もういちど帆船の森へ 【第3話】 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由

もういちど帆船の森へ 田中稔彦

「ひきこもり」という言葉ができる前から引きこもってました。だから今でも電話が少し苦手です。仕事だったり、友達と会うことになっていたり、なのに時間が来てもどうしても家を出ることができない。

連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】

ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第3話 ぼくが帆船にこだわりつづける理由

「ひきこもり」という言葉ができる前から引きこもってました。
だから今でも電話が少し苦手です。

仕事だったり、友達と会うことになっていたり、なのに時間が来てもどうしても家を出ることができない。そんなことがよくありました。

約束の時間が過ぎると電話が鳴ります。しかし電話にでることができません。そんなことが繰り返されて、電話がキライになりました。そういう時期があったのです。

「草食系男子」とか話題になる前から草食系でした。好意を持ってくれる女の子はそれなりにいました。気になる娘にはモーションをかけることもありました。

けれど相手が真剣にこちらに向き合おうとすると、ぼくは逆に引いてしまうのです。他人ときちんとした関係性を持つことが怖くて。めんどくさくて。そんな体験を繰り返す中で、いつしかそう感じてしまう自分にも慣れていきました。

基本的には人見知りです。
初対面の人と話すのは苦手です。

仕事を始めるようになっても、閉じた環境で暮らしていました。大学時代から舞台照明に興味を持ち、その分野でアルバイトしていました。いつの間にか、それなりにお金が稼げるようになっていました。

舞台の世界で暮らしていれば、他の好きでもない仕事をする必要もありませんでした。仕事を通して、個人的な関係性が生まれることもありました。ささやかな世界でしたが、それはそれで満ち足りた時間でした。

 

人と関わることに興味がなかった

 

こんにちは。最近「インドア派帆船乗り」と名乗ってます。

元々インドア派で体動かすのも好きじゃないし、休みの日には家に引きこもっていることが圧倒的に多いです。しかし今でもどういうわけか海に出続けているんですよね。

初めて帆船に乗ったのは28歳の時でした。

その頃は、別に船が好きなわけでも、海が好きなわけでもありませんでした。初めて船に乗った人たちが、自分たちで舵を取ったり、帆を張ったりしながら航海できる帆船がある。全くの偶然からそんな船があることを知り、とにかく今までの自分がやったことのないものを体験したいと思い参加したのです。はっきりとした何かを手に入れられると期待していたわけではありませんでした。

2月の終わり頃、大阪を出て鹿児島に向かう1週間の航海でした。
船の名前は「あこがれ」。大阪市が母港の3本マストの帆船です。

その航海では15人ほどのにクルーと30人ほどのゲストを乗せての航海だったと記憶しています。ゲストは7,8人ずつのグループに分かれ、グループごとに船を動かし方を学び、実際に走らせていきます。

「セイルトレーニング」というイギリス発祥のプログラムだということもその時初めて知りました。航海を共にするなかで乗船者どうしの間にチームワークが生まれたり、個々の参加者の中でリーダーシップや自立心が育つ、ということでした。

正直、そのころのぼくにはどうでもいい話でした。普段の生活でも「人と関わること」に重きをおいてはいませんでした。

その頃フリーランスの舞台照明家として生活していました。組織に属さずに作品ごとに組まれるチームの中で、技術を売って生活費を得る。そんな暮らしをしていました。

短い時には数日、長くても数ヶ月。
演出家、俳優、舞台、音響、衣装、小道具、そして照明。
作品が企画され、稽古を重ね、上演するのに合わせてそれぞれのセクションのプロが集まりチームが組まれます。

ひとつの作品を立ち上げるために話し合い、提案をして、稽古をし、また話し合い、調整して、稽古する。劇場に入って理想と現実を有限の時間の中ですり合わせて初日を目指す。そして芝居の幕が降りると同時にチームも解散。

そんな希薄なのか濃密なのかわからない関係性の中で暮らすことが好きでした。性に合っているとも感じていました。そんなやり方でお金を稼げることが幸福だと思っていました。

でもなぜか「今まで知らなかったなにかを体験したくて」帆船に乗ったのです。

 

初めて乗った帆船でみつけたもの

 

船を動かしていくのに必要な作業はたくさんあります。「あこがれ」では航海をしながら、いくつかの作業のやり方をプロのクルーから学び、実際に行っていきます。

GPSで計測した船の位置を海図に落とし込み船の進路をチェックして進路を決めていくチャートワーク。船の灯火や交通規則を知り、デッキ上で周りの船の状況を見ながら船の安全を守っていくルックアウト。そして実際に舵輪を操作して船を動かす操舵。気温や海水温、気圧、天候、船の速度などを航海日誌に記録していく作業もあります。

帆の上げ下げは、全て人の手で行われます。一人の力ではとても動かない大きな帆は、大勢でロープにとりついて引き上げます。帆を張る前にはマストに固定してあるロープを外すためにマストに登ります。帆を畳んだ後には風に帆が煽られて傷まないように、またマストに登ってマストに固定していきます。

そんな風に、船を動かすのに必要ないろいろなことを、グループごとに交代しながら航海していく。船での日々はそうやって過ぎていきます。

体を動かしたり、頭を使ったり、そういうプログラムは楽しめました。もともとそういうのはキライではなかったし。

帆船のシステムは17世紀には完成したと言われています。「風」という自然の力を「人の力」で効率良く制御して「動力」へと変換していく。それが「帆船」なのです。

舞台の仕事は最新のテクノロジーに支えられている部分もたくさんあるのですが、一方でアナログな技術やロジックが必要な局面にもたくさん出会います。ロープワークや滑車の使い方など共通する要素も、意外とたくさんみつかりました。

たまたまですが、人の力で船を動かす帆船は、ぼくの興味や志向にとても近いものだったのです。

乗船した日の夕食後、自己紹介の時間がありました。狭い船の中で初めて出会った人同士がチームを組んで船を動かしていくというプログラムなので当たり前のことではありますが。

見知らぬ人の前に立って一人でしゃべらなくてはならない。「元ひきこもり」としては相当なストレスを感じるものでもありました。

とはいえ、同じメンバーでお互いに初めての作業を一緒に進めていくのです。コミュニケーションが取れなくてはしょうがないし、作業を進める中で言葉を交わしたりすることも増えてきます。お互いの存在に慣れてくれば、空いた時間にいろいろな話をしたりもするようになります。

帆船に初めて乗るのはほぼ全員が同じ条件。初めて出会う年齢も職業もバラバラな人間で共同作業をするというのは、当時のぼくにとっては初めてで刺激的な体験でした。時間が経つにつれて、ぼくたちは「船で暮らす」とはどういうことかを知っていきました。

揺れる船のデッキで軽やかに歩くこと。
限られた水を節約しながらシャワーで1日の疲れを癒すこと。
狭いベッドで心地よく眠ること。
夜明け、星、真っ暗な海、風、夜光虫。
初めての体験に満ちあふれた日々を、機嫌よくやりぬくこと。

船暮らしのルールの内側で、ぼくたちは新しく生まれたコミュニティーのための目に見えないルールを、緩やかに結びあげていたのでした。

同じグループのひとりの男の子と仲良くなりました。彼は18歳の高校3年生でした。明るくて素直な男の子でした。

彼は自分の意思ではなく、知らないうちに両親に乗船を申し込まれたと話してくれました。細かい理由ははっきりとは聞きませんでしたし、彼も話はしませんでした。

乗船期間中に、彼の高校は卒業式でした。当然、式に出席することはできません。

「出たかったですよ、卒業式」

雑談の中でふとそんな言葉を口にしたこともありました。

ある夜、船のクルーとの雑談で、彼の話題が出た時に卒業式のことを話しました。

「船でやってあげたらいいんじゃない。卒業式」

その言葉からぼくの中で何かが動き始めました。

クルーのミーティングに顔を出し、卒業式をやりたいことを説明しました。船に乗っている全員で、寄せ書きした卒業証書を作ること。航海最終日の下船前に船上卒業式を行い、船長から卒業証書を渡してもらうこと。彼には秘密で準備を進めること。

クルーや他のゲストにも協力してもらい、準備は密やかに進められました。狭い船の中でうまく時間をずらして、彼のいない場所でみんなに計画の内容を説明し、寄せ書きをつくりました。そして無事に、船上卒業式は執り行われました。

きっかけになった言葉、それはスルーしても構わないような軽い言い方でした。「ああ、それ面白いですね」とか言って次の話題に進んでしまっても何も問題のない会話の流れでした。それまでの自分なら100%引っかからない言葉でした。

けれどその時は違ったのです。なぜ自分がいつもと違う行動をとったのか、今でもよく分かりません。ただ普段なら絶対にしないような選択をした、そのことだけははっきりとした事実でした。

 

体験とコミュニケーション

人見知りで引きこもりのインドア派のぼくが、どうして今でも帆船に乗り続け、帆船をこの後の人生のテーマにしていこうと考えたのか。その理由の一つはこの初めての航海での体験なのです。

コミュニケーションが得意ではないからこそ、気になったのかもしれません。船の上で起こったぼくの心境の変化が。

初めて航海をしてから20年近く航海を繰り返し、たくさんの人と船上での時間を過ごしてきました。多くの人が航海を素晴らしい体験だと感じてくれました。その一方で必ずしも魅力を充分に感じてもらえなかったこともありました。

体験が人を変えるとはどういうことなのだろう。そのことをずっと考えてきました。いまでもよく分かりません。

でも最近なんとなく思っていることがあります。体験によって関係性が変わった時に、人は感動したり成長したりするのではないのかと。

自分と他人の間に新しいコミュニケーションが生まれたときに。

他人とだけでなく、自分と社会であったり風景であったり、もしくは自分自身とに対しても、あたらしい関係性が開けた時に人は感動や成長をする。未知で非日常な体験はそのきっかけになる力が強いのではないか、そう思うのです。

ぼくが彼のために卒業式をやろうとした想い、それはセイルトレーニングという「プログラム」から生まれたわけではありません。それは些細ないくつもの偶然が重なるなかで、偶然に起こったできごとです。

けれどその偶然のベースの部分に非日常な体験があったから、心の変化が起こったのではないか。なんとなくですが、ぼくはそう感じています。

そしてさらに考えると、ぼくは「変わった」わけではないのではないかとも思います。人間はそう簡単には変わらない、ぼくはそう思います。だから自分にとって初めての心の動きであっても、それは外側から来たのではなく、自分のより深い部分に隠れている感覚を初めて知ったのではないか、そう思うのです。

世の中には様々な体験コンテンツがあふれています。美味しいものを食べるというのも立派な体験でしょう。海に出るというテーマでも、遊覧船でクルーズするのも体験だし、フェリーでの船旅も立派な体験です。

でもコミュニケーションの変わらない体験は、大きな力は持たないと思います。自分と他人、世界、内なる自分、そのコミュニケーションを揺さぶる体験。それは狙って生み出せるものでもないとは思います。

それでもぼくは帆船での航海からそんな「体験」に出会うことができました。それも一度ではなく何度も。

だからぼくはセイルトレーニングを信じることができるのです。様々な素晴らしいものを知り、その上でなお、帆船が自分の中で一番大切なものだと言い切ることができたのです。

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)

 

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
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 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。