面倒な映画帖28「スモーク」煙に蘇る悲惨な初体験 / モトカワマリコ

面倒な映画帖 葉巻の香りがすると、思い出が蘇り頭を掻き毟りたくなる。作家先生のあの表情、あの沈黙、冷たい空気、追い詰められてギリギリで吐き出したマズイ質問を詳細に追体験し、甘苦しい後悔に胸を掴まれる。

< 連載 >
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。

 面倒な映画帖28「スモーク」
煙に蘇る悲惨な初体験

NYカルチャーの当時の現役関係者が集まった感のある作品。小さな役で意外な人が場面を横切るのも楽しい。一人で観ても、誰かとでもクリスマス映画に最適。

NYカルチャーの当時の現役関係者が集まった感のある作品。小さな役で意外な人が場面を横切るのも楽しい。一人で観ても、誰かとでもクリスマス映画に最適。

しばらくぶりに劇場公開されるらしい。公開当時は小さな劇場での小規模公開だったが、映画好きの間では長く愛されてきた。原作はポール・オースターの小編「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」。煙のようにはかなく切ない…お好きな方にはたまらないスモーキーな世界なのである。

個人的にはフォレスト・ウティカーが出ているだけで(最新のスター・ウォーズでもいい役をもらっていて、なおのこと)嬉しい。オーギー・レンを囲むコアな人物グループの外側にいるのに、物語を担う役。少しずれた位置にいて、ここぞという時に動いて話の重心を変える人物を演じる。そういう役をやりすぎて出落ち感もあるくらいだ。巨漢なのに繊細、暴力的でもあり可憐でさえある。決して美しくはない外見の内側に何色も何色も色合いをもっている俳優だと思う。

吉田ルイ子の「ハーレムの熱い日々」に出てくるクリス少年を思い出す。彼はズングリしていてさえない、気が弱いと思われているのだが、カメラを手にすると身近な街の女性たちを、はっとするほど柔らかな女性らしい美しい写真に写し撮る才能がある。フォレスト・ウティカーを見ると、彼はその少年ではないのか、と夢想してしまう。やさしい少年が大人になって俳優になった…60年代に16歳だったクリスは存命なら70近いはずだから、それはないか。冷たい暴力と人情が隣り合わせる街に生きる人たちとバランスをとるには、風に飛ばないように紙束に載せる石のように、彼はとてもふさわしい。

タバコを吸う人はちょっとだけカミサマ

私はたまにタバコを吸うが、最近喫煙者は肩身が狭い。少し前、堂々と吸える表参道にあるTobacco Standで、葉巻を一本点けた。あれはお作法が面白い。端を専用のカッターで切りそろえ、葉っぱの束に火をつける。紙巻のようにちりっと点かないで、すっかり火が回るまでクルクルまわしながら炎を行き渡らせるのだ。やがて葉っぱが赤くチリチリして吸うたびに熾火のように燃える。さらにフカフカとふかして空気を送り煙を整える。安定して味わえるようになるまで、煙を育てる感じが楽しい。気を抜くと火が消えてしまうのもご愛嬌。口に広がる味はとても濃厚で、何時間も粘膜に残り、相当たってキスをしても「タバコ吸った」とわかってしまうほどだ。

「スモーク」の映画の中では、主人公の作家がオランダの細巻葉巻シガリロを吸っている。紙巻よりはぐっと味が濃く、こんなものをチェーンで吸っている人の口では、何を食べても同じ味なんじゃないかと思える。そういう口内環境ですごしている人達が群れている煙草屋。映画には匂いがないが、撮影中はさぞかし甘い空気が流れていたのだろう。

私はタバコを吸う人が好きだ。タバコをくわえ、マッチかライターで火をおこし、しゅっと火をつける。火と煙の世話をしながら、きっと何も考えていない。火のついたものをくわえて、そうそういろいろな作業ができるものでもなく、それだけにその短い時間タバコを吸うためだけに生きている感じ、がなんだかぐっとくる。10代の頃片思いをしていたずっと年上の人は、遠くを見ながら修行のように吸う癖があって、彼が胸のポケットからタバコを出すと、胸が高鳴った。仲間に囲まれていても、タバコを咥えた彼は孤高で大人に見えた。嗜む行為に五感を支配された人間は、煙を吐き出すほんの数秒、少しカミサマに近づいて、美しい気さえする。

葉巻の香で蘇る甘い悲劇

葉巻の煙は甘い匂いがするので誰かが点けるとすぐわかるものだ。好きな香りだけれど、同時に思い出したくない失敗がチクリと胸を刺す。20年以上前のこと、月刊誌でインタビューページの担当になった。シガリロが大好きな作家で、映画界でも仕事をしている先生が来日するというので、翻訳家との対談でページを作ろうと思っていた。だが、翻訳家がNGになり、生まれて初めてのインタビューが成立してしまう。

さて、当日、私に与えられた時間は20分。聞きたいことは山ほどあったのだが、一番踏んではいけない地雷をいきなりドカン!やってしまった。純文学の先生のことスキャンダル的なアプローチはNGに決まっているのに、物語の中の女性にモデルはいるのかみたいなことを聞いてしまったのだ。氷のように冷たい視線に凍ったけれど、コチコチでも見開き記事になるだけの内容をとらないとクビだ。先生は凍り付く私にオスカー・ワイルドの言葉を引用して助け船を出してくださったが、オスカー?誰?パニックで記憶のデータベースにアクセスできず思い出せない。初めてのインタビュイーに何本もの葉巻を費やさせる、イライラマックスで時間は非情にすぎていく。

でも、最後の最後、持ち時間5分を切るところで、質問が勝手に口から出てきた。
「物語の創作はどう始まりますか?あなたの物語を読んでいると映像が浮かんでくるので、アイデアが映像で浮かんで、それを描写していらっしゃるような気がしていたんです。」すると、少し光の戻った目で私を見て、先生は口を切った。「小説は、言葉が音楽のように聞こえてくるんだよ、何かが語りかけてくるみたいに。映画の脚本も書くけれど、それは頭の中に浮かんだシーンから組み立てるんだ。全く違うんだよ、出てくるルートが。この作品の場合は・・・」約束の時間を過ぎていた、でも土壇場でなんとかストーリーを引き出せたのは、幸運の女神の大技と、先生の思いやりによるところだった。まさか実は今日が生まれて初めてのインタビューなんです…なんて言えるわけがない。なんともお粗末な仕事だった、大先生には謝るばかりだが、そろそろ時効だろう。

インタビュアーになりたかったわけではない。人との距離が上手にとれない。喧嘩なんてしても、3日後くらいに言い返す言葉を思いつくような、ライブに弱い情けない人間だ。インタビュアーなんてとんでもない!これっきりだと思っていた。それなのにその後、受注する仕事はインタビューばかり。仕事が欲しいから受けざるをえなかった。どんな仕事をするか、決めるのは自分ではなくて市場、駆け出しのライターはそんなものだ。無理やりキャリアを積み上げていくうち、人に会って話を聞くのが得意だと勘違いされてしまった。しかも米文学のスターにひどい英語でヅケヅケ突っ込む鋼鉄の心臓という評判もたち、怪我の功名で今に至っている。

いまだに葉巻の香りがすると、思い出が蘇り頭をかきむしりたくなる。作家先生のあの表情、あの沈黙、冷たい空気、追い詰められてギリギリで吐き出したマズイ質問を詳細に追体験し、甘苦しい後悔に胸を掴まれる。 世界のために、インタビュイーのために、私の心臓のために、インタビューなんて今日でやめよう、と思ってしまうのだ。

Experience is the name everyone gives to their mistakes. 

Oscar Wild

「経験とはつまり失敗の積み重ね」 

オスカー・ワイルド


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。趣味は料理と映画と声楽。二児の母。