【第165話】大声の人からは距離をとる / 深井次郎エッセイ

俺を信じなさい

「本当はこわくてしょうがないんだよ」

大声は不安の裏返しである「新しい働き方」というテーマで、ここ10

いいものに出会ったら、自分の大切な人にも勧めたくなるのが人間です。使ってみて感動したら、教えたくなる。そういう本能があるのです。「このホームベーカリーで、パン焼いてみたら美味しかったよ」「へえ、パンって自分で焼けるんだ」そうやって経験を共有して、人類は進化してきたのです。

「新しい働き方」というテーマで、ここ10年ほど多くの人が論じています。起業してバイアウトだとか、週末起業、セミリタイヤ、株だ、大家だ、情報起業だ、ノマドがいいとか、地方がいいとか、フリーランスだとか。もちろん、「会社で働くだけがすべてではないよ」と。そういうふうに価値観を広げる意味で、いろんな方の体験を聞くのはいいことです。

ただ、大声で叫んでいる人の言うことは、話半分に聞いた方がいい。いつの時代も、どのジャンルでもそうですが、「自分の考えが唯一で、ほかの人たちはバカだ」と熱狂的に説いている人がいます。

独立したり新しいことを始める時というのは、熱が必要です。この道が唯一であると思い込むことで、踏ん張れる。でも、同時に本人はすごく不安もあって、自分の選択が100%正しいとも信じきれない。でも、その不安をふりきろうと、例えるならお酒をしこたま飲んで、テンションを無理に上げてる状態です。酩酊してなきゃ、怖くてしょうがない。

ヒトラーの状態って、そうだったようにみえるのです。このまま突き進んだら死ぬかもしれないし、ええいもう、破れかぶれ、この選択しかないんだから、うおー、もうやるしかないんだよー、みんな道連れ、反対するヤツは皆殺しだ、きょえーというヒステリックで半狂乱。

ごめんなさい。実は、ぼくもそういう時期がありました。若かりし19-22歳のころです。独立という生き方があると知り、起業熱におかされ、自分はそうやって生きていくと決めた時期です。もともと父親が大企業のサラリーマンで、出世したにもかかわらず会社がつぶれたこともあり、「サラリーマンは怖い」とか親父を苦しめたサラリーマン制度へ恨みもありました(敵討ちみたいな)。他人に人生の舵を任せるなんてまっぴらごめんだ、俺は独立して生きていくと、まわりにいいふらしてました。髪を切り、ヒゲをそり、紺のリクルートスーツで就活しサラリーマンに染まっていく大学の同級生たちに、ダサいとかつまらない人生だとか、社畜だとか、ほんともうごめんなさいなんですけど、失礼極まりない発言をしてました。

でも、その批判はやっぱり不安の裏返しでもあったんです。大勢が歩いている舗装された道に背を向け、自分ひとりでだれにも頼れず、道なき道をかきわけていく。ああ、死んでしまうかもな、とも思いました。心細くて、本当は仲間も欲しかったのです。他のサラリーマンたちが順当に手に入れるであろうマイホームや結婚や週末の息抜きなど「普通の幸せ」を俺は諦めないといけないのか。人と違う道をいくとはそういうことです。それら「普通の幸せ」を犠牲にしてまで、叶うかどうかもわからない理想にむかって進むのか。何にも叶わず、何者にもなれずに死んでいく可能性もおおいにある。いま思い返すと笑えますが、おおげさ過ぎますよね。力み過ぎ。でも当時、雇われずに生きると決めたときは、「これからどうなっちゃうんだろう、間違った道をいこうとしてるのかもしれない」と。ひとり不安で、夜さめざめと泣いた。それくらい、ぼくみたいな小心者にとって、大勢と違う道をいくのは恐ろしかったのです。

(約1426字)

Photo: Justin Norman


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。