【第101話】表現しはじめる人の照れの正体

「いま見られたら恥ずかしいな」

「へぇ、アイツあんな面もあるんだ」 ひそひそ

いつもと違う自分を見せるのは
恥ずかしいものです

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表現しはじめるときの関門のひとつは、「照れ」です。たとえば、英語の発音。授業で、ネイティブっぽい発音をするのは照れるものです。先生にさされても、わざとテンションを下げて日本語的アクセントで発音してしまうような心理。あれの正体はなんでしょうね。

変身した姿を友人に見られるのは恥ずかしいものです。学生時代、アルバイトで店員をやってるお店に、クラスの友人が来ると照れませんでしたか? しっかり笑顔で敬語つかって接客してるし、明るく大きな声で「いらっしゃいませー!」と言っている。「いつもだるいと言ってたお前が、そんなさわやかキャラじゃないでしょ」とニヤニヤされます。「稼ぐためにはしかたないのだ。早く帰れよ」と小声でひじ鉄したりして。仕事モードを友人に見られるのは、照れます。学校にいるときは、学校モード。家で家族に接するときは、家モード。仕事するときは、仕事モード。英語を話すときは、外国人モード。いろんなモードを、多重人格のようにぼくらは演技し、くるくると使い分けて生きています。事件を起こした容疑者が、「普段おとなしいヤツでそんな乱暴するようなタイプじゃない。信じられません」と友人たちから評されたりします。それくらい人間には、だれにでもモードの幅があるものです。

「大学デビュー」もバレると恥ずかしい。今まで垢抜けなかった高校生が、大学入学を機に新しい理想の自分に一気にキャラを変えようとすること。これを「デビューする」と揶揄されますが、良いことだと思うんです。過去の自分を知っている人がいない環境では、変身がやりやすい。もともとそういうイケてる人なのかなと思ってもらえます。過去を知っている人がいると、アイツあんなにイキがってるけど、実は暗いヤツだったんだよ。小学校の時、うんこもらしてウンコマンってあだ名だったからね。とバラされて、変身は失敗に終ってしまっては、せっかく努力してるのにかわいそうです。

変身は照れるものです。それまで大学デビューのような変身もしたことがなく、自然体でやってきました。ぼくが、はじめて文章を書きはじめたときは、デビュー的感覚に近かった。こっそり書きはじめたのですが、初めてのコスプレみたいに照れました。本名で顔出しでエッセイを書いていたので、余計照れました。名前を検索すれば、すぐに出てきてしまうから、ネットのヘビーユーザーの友人がいたら、深井が何か語りはじめたんだけどと噂になってしまいます。本名でメールマガジンを書きはじめたのは24歳の頃でしたが、地元の古くからの友人たちには黙ってました。当時勤めていた会社の同僚や上司にも言いませんでした。やましいことをしているからではなく、表現者モードの自分を見られることへの照れでした。ぼくのダメ人間具合い、真面目とはほど遠い問題行動のいろいろを知っている身近な人からしたら、ぼくがゲーテだニーチェだ仏陀だの言っても「お前が語るな、あはは」と笑われるでしょう。社会をよくしようなどと言っても、「社会貢献の前におまえが人並みに真面目に生きなさい。まず遅刻を直せ。話はそこからだ」とニヤニヤされるのが目に見えています。

表現モードには、スイッチがあります。普段おだやかな人ほど、カラオケで激しい歌を歌ったりしてビックリします。音楽だって、ダンスだって、恥ずかしい。なに陶酔してるの、ナルシストだね。そう思われるかもしれません。本来、書くことなんて恥ずかしい行為です。それでも伝えたい欲求が僅差で勝ってしまった。だからぼくもスーツで会社勤めをしながら、23,4のときに書きはじめたわけです。 (明日につづきます)

 

(約1440字)

Photo:  Mike Baird


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。