【第217話】クリエイティブと運動の上達方法は同じでした / 深井次郎エッセイ

「心地良いペースでいこうよ」 「いや、それじゃ進化しないよ」

「無理しないペースでね」「いや、それじゃ進化しないよ」

 

 

危険水域まで追い込むことが
進化につながる

 

書くことと走ることは似ている。そう、つねづね思っています。走る前は気が乗らないけど、走り終えたら気持ちいいところとか、その人にとって得意な距離(文の長さ)があるところとか。

走り始めは、体が重くスピードも出ないけど、だんだん軽くなってくる感じは、書くことも同じです。書くことがないなぁ、と心配しながらも、とにかくなんでもいいからつらつら手を動かしていると、ああ、今日はこれ書こうかなというのが浮かんで来たりする。インスピレーションが降りて来てから書くのではなく、書き始めてからインスピレーションがやってくるのです。だから、なんでもいいから頭の中にあるものを書いてみる。「ああ、眠い… 二度寝しようかどうしようか」でもいいのです。

気が乗らなくても、着替えて外に出る。ゆっくりでもいいから走る。そうすると、重かった気分がだんだん軽くなっていく。そのくり返しなんですね。

走る作家で有名なのは、『走ることについて語るときに僕の語ること』の村上春樹さんですが、体を走らせると、思考も走るようです。哲学者の故・池田晶子さんも、走りながら考えていたそうですし、思想家の内田樹さんも武道をやっています。

書く人というと、力は必要ないので、インドア派でひ弱なイメージがあります。けれど実際は、書く人の腕は筋肉質です。まわりを見渡しても頭脳労働の人ほど、運動しているように感じます。

一瞬のひらめきは、短距離走で限界を超える時の、パーンとはじける感じが合いますし、じりじりと一字一字、何万文字もマスを埋めていく作業は、マラソンを思わせます。実際、体にパワーがないと、頭も粘りがききません。今回はこの辺でいいか… と力尽きてしまいます。

ぼくがバスケをしたり、運動するようになったのは、20代後半から。当時、体の重さと同時に、脳の回らなさも感じました。

「一生書きつづけるためには、動ける身体をつくらないと」

このまま放っておいたら、近いうちに限界が来るだろうと、危機感に襲われました。

「クリエイティブと運動の関連性」は、最近興味のあるテーマ。何年かおきに、ぼくの中でこのテーマが盛り上がってくるのです。 この間、マラソンの小出監督の著書『マラソンは毎日走っても完走できない』を読みました。「毎日5キロ走っていますが、タイムや距離が伸びません」たとえば、そういう初心者ランナーの悩みに答えています。 

この本で伝えている肝は、「毎日同じ距離をタラタラ走ってても、進化しない。限界までのダッシュを練習メニューに入れましょう」ということです。体が心地いい速度で長い距離を走っても、タイムも距離も伸びないのだそうです。短い距離でも良いから、体の限界を超えるまで負荷をかけないと、成長しない。マラソンのトレーニングに、全力ダッシュが必要なんですね。全力ダッシュによって足ができるのだそうです。それは面白いと思いました。

この全力ダッシュを書くことに置き換えると、どういう状況でしょう。単に書くスピードを限界まで上げるのも良いトレーニングになると思います。あとは、「ネタ切れまで出し尽くす」ということでしょう。

たびたび、オーディナリー編集部ではこんな議論がもちあがります。

「更新ペースを守ろうとするあまりに、内容が薄くなってしまってはしかたない。薄くなるくらいなら、ペースを遅くすれば良いのではないか」

ぼくはこれには反対です。限界まで追い込んだほうが書き手を成長させるからです。オーディナリーは読者にためになる読みものを提供する場なのはもちろんのこと、書き手自身も進化する場です。 

作家でもブロガーさんでも、始めの頃は、ネタ切れを恐れるものです。特に、自分の過去の経験を書いている人は、そのうち現在に追いついてしまいます。日々のことを綴るにしても、毎日事件が起きるわけではありません。毎日書いていたら、そのうち書くことがなくなってしまうのです。それで困ると書くペースを落として、ネタが溜まるのを待ってしまう。専業で作家をやってる人は、ビジネスマンよりも何も起きません。意識しないと外に出る機会も減ります。それでは成長しません。

書きはじめた人は、なるべくはやく「ネタ切れ」状態まで追い込むことをおすすめします。ネタ切れは、若い人ほど早くやって来ます(経験と知識の量が少ないから)。でも、一生書き続ける人になるには、「ネタ切れ」からが本当のスタートです。

ストックが枯渇する。その危機を経てはじめて、書き続けるためのトレーニングや自分なりのフォームなどを真剣に研究するからです。石油のように、もともとある資源を枯渇するまで使い尽くす。枯渇してしまったら、他のエネルギーを意地でも見つけますよね。で、実は石油よりも質のいいエネルギーに出会ったりする。

過去の遺産にしがみつくのではなく、新ネタをいつでもつくり出す仕組みを開発します。書き続けている人は全員自分なりのやり方を持っています。それは、ネタ切れを乗りこえた人にしかわかりません。書けと言われたら、いつでも書ける。そういうクリエイティブの生産方法がわかるようになるのです。「ネタ切れを起こさないように」セーブして、ゆっくり心地良いペースで走っている人は、いつまでもその域にはいけません。 なるべく早く、ネタ切れという限界まで書き尽くすのです。

「もう書くことありません… 」

空っぽまで、出し尽くす。すると、宇宙は真空を嫌いますから、空っぽのところにはより素晴らしいものが入って来ます。 先人たちが編み出したネタ切れにならない方法は、いくつもありますが、 いま話しだすと長くなるので別の機会に。ここでさらっと教えてしまうよりも、早くその限界にぶつかってもがいて、各自で発見したほうがいいかもしれません。

たらたらと長い距離を走るよりも、全力ダッシュで追い込むこと。限界を超えないと体は、変わりません。それは感性や脳も同じなのでしょう。負荷をかけ、危険水域にさらすこと。1人きりで追い込むのは、よほど己に厳しい人ではないと難しいので、練習仲間やコーチがいたりするといいですね。

 

 

(約2432字)

Photo:gwen

 

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。