マダムは私がデブなのを心配してくれていたのだ。
「あなたくらいの年頃の女の子は恋愛をしなくちゃいけないのに、そんなにおデブじゃ男の子が寄ってこない。これからはブラックのコーヒー以外飲んじゃいけません。」心遣いはうれしかったのだけれど、それは過酷な宣言だった。いかんせん食欲が普通じゃない。
< 連載 > 映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。 |
面倒な映画 14
10代の食欲は誰にもとめられない。
「タクシードライバー」
マーティン・スコセッシはアメリカンアート系フィルムの王族の一人だ。代表作といえば「タクシードライバー」 ベトナム帰還兵の不眠症の過激な男をロバート・デ・ニーロが演じた名作。独特のダークトーンな音楽もかっこいい。
個人的に強烈だと思うシーンは問題のラストではなく、ジョディ・フォスター演じるロリータな娼婦アイリスがタクシードライバーとごはんを食べるところ。彼女はポン引きに騙され、関係を恋愛だと思い込んでいて、売春をさせられている。子供なのに大人の女を気取り、恋人のために働いていると思い込み、過酷な境遇を乗りきろうと強がっている。血の出るような痛々しさ。食べているトーストに着色料たっぷりの赤いジャムを塗りたくり、それだけでは飽き足らずに、たまらずその辺にあったコーヒー用の砂糖をドバドバかけるのだ。大人ぶったとしても、精神的に背伸びをしても、体はまだまだ成長期。いい加減な食生活でエネルギーが足りない、育ち盛りが夜更かしを繰り返すから血糖値が下がる、だから体が求めてしまうのだ、あきれるほどの大量の砂糖を。
そうなのだ、どんなに事情があろうと、体は嘘をつかない。ドラマの社会性とかパンクなエンディングにも感銘を受けたけれど、同じ少女だった私はこのシーンが浮き彫りにした彼女が子供だという事実に打ちのめされ、スコセッシの才能に愕然とした。ひどい目にあい、殴られながらも誰にも助けてもらえない飢餓感と成長期の爆発的な空腹感とが、人間の邪悪さ、残虐さを露見させる。少女の娼婦が砂糖山盛りのパンを貪り食うことで、それをじわじわと訴える、言葉にならない残忍な映像表現だった。
食欲は健康の証拠、だけれど、それは凶暴な欲望でもある。
学生時代お世話になっていたカフェがあった。なぜかそこの雰囲気のあるマダムにかわいがってもらい、何かと通っていた。ある時ココアを注文すると、「だめだめだめ、ココアなんて飲んじゃだめ。」とブラックコーヒーが出てくる。マダムは私がデブなのを心配してくれていたのだ。
「あなたくらいの年頃の女の子は恋愛をしなくちゃいけないのに、そんなにおデブじゃ男の子が寄ってこない。これからはブラックのコーヒー以外飲んじゃいけません。」心遣いはうれしかったのだけれど、それは過酷な宣言だった。いかんせん食欲が普通じゃない。
18歳の私は悲しいほどの大食漢で、朝からトースト3枚、昼は学食の定食を大盛りで一人分食べても足りなくて、ラーメンを追加。夜は夜でどんぶり2杯は食べていたくらいだったから。クラスメートと学食へ行くと、あんまりたくさん食べるので「今度バイト料が出たら、腹いっぱい食わせてやるからな…」と憐れまれていたくらいだった。
演劇をやっていたから、周りは折れそうに華奢な美少女や10代とは思えない妖艶な美人ばかり、みんな18歳だけれど、ほとんど何も食べない、食べていても小さなパン一つでもういらない、みたいな感じ。もうまったくわからない。私が一人で二人分の定食を食べているのに呆れ、嘲笑していた。笑われているのはわかっていても、自分の巨大な欲望に、ただただ翻弄されるばかり。スタイルがどうとか、デブだからもてないとかいうことよりもなによりも、満腹感というものがなかった。
食べても食べても、おなかがいっぱいにならない。満腹中枢が壊れているのかも。大学にある「心の相談室」を予約して相談にも行った。ぷっくり幸福そうに太った私が「先生、みんなちょっとしか食べないのに、私はいくら食べてもお腹が満たされないんです。他の子の何倍も食べないとだめなんです。どうしたらいいでしょう。」なんて真顔で言うんだから、もうほとんどギャグだ。先生は半笑いで「育ち盛りだから食欲があるのは病気ではないでしょう。ゆっくり噛んで食べなさいね」そっけない。もっと深刻な心の悩みで大変な学生で忙しいのだろう。過食症などの可能性もあったかもしれないし、笑いごとではないのに。
食欲が止まらないから、体重はどんどん増える。70キロ近くなってしまい、まもなくシルエットは立方体。演劇の公演のためにトレーニングもするし、ランニングもするけれど先輩に「しっかり走れ!」と大笑いされながら、道を転がってしまうような感じで、5キロもまともに走れない。
でも実は気にしなければ問題はそんなに深刻ではない。食費がかかる、まったくもてない、女だと思われない以外は、それほど困らない。まあデブだけれど、とても元気で、空腹感も病的ではなくてモリモリしたいかにも健康な感じ。体重以外は健診でも問題ない。食欲がある以外はまったく不具合がない。太って太って止まらないだけ。
もちろん心ある大人が心配してくれるので、我慢もしてみた。毎食食べる量を決めて、それ以上は食べない生活もしたのだけれど、こんなに目の前が真っ暗になるほどの空腹に耐えるなら、涙が出てくるくらいなら、デブでいいと思うほどつらくて、続かなかった。友達が憐れんで食べ物を恵んでくれるほどに無理な感じだったらしい。
少女時代はある日突然終わりを告げた
だが、不思議なことがおこる。19歳になったとたん、食欲が消えて、ごはんを食べなくても辛くないし、目も回らなくなったのだ。そのまま何もせずに体重が落ちていった。よほど過酷なダイエットをしたらしいと思われていたけれど、私がやったことは誕生日を迎えただけだったのだ。それでも標準より太ってはいたけれど、マダムにココアを取り上げられるほどではなくなった。
私の体は15歳から19歳までの4年間、旺盛すぎる食欲を活用して何をやっていたのだろう。何かすごくエネルギーのいる臓器か何かを体の中で育てていたのかもしれない。
あるいは妖怪がとりついていたのが、何かのせいでいなくなったのかも。飢餓感がなくなってみると、なんであんなに食べられたのか信じられない気がしたものだ。
今でもよく食べるけれど、18歳のころの底なしの欲望は感じない。なんだかそれ以来欲自体がなくなってしまった気がする。妖怪がついている間、あの時期が私の人生における飛躍のチャンスだったのかもしれないなと思う。体重と引き換えに消えたものがなんだったのか、気になってしょうがない。