事にも年相応の仕事ってものがあり、恋愛にも年相応の恋愛ってものがあり、遊びにも年相応の遊びってものがあるのだから、旅にも年相応の旅がある。バックパッカーという言葉が持つ一般的なイメージに無理に合わせる必要はなく、自分の年齢に合った、自分が居心地良いと思える旅を探せば良いのだと、角田さんのエッセイ『いつも旅のなか』にエールを送ってもらえたような気がした、バンコクでの「ヒマだけど貴重な」時間。(了)
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(次回もお楽しみに。毎週水曜更新です)
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連載バックナンバー
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第2話 旅は準備が一番楽しい。出発までの10ヶ月なにをしたか(2014.10.22)
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小林圭子さんが世界一周に出るまでの話
『一身上の都合』 小林圭子さんの場合「次なるステージへ挑戦するため」(2014.5.19)