ORDINARY PEOPLE 02 田村志子 (ライフスタイルデザイナー)

田村志子さん


好きなことの近くにいる人は幸せだ

自分のことも好きになっていくから


PEOPLE #002
田村志子   ライフスタイルデザイナー

 

幼い頃から、人形の洋服をつくっていた。手づくり少女が大人になった。賞賛も得て、時に迷って。つくることが大好きだからこそ、こだわりがあるからこそ、まわりとぶつかってしまうこともあった。「好きなことを仕事にするのは無理なのだろうか」もがいた日々を経ても、変わらないのは「自分が欲しいものをつくりたい」という思い。洋服だけじゃない。彼女は5年間勤めたアパレル会社を経て独立、いま自分の仕事さえもつくっていこうとしている。なぜ独立し、今後はどのように進んでいくのか、深井次郎がお聞きしました。


インタビュー映像(1分17秒)


深井:
昔から手づくりをするタイプだったのですか?

田村:うちの両親がものをつくるのが好きなタイプでした。父親はいろいろ家にある電化製品とか分解してバラバラにして、もう一度自分の好きなように組み立て直したりをよくしていて、その横で遊びながらみていました。あとは母方のおばがもともとパタンナーをやっていた人で、独立して自宅でテーラーをしていました。母親の服をミシンでつくっていたり、私の服もつくってくれていて。手づくりの服を着ることが多くて、それが記憶の中にはずっと残っています。手づくりに囲まれて育ったので、既製品を買うというよりも「つくる」ということが当たり前にある環境でした。

深井:小さい頃、自分で何かつくってましたか?

田村:リカちゃん人形の洋服をつくったり。粘土で花飾りを自分の髪につける用につくっていたり。欲しいものを自分でつくるという習慣があったと思います。

深井:それは上手にできるんですか? というのは、僕も小学生の頃、母がDIYな人だったので家にミシンがあったのです。僕も布でトートバッグをつくったり、やってみることがありました。でも自分でつくったものより、売ってるバッグのほうが明らかにカッコ良くて壊れにくいんですよ。これはかなわないなと。ということで、「母ちゃん、あれ買って!」って。(笑)

田村:あー、私はその感覚をもったことがほとんどないんです。なんでですかね。たぶん好みがすごくはっきりしてて、こだわりがすごく強い子どもだったので売ってるものが気に入らない。欲しいものがないから、だからつくるということを小学生の頃からやっていた。それが今も変わらず続いています。

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深井:
小学校、中学校と、その後は?

田村:高校が進学校だったので、大学はまわりに流される形で、普通の大学へ。明治大学の英米文学部に進んだのですが、入ってから先が見えなくなった。これから4年間通って勉強したとして、その後何をするか。イメージできなかったんです。私はつくることが好きだし、手先を使って何かをつくるのが得意だとわかっていたので、「大学間違えた」と思って、親の反対も押し切って1年で辞めました。

深井:1年で。決断が早いですね。

田村:そして服飾の専門学校へ入り直して、3年間通いました。きっとそのまま大学に行ってても別の道があったと思う。だけど、その時はそれしかないと思った。

深井:もっと具体的な服づくりが学びたかった?

田村:そう。入学当時は、本当に服がつくれるとは思わなかったんです。「できるわけない」となぜか思っていて。お裁縫程度かなと思っていたんですが、3年間やったらだいたいの服はつくれるようになった。それは、よかったですね。

田村志子さん制作の服たち


深井:
就職活動はしましたか?

田村:まわりはみんな就活してましたが、当時私はけっこう調子に乗っておりまして。自分でいうのもあれですけど、わりと優秀でコンクールでよく賞とか獲っていて、自分はできるんだと、ものすごく調子に乗っていて。今思うと恥ずかしいんですけど。自分の好きなものしかつくりたくない、というのがありました。日本のアパレルメーカーを見回しても入りたい会社がなかったんです。しかたないので、2年間ふらふらとニート生活というか、作品づくりに費やしました。その期間も、ヨーロッパのファッションコンテストに挑戦していました。入賞はしていたけど、最終的な大賞は逃すというのをくり返していて。2年間経って、このままだと社会に復帰できなくなる。このままじゃマズいということで、就活をして日本のアパレルメーカーに入りました。

深井:調子にのっていたとのことですが、「自分は服づくりの才能があるな」ってどういう時に自覚するんですか?

田村:服づくりの才能というよりも、私はセンスあるなと思ってたんです。(笑) それに加えて、賞を獲ったりもそうですけど、まわりの先生や友人からも褒められて、すごいねって。それがそうでもないなと後々気づくんですけど。褒めそやされてたので、というのと、もともと調子に乗ってしまうタイプなので。

深井:だんだん鼻ものびていって、ということですね。(笑) まわりから褒められて才能を自覚していったと。その後はどうでしたか?

田村:1社目では3年間働いたのですが、いろいろあって服の仕事が嫌になってしまいました。服から離れて、ゆっくり考えたいと思って、ロンドンに留学しました。それからもフランスに行ったりヨーロッパをブラブラして1年間が過ぎて。日本に帰って、もう普通の会社で働こうと思いました。ITの会社に内定もらって、いざ働くっていうその前日に「やっぱり私は服じゃないと!」って思い直して。「大変申し訳ありませんが…」と電話してお断りしました。

深井次郎がインタビューします


深井:
そして、2社目のアパレルの会社に入るわけですね。

田村:そこに入れてもらって、5年働きました。

深井:1社目の辞めた理由と、2社目の辞めた理由は違いましたか?

田村:違いますね。1社目は社会でちゃんと働くというのが初めてだったから、社会人として一般常識的なところで全然ダメだった。社内の人間関係もうまくできなかったんです。「好きじゃないテイストの服をつくる」ということにストレスを感じていたというのもありますが、社会人として欠けてたものが多かったです。悩んで、「やっぱり好きなことを仕事にするのは無理なんだろう」と思って辞めました。好きなことだからこそ、こだわりが強すぎて、まわりともぶつかってしまう。だから次は好きなことから全く離れた仕事。たとえば事務とか全然離れた仕事をしようと思ったんです。そしたらきっと楽になるだろう。好きなことは趣味でやればいい、と。

深井:2社目の辞めた理由は?

田村:1社目の3年+2社目の5年で、合計8年間アパレルの仕事してきました。デザイナーもやったしディベロッパーからパタンナーも経験して、一通りわかったという感じがありました。

深井:つくるだけでなく、売るところもやった。

田村:ほぼ全部の領域の仕事を経験したので、今度は「自分でデザインして自分でつくってみたい」、服以外にもつくってみたいという気持ちが大きくなってきました。だとすると服しかつくらないアパレルメーカーにいるのも違うし。他からも仕事をいただく機会も増えてきたので、それでフリーになろうと。

深井:出てからも前職の人とつながりはありますか?

田村:前の会社の人ともつながりがあって、飲みにいったりします。「フリーじゃ大変でしょう」と会社の人に心配されてます。なかなか難しいと私も思っているのですが。「次の会社、いい会社あるからどう?」といっぱい転職先を紹介してもらいました。実は、1社すごく迷った会社があって、それはアメリカの会社なのですが、新しいブランド立ち上げるプロダクトマネージャーということでした。話もして、条件的にもものすごくよかった。すごく揺らいだんですけど、とりあえず1年はフリーをやってみようと決心していた時だったので、これで会社に入っても同じことを繰り返すだろうと。そういう話がくるというのもありがたくて、自信にもなりました。また後でも社会復帰はできるだろうと、それで断りました。「あー、断っちゃったー」と思いましたけど。(笑)

いいですね


深井:
今の状況は、何が楽しいですか?

田村:今までやったことのない仕事ができることですかね。知り合いの紹介で、ブランドの立ち上げの仕事があります。ロゴを考えるグラフィックの仕事とか、ブランドのイメージ、方向性を決めるときに、思いっきり私の好きな感じを提案できるので楽しいです。1からつくるときは、制限がない。なんでもありという状況でいろんな提案ができる。いっぱい案を出して検討している中で、「これだ!」という感覚がたまにバッと出てきて、行きついたときが楽しい。

深井:服以外でも田村さんのセンスを活かしているんですね。ブランドの立ち上げとか、あとは、施設の空間デザインを考えたり。自分で椅子とかもつくっているんでしたよね?

田村:身の回りに置くものは気に入ったものにしたいので。そうすると、何でも自分でつくるということになってしまいます。服は当然つくれるし、布をつかうものはたいだい何でもつくれる。木材もできる。プラスチック、金属になると難しいけれど。

深井:今後どういう風に進んでいきますか。期限とか決めてますか?

田村:とりあえず1年間。来年2014年の3月まではいろいろやってみて。その後は、そのときにまた考えようと思っています。

深井:僕も「やりたいことをやっていこう」とか「好きなことを仕事にできるといいよね」という話を大学などいろんなところでしています。共感してくれる方は多くいるのですが、そこで一番多い質問があります。「そもそもやりたいことがわからないのですが…」というものです。「どうやったら自分の才能が見つかりますか」そういった方に、田村さんだったらどんなアドバイスをしますか?

田村:私の場合は、やりたいことがすごくいっぱいありすぎて、自分でも何がやりたいのかわからなくなる時があります。やりたいことが「見つからない」のではなくて、「多すぎる」せいだと思うんですけど。ただ、やりたいことがいっぱいあったとしても、その中に共通項があると思んです。共通項をみつける。そこが自分のやりたいことの核になるものなんです。私の場合はその核が「ものづくり」だったんですけど、それを見つけるといいと思います。

深井:なるほど。だから田村さんは、服に限らず「ものづくり」だったら何でも楽しめるのではないか、ということですよね。僕もそれを「ワクワクの核」って呼んでるんですけど、好きなものの共通項を探ると見えてきますね。田村さんの今後が楽しみです。

 

 

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編集部

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オーディナリー編集部の中の人。わたしたちオーディナリーは「書く人が自由に生きるための道具箱」がコンセプトのエッセイマガジンであり、小さな出版社。個の時代を自分らしくサヴァイブするための日々のヒント、ほんとうのストーリーをお届け。国内外の市井に暮らすクリエイター、専門家、表現者など30名以上の書き手がつづる、それぞれの実体験からつむぎだした発見のことばの数々は、どれもささやかだけど役に立つことばかりです。