【第200話】曲がった松のままで生きていく。どん底のクリスマスの夜に出会った植木屋のおじさんとの話 / 深井次郎エッセイ

日の当たる場所へ

使えるか否か
人間の価値は
便利さだけじゃないだろう?

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忘れられない言葉があります。「あのひと言があったから、今がある」人生を変えた言葉との出会いは、きっとだれしもあることでしょう。このクリスマスの時期になると思い出すのは、8年前に出会った、植木屋クスノキさんの言葉です。

27歳当時のぼくの仕事は低迷中。立ち上げた会社もうまくいかずに、どうしていいかわからない時期が続いていました。すでに本は出していたものの、本業の会社がうまく立ち上がらず、つくば市にある小さな事務所に寝袋で寝泊まりの日々。風呂がないので、寒空の下、自転車で10キロ離れた市民体育館でトレーニングをしてシャワーを浴びに行くという生活をしていました。

20代も後半になると、まわりの同級生たちは社内でも役職がつきだしたり、結婚したり、着実に人生ゲームのコマを進めている話が耳に入ります。同窓会に顔を出せば、たいして仲も良くなかった同級生に聞かれたりします。

「で、深井くんは何やってるの? 会社やってるんだっけ、儲かってるの」
「まあ、ぼちぼちね」

うそ、儲かってなんかいない、つぶれる寸前です。つぶれたら今までの努力も何もかも水の泡。みんなは着実に社会的な立場も手に入れているのに、ぼくが手に入れたものは水の泡だけかって。キラキラ活躍してる同級生に自慢されると、「自分は今まで何やってきたんだ、もしかしたら間違った道を歩んでいるのかもしれない」そんな疑念が頭をよぎることもありました。

自信がゆらいでいるところに、田舎の親戚の集まりでも追い打ちをかけられます。

「公務員とか大企業でまっとうに働きなさい」
「結婚しないのか、孫の顔くらい見せるのが親孝行じゃないか」
「同級生の誰々くんは、もう子どもがふたりいるよ」
「彼なんて官僚になって車も買って、ローンで家も建てたようだ」
「あんたがやってる自営業じゃローンも組めないでしょうに」

他の人なんてどうだっていいわ! ぼくはぼくの人生を生きるのだ。そうやって強い心を持っているつもりでも、ゆらいでいる時というのは、こたえるものです。

会社員時代はトップクラスの営業成績だったと息巻いても、独立して通用するとは限りません。実際、ぼくは営業をしても、なかなか仕事がもらえませんでした。社長であるぼくが弱音を吐いたら、もう一気にチームは崩れてしまいます。「大丈夫だから、絶対に!」カラ元気で振る舞いながらも、足元はグラグラ、懐はスカスカでした。

(心が折れないように、せめて体だけは頑丈に)そう心がけ、トレーニングを習慣にしていたのですが、その時は力を入れた拍子にクラクラと貧血気味になってしまいました。(なんだこれ、やばいなぁ… )しばらくベンチで寝転んで休んでたら、知らないおじさんの声。

「大丈夫? よかったら、どうぞ」

暖かいはちみつレモンの缶を手渡されました。

「若いのにクリスマスに用事ないの?」

そうか今日はクリスマスイブか。会社のことで頭がいっぱいで、そんなことすっかり忘れていた。どうりですいてるわけか。色黒で細いけど筋肉が浮き立っているそのクスノキさんというおじさんは植木屋、造園業を営む社長でした。

すいているトレーニング室は静かで、ぼくらだけ。そういう状況もあり、世間話が進んでいき、より深い話に入っていきました。

「深井さんは、どうして会社つくったの?」

「自分にしかできないすごいことをやってやろう、とか生意気にも思ってたんですけど。でも、正直、それももうダメかもしれません…… 」

そんな弱音、今までだれにも吐いたことないのに。知らない人だから言えたのかもしれません。限界にきていたのです。

「そうなんだ、わたしもね、深井さんくらいの時は大変だったなぁ」

クスノキさんは高卒で、仕事も覚えが悪くて、上司におべっか使うこともできないし、人づきあいも苦手で社内でいじめにもあった。30歳まで都心で営業マンをやっていたけれど、成績が上がらなくてうつになって体壊して辞めざるをえなくなったそうです。

「お前は使えない奴だって、毎日上司に罵倒されたよ」

会社を辞めて、今どき植木屋なんて古いとバカにする人間もいたけど、クスノキさんには性に合ってたようです。スーツ姿で人と話すよりも、作業着で植物と話してるほうが楽しいと。何年かかっても、自分の道を見つけることだよ。そんな話をしてくれました。

「ぼくは…… 会社経営、向いてないのかな」

自分のふがいなさと、自分が巻き込んで一緒にやってきてくれたメンバーに申し訳なくて、涙が勝手に出てきます。不覚にも初対面のおじさんの前で。

「本当にバカですよ、調子のって。できる奴気取ってデカいこと言ってたけど、ただの使えない奴だったんです……」

クスノキさんは、ずっと黙っていました。溢れ出る若者の弱音を「うん、うん」と聞いてくれました。

すべて吐き出した、長い沈黙の後。これは何者でもない、しがない植木屋のおじさんからのアドバイスだけどねと謙虚に前置きしてから、こんな話を始めました。

「曲がった松のままでいいんだよ」

「……曲がった松?」

「そう。使える奴になんか、なろうとしなくていいんじゃないかな」

簡単にいうとこういうこと。木には大きく2種類ある。便利な木と、便利ではない木。便利な木というのは、たとえば杉やひのき。それらは成長が早くてまっすぐなので、木材としても薪(まき)としても使いやすいのです。

反対に便利でない木は、たとえば松。曲がっていてしかも成長の遅い松は、使い道があまりありません。曲がっていると、木材にしにくいし、薪として燃やそうとしても、松ヤニの油が出るので燃えすぎる。燃えすぎて暖炉を痛めてしまうので、扱いにくいのです。

「それでもね、わたしが思う一番美しい木は、松なんだなぁ」

松は、木材になることもなく、薪になることもなく、便利に使われることはないかもしれない。でもすぐに直接的に人の役に立てなくても、役割が全くないわけではありません。たとえば庭の観賞用。自由に伸びやかに凛と立つ松の姿には、人に感動をもたらし心を豊かにする役割があるのです。

「もしわたしが杉やひのきのように使える人材だったなら。今でもずっと営業マンをやっていて、植木屋になってなかっただろうと思うとね……」

むしろ、自分が使えない人材であったことは幸運だったかもしれないと、今となっては思う。松には松の生き方があるんだね。そうクスノキさんは、くしゃっと笑うのです。

社会は、曲がっている若者を見つけると、寄ってたかってまっすぐにしようとします。教育という名の矯正です。「キミキミそんなことでは社会に出たらやっていけないよ」使いやすい木材になりなさいと、まっすぐに矯正してしまうのです。「社会性を身につける」とはつまり、自分たち大人にとって使いやすい、便利な人材になりなさいということです。

器用で優秀な人間は、若いうちから引く手あまたです。早いうちから登用され、チャンスも報酬も多いです。しかし、その分よほど本人の意志がはっきりしていないと、周囲の大人の期待や思惑に振り回されてしまいます。「この人生で自分が成し遂げたいことは、便利な木材になることなのだろうか?」器用で優秀な人ほど、30代40代になってから、はたと我に返ることになるのです。

人にはそれぞれ、その人に合った生き方があります。うっそうと木々が茂る深い森の中では、成長の遅い松には、日が当たりません。松がどんなに懸命に背伸びをしても、成長の早い杉やひのきの陰になってしまいます。これでは光合成ができずに、枯れてしまうでしょう。

幸い人間は、植物と違って自分の意志で生きる場所を選ぶことができます。日が当たらないとわかったら、場所を移動すればいいのです。背の高いまっすぐな木々が密集している場からは距離をとること。背が低くても日の光を充分に浴びることができる、空の広い居心地の良い場所に移りましょう。そこでゆっくりと自分のペースで、自由に枝を伸ばしていけばいいのです。

長い年月の中で自由に枝を広げたその立派な松は、観賞用として人々に貢献します。独自の生き方を貫き示すことで、観る人の心に勇気や感動を残す。そういう社会への役立ち方もあるのです。

「お前ほんと使えないなぁ」そう言われても腐らない。「あの人って仕事できるよね」そんな賞賛など求めない。どんくさい、扱いづらいと言われながら、いまは誰にも相手にされずとも、自分の居場所で精一杯に枝を伸ばすのです。

もちろん、薪として燃え、人に暖をとらせる生き方は素晴らしいです。材木として家の柱になる生き方も素晴らしい。便利で使いやすい木は、きっと多くの人に重宝され、賞賛されるでしょう。

けれど、人間の価値は、使えるか否かだけではありません。曲がった松にしかできないことがあるのです。

この曲がった松の話は、後に老子の教えだったと知るのですが、今でも忘れられないクリスマスプレゼントです。クスノキさんのおかげで、折れずにあの危機を乗りこえられました。

「自分の場所で、信じる生き方を貫こうよ、他人に何と言われようとね」

クスノキさんはあの日以来、見かけることはありませんでした。「彼は植木屋の姿をしたサンタクロースだったのではないか」 冗談でそう笑い話にするのですが、密かに本気でそう疑っているのです。

さあ明日も、好きなことに打ち込んで生きよう。

 

(約3658字)

Photo: takayoshi takeuchi


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。